戦いが終わる時 ― 仕事の終わり方
ことしの出来事筆頭は、停年退職。ようやく長いながいサラリーマン生活が終焉した。
さばさばとサラリーマンにさよならし、わたしは年金生活者となった。
さっそく誰も知らない関西へと引っ越し、かのじょのお義母さんを引き取った。
60歳で停年となっても年金来ません。だから、継続して再雇用を5年間しました。
以前にも書いたのですが、収入は1/5以下に。誰もわたしに期待しないし、評価もしない。
小学校にいた用務員のおじさんみたいな影の存在に。
で、5年間が終わり、夕礼でみんなが集まった。
わたしも40年間いろんな人を送り出して来て、ついにじぶんの番が来た。
わたしは、想いだけがあり、その場でじぶんが何を話すのかを知りませんでした。
口がこんな話をした。
「まず、マネージャーの〇〇さん、同僚のNさん、Sさん、みなさん、に厚く御礼を申し上げます。
去るにあたって今感じていることを少し話します。」
「わたしは、ずっと競って来ました。バカにされまい、負けまいとして来た。嫌なやつだったでしょう。
でも、再雇用者となってしまうと、もう誰も競ってはくれません。
相手にもされないわけです。給料も激減した。
ここでの存在価値がまったく無くなった時、じゃあじぶんはどうするのかと考えたんです。」
「じぶんが今までの実績や知り合いに頼らないようにと、知らないこの事業部への配属を希望しました。
そして、マネージャーには困ってるメンバーのサポートを申し出ました。
見ていれば誰がもっとも困ってるってわたしにも分かる。
わたしは企画や計画の業務が長かったので、彼らの苦労もだいたい分かる。
マネージャーは了解してくれました。
わたしは、主役が期待されないのならと、サポート役をすることにしたのです。
でも、みなさんも思ったと思うのですが、気難しそうなじいさんにいったい何が出来るというのでしょう?」
「さいしょ、SさんもNさんもわたしを疑いました。
まったく見返りを期待することなく、わたしが純粋にサポートしてくれるなんて想像できなかったでしょう。
また、そんなふうにサポートされた経験も無いのです。
みんな、仕事の押し付け合い、成果の取り合いですから。
でも、かれらは仕事に忙殺されていた。
ねぇ、して欲しいこと無い?ってわたしは聞く。ねぇねぇ、困ってることって何って聞いた。
だんだんと仕事をわたしにくれるようになりました。
わたしは早く深く解決することを目指しました。
わたしは、サポート意外に仕事が無いので暇なわけです。
で、わたしが出来たよって返す。
そうすると、かれらはほんとうに喜んでくれたんです。」
「今まで、わたしの存在価値はじぶんが出来るとか、偉いとかで見て来ました。
でも、ここでは同僚のSさんやNさんが喜んでくれるというのが唯一の指標になったのです。
嬉しいんですね。
じぶんでも意外なことに、ほんとうに助かりました、ありがとうございますと言われると。
わたしは嬉しいから、また、ねぇ、して欲しいこと無い?って聞く。
ねぇねぇ、困ってることって何って聞いた。
そういうやり取りが段々と自然に交わされるようになって行きました。
もちろん、SさんもNさんもわたしにいろいろ文句はあったでしょう。横柄だとか。
けれど、確かにかれらの仕事がさばけるようになっていったのです。」
「で、最後に言いたいのは、ほんとにここで良い経験をさせてもらいましたということです。
じぶんの利益、じぶんの虚栄があるから、ずっと負けまいと競って来た人生だった。
わたしはじぶんのために働いて来た。
それが、はじめて同僚の喜ぶ顔のために働いたのです。
誰にも何にも期待されなく哀れな身となった時、初めて仕事が楽しいと思ったのです。
わたしは、SさんやNさんに会えると思うから、ここに通ったのです。また会えるのが嬉しかった。」
「みなさんは、これからも長く働くでしょう。
どんな対象でもいいと思うのですが、誰かのためにと働かれることを願います。
働くって嬉しいことだと言っていたおじさんがいたことをふと思い出してもらえたら、わたしは嬉しい。
みなさんはとても、わたしに良くしてくださいました。
ほんとにありがとうございました。
さようなら」
30代、40代の人たちは特に競います。負けまいとふんばる。
最初はただの挨拶だと思っていたようですが、かれらも真剣に最後まで聞いてくれてたように思います。
わたしは、偽りの無いじぶんの想いを述べた。
職場では競うから、気が抜けません。警戒モードのところに、上司から無理難題降りて来る。孤立無援なわけです。
わたしはたまたま40年間、それに耐えれたのだけれど、心身を壊していたとしても不思議では無かった。
きっと職場のみんなも、孤独だと思う。楽しくはないでしょう。
嫌で嫌で会社に行きたくないでしょう。
でも、誰かが喜ぶというのはとても貴重な経験になったのです。
わたしがバカでも欠点だらけでも、もしその人が少しでも喜んでくれたら丸なんですから。
わたしは、会社や仕事や上司が嫌いなわけではなかったのです。
競おうとするじぶん自身が嫌だったのです。
きっとわたしたちは、ここに来たくて来たわけではない。はず。
で、あくせく足掻くのですが、その戦いもいつかは終わる。
そして、人はさようならと言う。
さようならは、「然様(さよう)ならば」の変化した語で、もともとは、それならば、それではという意味の接続詞だった。
だから、ようならと言ってもただの接続詞でしかなく、我(が)は続いてしまう。
いいえ、わたしはもう競うという惨めさに飽き飽きしたのです。
ならば、戦いには、終わり方があるのです。
全て負け、焦土と化したわが身を泣かないとならないでしょう。
もうしがみ付くことが出来ないほどに、ちゃんと泣く。
きっぱり諦めたとき、ほんとに大事なことが見えて来るかもしれない。
いえ、ほんとのことは、とても単純なことだったのです。
誰かが喜んでくれ、それを意気に感じてじぶんもまたがんばっていた。
他者の喜びが、ほんとに自分をしあわせにしてくれた。
だから、負けないといけないことがある、負けてもいいんだと。
ちゃんと負けないと、つぎの地平線は開かれないとわたしはみんなに伝えたかった。
みんなが喜びの生となることを願いました。
さようならば、これにて御免。
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