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[ Symbolizm ] Decode of the Matrix 3



何が現実か

 そもそもがややっこしい話なので、1と2でご説明した事を踏まえまして、次へ進む前に少々振り返っておきましょう。

・現実と仮想現実の比喩

 Matrixに接続された状態は仮想現実、プラグを抜けば現実世界。この定義を我々の住む世界に当てはめ、マトリックスに接続された状態の人間は「現実の支配システムに気付いていない人」、プラグを抜いた状態の人間は「現実の支配システムに気付いている人」と比喩的に捉えるのが一般的です。

 この比喩では、多くの人はマトリックスに接続された状態で生きており、真実を見ようとせず、支配システムに操られていることすら気付いていないことになり、プラグを抜いた人は真実を知り、支配システムから解放された存在ということになります。

 しかし、船の象徴を読み解けば、それらは全て時代ごとの思想でした。建築家の世界(Matrix)に気付きプラグを外したとて、現実世界でエグザイルの思い通りに動いていては、結局は建築家とエグザイルの両方を生み出した、顔の見えない「Deus Ex Machina」の手の平の上で遊んでいるだけ。

 結果、「Matrix Resurrections」では秩序を象徴する建築家が「論理を優先させる建築家」から「感情を優先させるアナリスト」に変化し、マシーンシティでは機械同士の戦争が起きるほどに。そしてザイオンは百目のアルゴスに監視されるイオの名になるほどにと、過去よりも混沌が秩序となっていました。

 ネオはしっかりと「エグザイルのCode通り」に動き、世界をアップデートしてしまいました。建築家の世界から新しい世界(One world)へ。『Decode of the Matrix 2』で申し上げたことを思い出して下さい。

 何とも説明の難しき概念ですが、分かりやすく乱暴に言ってしまえば、「ユダヤ教→キリスト教→One教」という流れの、One教を導く救世主と言ったところ。陰謀論的表現をするなら世界統一政府。これからやってくる「新しい時代の象徴」って感じ。

 何が「実在」かしっかり認識して下さい。作られた「現実」ではなく「ありのままの実在」を認識することが重要です。盲目のまま幻に対し抗ったとて、のれんに腕押しの無限ループです。下手するとBot化し大きなムーヴメントにまで発展してしまいます。「混沌からの秩序」という言葉が表すように新しい秩序の前には必ず混沌があります。

よろしいですか。

 「建築家」で象徴されるのは古い秩序。「エグザイル」で象徴されるのは古い秩序をリセットした後の新しい秩序。

 ですからネオみたいな人について行ってしまいますと大変なことになります。混沌の手助けをするようなものですから。事実、現実世界ではBot化した人々が米議会襲撃までやってのけました。このムーヴメントは米だけではありませんし、まだ終わっていませんから注意が必要です。

預言者「彼(建築家)が目指すのは常にバランスを取ることよ」

ネオ「あなたが目指すのは?」

預言者「そのバランスを乱すこと

Matrix Revolutions

 人々に自由を与える救世主。しかし「無条件の自由」という言葉は聞こえは良いですが換言すれば「ただのカオス」です。それでもまだ主人公のネオが”救世主ではなくカオスの象徴”だなんて信じられませんか?では盲目の象徴を深く追うために、わたくしの堀った本物のうさぎの穴に飛び込んで下さいまし。いきますよ、せ〜の〜、



Rabbit Hole / ウサギの穴

・盲目なのに貫く者

 古き神話に登場する盲目設定の二人のお話です。その後にネオのお話へとつながって行きます。では順にまいりましょう。


・ロンギヌス

 槍の名前として有名ですが、実際は槍の持ち主の名前です。イエスが磔刑に処せられた際、生死の確認のためイエスの脇腹を槍で刺した者がローマ帝国の百人隊長ロンギヌスで、イエスの脇腹を突いた槍がロンギヌスの槍です。不思議なことにローマ帝国の百人隊長という高い地位にいながら盲目です。盲目の兵士が役に立つと思いますか?盲目の兵士が高い地位を獲得できると思いますか?何かの象徴と考える方が自然です。ではロンギヌスは一旦置いておいて、もう一人の盲目なのに貫く者へまいりましょう。

・ヘズ

 北欧神話では、太陽神バルドルの母である女神フリッグは、ヤドリギを除いた存在する全てのものにバルドルに危害を加えないことを誓わせました。そんな無敵のバルドルに、神々は色々な物を投げつけて、それらがバルドルを傷つけないことを見て楽しんでいました。へそ曲がりのロキは、バルドルの唯一の弱点であるヤドリギの存在を知ると、ヤドリギで矢を作り、ヘズに持たせてバルドルを射らせました。女神との契約外だったヤドリギの矢はバルドルを貫き命を奪こととなります。この北欧神話の太陽神を殺す矢を放ったヘズもまた盲目の神です


・設定

 太陽神の命を奪う”貫くもの”の保持者がどちらも”盲目”という設定、時代も民族も違う神話なのに、自然発生や文化伝搬でここまで被る確率ってどれくらいだと思います?わたくしは魔女なのではっきり言っちゃいますけど、どっちかがパクっちゃったって考えた方が妥当でしょ?パクって塗り替えておいて「こっちがオリジナルだ!」ってやっちゃういつものパターン。どっちがパクったかは言わずもがな。何回もアップデートした方に決まってるでしょ?

 では前述の話を踏まえ映画「Matrix Revolutions」のラストを思い出して下さい。


・ネオ

 映画のラスト、”3本の送電線”をたどりマシーンシティの中枢に向かいます。「最後の晩餐」に描かれていた「雷霆のような光」を思い起こすでしょ?その途中、機械側の攻撃が激しくなり一旦上空へ逃れます。

 この時、作中唯一の”本当の光”をトリニティが見ます。しかし、盲目の救世主に手を引かれ、再び偽物の光へと向かいます。

盲目のネオの視点のマシーンシティ

 コントロールの効かなくなった船を必死に操作するトリニティ。しかし、その努力も虚しく建物に突っ込んでしまいます。そして、盲目の救世主は生きていますが、トリニティは"槍のような矢のような鉄に貫かれ"命を落とします。キリスト教の象徴の名を持つトリニティに相応しい死に様です。しかし見方を変えれば、三本の柱を上り一瞬本当の光が見えたにも関わらず、盲目の救世主についていったため、イエスの聖痕を連想させるかのように鉄の棒に貫かれ命を落としたとも言えます。

 言葉飾らず申し上げるなら、トリニティ(旧世界最大宗教)が貫かれ命を落とし、盲目の救世主ネオは生き残っておりますから、新しいOne教が旧世界の宗教を上書きしアップデートますよってこと。古い宗教が北欧神話から頂きアップデートしちゃったように。

よろしいですか。

 Matrix三部作の本当の意味は、盲目の救世主がエグザイルのシナリオ通りに動き、カオスな世界にアップデートしちゃうから気づいて〜という映画です。つまり、二元論のどっちの流れにも乗らないでよく考えましょ〜ってことです

 続編の「Matrix Resurrections」でも、救世主は再びMatrixに捕えられ、ザイオンはアイオと名を変えただけで、”人間が乾電池である根本的な秩序”は何も変わっていなかったのでしょ?

ネオを信じたからよ。

エグザイルに誘導され

Deus Ex Machina と取引をした

盲目の救世主を信じたから。

 思い出して。オシリス号の最後のメッセージを届けたロゴス号の船長であり、Matrix Resurrections で唯一生き残っていたナイオビの言葉を。

“ザイオンは過去に囚われていた。戦争を繰り返し、ある意味Matrixと同じ

Matrix Resurrections : Niobe

 本人たちは抵抗し反逆しているつもりでも、”させられている”のでは意味がないの。あらかじめ用意された”盾”に攻撃させられてるのでは、Deus Ex Machinaの演出通り。釈迦の手の平で遊ぶ猿のように、用意された舞台の上で争いを演じさせられているだけ。何よりタチが悪いのは、自分の意思だと信じて疑わぬこと。他者に刷り込まれたCodeを疑えぬこと。



Deus Ex Machina

 では建築家やエグザイルの上に位置するDeus Ex Machinaとは何の象徴でしょう?色々なラスボスのような想像が駆け巡ると思いますが、驚くことにデウス・エクス・マキナ(deus ex machina)は特定の神や英雄ではなくて「舞台の演出の名」です。

古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在「神」が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指す。

Wiki : デウス・エクス・マキナ
エピダウロス劇場

 分かります?皆さんが最後のボスだと思っているDeus Ex Machinaでさえ、舞台の演出の一つなのですよ。映画も現実も古代のシナリオ演出と同じです。解決困難な局面に陥りながらも、絶対的な力を持つ「神」のような存在が現れ、カオスを解決に導き、物語を収束させる。この演出がどのような効果をもたらすと思います?

この仕掛けは、ギリシャの観客に即座に感情的な反応をもたらした。観客は神々の出現に驚きを感じ、それがしばしばドラマの道徳的効果を高めることになった。

英Wiki : デウス・エクス・マキナ
グローブ座

 「誰でも助けてくれる救世主」というシナリオは人を惹きつけます。シェイクスピアの演劇と同じ効果で人の心を大きく揺らします。事実、昔から「誰でも助けてくれる救世主」というテーマは多くの映画や小説で繰り返し用いられてきましたし、遡れば古代からです。古き象徴と同じで、本当に威力のあるものは古代から繰り返し使われるものなのです。演劇は娯楽ではなく武器であると認識して下さい。ゆえに現代の演劇、グローブ座であるテレビも我々に対する武器です。我々の行動を綴る武器。

「家にあるテレビ」=「自分に銃口が向いている銃」

 武器として物語を利用する綴り手は何度でも物語を書き直し、次から次へと敵味方を作り出します。自分が物語の中にいることを自覚しませんと、いつまで経っても物語の中から出られません。物語の登場人物が、物語の綴り手に戦いを挑むようなもの。我々は生まれた時から物語の中に囚われているのだと自覚して下さい。

 なんとも絶望的に聞こえてしまいましたでしょうか?大丈夫、ご安心を。真にMatrixから脱出するための鍵は、我々の中に眠っておりますから。我々日本人の中に。

”希望と絶望のCodeは、ほぼ同一なんだよ”

Matrix Resurrections : Analyst 


キーメイカー

・鍵

 映画内で鍵の象徴を持つ者はエグザイルの「キーメイカー」です。日本人の鍵職人。そう、つまり我々”日本人”が鍵と言うことなの。中でもわたくしの話を理解する思考を有するあなたのような日本人が鍵。これは自惚れた魔女の自画自賛でも、お世辞でもない純然たる事実。説明するわ。

 前述のロンギヌス、ヘズ、ネオ、横一列に並べ俯瞰して見れば「盲目」という符号が読み取れました。同様に船の名前である宗教思想も横一列に並べれば、「道徳を盾にした哲学という矛」であることや「宇宙の摂理を擬人化またドラマ化すること」など、共通項が読み取れます。すべては古代科学という巨木から派生した枝葉ですから当然のこと。

よろしいですか?

 あなたは、宗教神話を横一列に並べる”ものの見方”を当たり前に行なっておりますが、この視点が持てる人間は世界的に見てもとても珍しいことなの。以下の分布図を見れば一目瞭然。

教会や信徒集団と関係を持たない人の割合の国別分布(2010)

 教会や信徒集団と関係を持たない人の割合が圧倒的に多いのが中国と日本。また圧倒的に無神論者が多いのも日本と中国であり、この両国をさらに比較すると、自由に考えられるのは共産主義の中国より自由資本主義の日本です。ある程度自由に情報の取捨選択が行えるという意味でも中国より日本です。ゆえにMatrixでは日本人が「鍵」として登場します

 最新作『Matrix Resurrections』では、ネオが再び目覚める場所は東京の電車でした。もう一つ。「目覚め」に関するあの特別な映画を覚えておりますか?


 映画「Life of Pi」でも日本人の保険屋さんが鍵でしたね。神話のように飾り立てられたパイの話を聞いて、事実を教えて下さいと言える日本人。



まとめ

 宗教思想や社会思想に囚われる事なくフラットな目線で神話や歴史を考えられる可能性が高い人種は日本人です。常識では唯一無二であるとされる神話を読んで「あれ?これ同じじゃね?」と気付いたり、常識では間違いないと定義された歴史を読んで「あれ?これ神話じゃね?」と柔軟に考えられる確率が高いのは無神論者の多い日本人ということ。ゆえに「」なのです。自分が日本人で日本にいるため己の思考の特別さに気づいておりませんが、宗教思想に染まり切った現代世界においては、無神論というものはとても特別な思考回路なのです



・Real World Code

 公開日の象徴数字をご覧ください。日本だけはっきりと「Gate」の数になっているでしょ?「119」「101」「911」は「Gate」の象徴。新たな世界の扉を開く象徴。

 船の名で象徴されるような思想には乗らず、また預言者や救世主という思想をコントロールしてくる者の言葉にも耳を傾けず、鍵と象徴される現代の日本人の特性を活用し、デウス・エクス・マキナの物語から脱出しましょう。そのために必要なものは知識。何者にも左右されない強き知識。

知識は力なり。

扉を開く力は、己の知識なり。



 来週からは現代の魔女の名に恥じぬCode Redの領域に侵入します。Matrixからあなたを本当に脱出させてしまうお話。言うなればこれまでに話してきたDecodは準備運動。ゆえにタイトル画像は選択の余地なきRed Pill Only。来週のゲートをくぐったら、もう戻れないから注意してね。



 それでは本件はこれにて締めとさせて頂きます。わたくしの綴る文章であなた様のMatrixが落落磊磊となりましたなら引き続きお付き合いをお願い致します。  

「来週からはマジで危険だぞ〜〜〜!!」

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-- 作品紹介 --


デジタルBook:『ダヴィンチコードを乗り越えて』

本:『Divine Ratio Re:Decode』

本:『As above So below』

アパレル&小物:Cavalier Camp

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