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父の主治医の退職。その理由ときっかけは。【介護チャレンジ 6】

親父の主治医が、驚きの展開に!

親父はかれこれ1990年頃から20年以上、阪大病院に通っていました。
そして、親父が亡くなる5年ほど前(2007年あたり)にふと気になって、お袋に何をしに阪大病院に通ってるの?「知らん」の一言。

そうなのだ、かつて一度もお袋一緒に行った事がなかった。え?そうなん。そんなことも知らなかった。思い立って、じゃ俺一緒に行ってくるわ。と付いて行こうとしたが2度まかれた。笑うしかない。予定時間よりも先に家を出ていた。付いてこられるのを嫌がった親父。
3ヶ月目にようやく付いて行けた。

病院では、10時頃に受付、2時間ほど待ち、薬の処方と精算でさらに2時間以上待つ。1日病院に居た気分だ。こりゃ大変。お袋連れてこないはずや。
そんなことよりも驚いたのは主治医と親父のやりとり。まあその先生の物言いがキツい、偉そうに親父を叱るように、たしなめるように、かなり上から話す。この言い方にムッとしたのを憶えている。親父はというとしょんぼりしてる。気弱そうに、気の抜けたような「はい、はい」と。見たことないわ!こんな姿!
しかも退室直後に「先生の言うこと理解できてる?」と聞くと生返事。こりゃ聞いてないわ。意味ないじゃん。1回目だったので私も様子を見ていたが、翌月の2回目以降、メモとペンを持って私から質問をする様にしました。
私に対しては敬語で喋るんですよね、この先生。

それ以降、毎月親父の肝がん進行の説明を聞きながら、治療法をひとつひとつ親父に確認取りながら、一緒になって考えていった。何度か行なった放射線治療も限界を迎え、ある日、阪大病院ではする事がなくなったから、もう他の総合病院へ移ってくれと言われた。一瞬にして突き放された気分で、もう終わりだ。この気持ちは親父も同じだったと、後で聞いた。

しかし、そんなことより、次に言った主治医の言葉に驚いた!

”ちょっとお話ししてもいいですか?
僕も今月で、ここ(阪大病院)を辞めるんです。
東川さん、息子さんの影響ですよ。こうやって毎回毎回お父様に付き添って病院に来られて、わからない事があるとしっかり尋ねて、お父様に確認を取られて。私も父が地元で開業していますが体調そんなに良くないんですよね。東川さんの姿を見ていて自分もこんな風に父の近くでサポートしたいと思う様になったんです。地元、伊勢市の総合病院に空きが出たと転職先も、うまく決まったので今月で地元に帰ります。
東川さん、今までありがとうございました!”

呆気に取られました。そんなことある?
最初の出会いは最悪な先生!こいつ、ナニモンやねん!と敵意むき出しでいた私。
しかし、私ではなく親父の主治医なので2回目以降は冷静であったと思います。そんな私のことを見ていたんですね。この先生。
不思議な感覚がある中、阪大病院を後にしました。


⚫️東川哲也 official web site
http://asone-labo.com

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