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成りたい時も諦める時にも確認したいこと



1.あきらめるかどうかを決める転機に来ているのかも


どうでもいいほどに年を取ったはずなのに、モヤモヤしてしまうということがあります。

日々を無駄にしている、というモヤモヤ感です。

わたしは、いつか作家になってとか、いつか少年たちをサポートする仕事に就こうとかしつこく思ってる。

でも、「いつか」と言ってる時点でもうアウトなのです。

淡い期待をじぶんに抱かせて、何かを先送りしている。

じぶんのことなのに、その何かをうまく問えないというもどかしさがある。


ある記事を読んでたら、その人はアドバイスされたと書いていた。

「もしかしたら、小説家をあきらめるかどうかを決める転機に来ているのかもしれないですよ」と。

その言葉に激しく動揺したという。

諦めろと言われたわけじゃなかった。転機かもと言われただけだった。

なのに、目の前が真っ白になるくらいにドキドキした。

あきらめるかどうか、なんて、今まで考えたこともなかったという。


人は成ろうとはするけれど、諦めようとはなかなかしない。

衝撃的だったと言う。

先送りさせていた自分のシッポをつかんだからでしょう。

動揺したほどのシッポって何だった?



2.成りたい時の前提がやばい


わたしにも、何かに成ろうと思ったことがたくさんあった。

ぜったいこの閉鎖的な村を出て大学に行こうと思った。

会社でも人に負けまいとしマネージャに成ろうと思った。

実際にかなりの時間と労力を投入し、その通りとなった。

が、成ろうと思ったことが実現しても、わたしは満たされなかったのです。


欲と恐れがあなたを修飾してしまう。

良い大学を出て、良い会社に入りたいなんていうのは、まさに安全安心を求めたからです。

欲と恐れがてんこ盛りだった。

仮にその願いが実現されても、次の欲と恐れが頭をもたげて来た。

いつまでも満足するということが実現されない。

欲と恐れが無いなら、思考が入り込む前に既に行動に移っている。

気が付くと、じぶんが前に進んでた。結婚はまさにそうだった。


「成りたい」と思ってしまうのはもう仕方無い。でも、そういう時は、自分への問いがいる。

わたしは何かを恐れていないか?

だからそう成りたいのじゃないのか?って。


意外なことに、「成りたい」という欲の後ろの、さらに後ろにいつも「恐れ」がいる。

恐れること自体は生き物として自然な感情です。

恐れが無くなってしまったら、かなりやばい。ヘビも掴んでしまうし、車を避けようともしない。マスクもつけない。

恐れの感情は動物としては「正常」ですが、それらを自分自身に隠すのは人間としては「異常」です。

自分自身を偽ると、ずっと”後ろめたい感”がそばにいる。後の暴走を許してしまうかもしれない。


ときどき、昇り詰めた社長さんたちがうっかりセクハラやって首になってる。

政治家にも芸能人でも起こるのは、それは”うっかり”ではないのです。

隠し事された自分自身が、自分に仕込んでおいたことに思えてしまう。

辛口過ぎますかね?

他者の人権を踏みにじるなんてケダモノ以下でしょう?

だから、自分自身を偽るということはそもそも重罪なんです。

でも、誰もこの心の中は見ないから、長い間バレない。


恐れ・・・それらは必要悪だぐらいに仲間にしておかないと、と言いたい。

成りたい時、その仲間に聞いて確認してみる。

それでも前に進みたいのなら、もう後悔も暴走も起きないでしょう。



3.ベンチマーク


成るのを諦めるのも、同じことでしょう。

自分の欲と恐れを確認できないと、いつまでも諦めない。

「自分のほんとの願い」とは、他者の目、世間の目をはずして確認したことです。

たとえ、誰になんと言われようと、後に後悔しようと、ぜひに願うこと。

だから、ベンチマーク(評価指標)はこうなります。

「成ってから達成したいことが自分にあるのか」。


とても残念なことに、わたしにはそれが無かった。

わたしは、作家というマネをしたいだけだった。

それでチヤホヤ言われたら、満足できる。じぶんが一角の人物だという証が立てれる。安心できる。

ほうら、欲と恐れにいる、わたし・・。

わたしは、「作家に成ったらしたいこと」は、考えていなかったのです。

成ったら、もっと書かねば売れねばとしかイメージできない。

これでは、仮にそう成ってもしあわせには成れないのは明らかでした。

「そう成ってからやりたいこと」をクリアにしておくというのが、とっても大切なポイントでしょう。

こんな人たちがいました。



4.成りたい総理と、やりたい大統領


2024年1月現在、自民党総裁のKさんが総理大臣をやっている。

わたしも10代の頃、信長か総理大臣に「成りたいっ」とおもった。

周囲は総理、総理と崇め奉る。一角の人物と見なされる。きっと、孫も自慢してくれる。

彼は「総理に成りたかった人」ではあるけれど、「総理に成ってやりたいことが有る」というタイプではないのです。

Kさんは、たぶん、自分のことは”調整”やら”気配り”がうまいと思っている。

いや、いろんな寄せられる要求のベクトル合成の先のことしかやれない。

なにがなんでも総理に成って、ぜひ遂げたいというものがない。(コイズミくんやアベくんとはそこが違う)


彼は常に人目を気にしていると思う。

「総理として」とか、「私が率先して」とかいう自己意識過剰な発言が多のは、自分が「総理に成りたかった人」だから。

その証拠に、彼が言う言葉に具体性と一貫性が無い。

政策がふらつくと、人民は信用しなくなり、史上最低といっていいような支持率がこうして実現されている。

やりたい総理ではなく、成りたい総理ではねぇ。。

みんなは、やっぱりそこは嗅ぎ分けますって。


彼は無能では無いのです。優秀でしょう。

でも、総理に成りたかっただけの彼は、いざ成ってしまうと誰に向かって何をしたらいいのかが分からない。

ぜひ成し遂げたいというものがそもそもない。

党の重鎮とか、パワープレーヤーの忠告ばかりを聞いて歩いていると思う。

悲しすぎるほどに典型的なのです。

総理に成りたいなんて思わなかったなら、きっと優れた人と言われてたかもしれないのに。

わたしには、世論からぼこぼこにされてまでしがみ付きたい地位には思えない。

わたし、ほんとに総理に成れなくて良かったです・・。(あんな惨めな仕事に憧れたなんて・・)



2016年、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれた前ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカさんが来日した。

写真をUpしましたが、第40代大統領を務めた彼は、報酬の9割を財団に寄付し月1000ドルで生活した。

なので、彼は「世界一貧しい大統領」として知られました。

個人資産は、フォルクスワーゲン・タイプ1 (1987年製)とトラクター、農地のみ。

大統領官邸には住まずに、首都郊外の質素な住居で暮らしてました。


講演の中で、ムヒカさんは「地上にあるもっとも重要なものは“愛”」であるということ、

「貧困というのはモノの問題ではなく、一番大きな貧困は孤独」だと語りました。

マザーがかつて来日したシーンに重なりました。

我らの総理とはモノが違ってた。ずいぶん格上だった。


「単に観光目的で、長旅をしようなんて思いません。

ここに来たのは日本から学びたいと思ったからです。日本でしてみたい質問がたくさんあります。

人類はどこに向かっていくのでしょう。世界の将来はどこに向かっていくのでしょう。

日本は、世界でも非常に優れた工業先進国です。ですからこそ、そうした質問をしてみたい。

どんな世界を夢見ているのか、それを考えずして私たちに未来はないのでは」と公演がなされた。

もちろん、「日本は進歩を遂げた国だが、それで本当に日本人は幸せなのですか」とも問いかけた。

80歳だった。


なぜこんなに躍動する精神なのかというと、彼は政治屋ではなかったのです。

1935年にウルグアイの首都の貧困家庭に生まれました。

大学卒業後は家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら、1960年代に入って極左武装組織に加入した。

ずばり、ゲリラ活動に従事した。

彼は6発の銃弾を受け、4度の逮捕(そのうち2回は脱獄)を経験した。

1972年に逮捕された際には、軍事政権が終わるまで13年近く収監されます。


で、出所後、ゲリラ仲間と左派政治団体を結成し、1995年の下院議員選挙で初当選を果たします。

2005年にウルグアイ東方共和国初の左派政権の下で農牧水産相として初入閣。

2009年11月の大統領選挙戦で勝利する。戦った、激動な人生だった。

支持基盤であった左派労組、特に貴族労組にも言うべきことは言っていますし、

キリスト教的に異端である同性婚や妊娠中絶を合法化もするなど、様々な手を打っている。

大統領と成って、ぜひに実現したいことがあった人だった。



5.足元に答えが


「もしかしたら、小説家をあきらめるかどうかを決める転機に来ているのかもしれないですよ」とアドバイスされ、その言葉に激しく動揺したという冒頭の人はこう続けていました。


冷静になって考えれば、今後もかなえられる可能性がないものたちだった。

それなのにやせたら着れるようになるかもしれないと思って、いつまでもクローゼットにしまいこんでいる。

ずっと今とは違う小説家になりたくて、でも何かがわからなくて、今までやってきたことともつながらなくて、うろうろしていた。

何を書きたいのかと言われても、答えられなかった。

クローゼットにくしゃくしゃになってしまいこんでいたものを、全部あきらめて、捨てようと思った。

そうして、今気に入って着ている、小説家+ライターという自分の立ち位置を、

もうちょっと楽しんで進めてみて、これまでにあまりいない小説家になろうと思った。

https://note.com/kanchiku/n/n52d7fc30daf3


動揺した後、シッポをつかんだ。その方は、分裂していた気持ちがひとつにまとまってすっきりしたそうです。


意外なことに、わたしたちが普段していることに答えがある。

そうしたいから日常で既にしている。

それは世間からは無視されるけど、わたしがやりたいことで、わたしが出来ることを既にしている。

成りたいことなんか、普段はしないのです。

成りたい!と思考が声高に言って来て惑わせる。でも、恐れや欲をはずして眺めてみると、足元にいつも答えがある。

「成りたい」は外の目を意識しているけれど、「そうしたい」「そう在りたい」は内から湧いている。


ムヒカさんは、大統領に成れず、途中で獄中死していたかもしれません。

じゃあ、成れなかったら、それは無念だったか?

いや、彼は、成りたいよりも、そうしたいという人だったと思う。

したいことの日々が積みあげられ、結果として大統領となっただけの。

だから、報酬の大部分を寄付し、月1000ドルで生活して平気だった。

成るという自分のことより、仲間の切なるしあわせを願ったから欲と恐れに捕らわれなかった。

いや、それほど人たちが苦しんでいたのでした。

来日された際、素敵な笑顔の人がいたと、わたしは思った。


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