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BAD NEWSとクイーンの猥雑性

WOWOWでフレディ追悼ライブやってましたので、再アップします!

映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットの日本。もともとデビューから、ルックスで大人気(そこ、笑わない!もともと美形バンドです)、楽曲の叙情的メロディー(こちらはほぼフレディ・マーキュリーの楽曲)の印象深く、さらには、途中途中で、CMやドラマ主題歌に採用されて、どの世代でも印象に残っていますから、みんなの心理をくすぐる要素はたっぷり。映画も感動的シーンを散りばめてますから、世代間の捉え方の違いはあれど、「観れば納得♪」でしょう。

私の世代(50代前半~40代後半)ならば、「クイーンだけのファン」を公言している人は少なかったけど、ロックDDからは、「押さえとかなければならないバンド」の1つだったし、MV番組では、ライブシーンが登場するので、「ロックカタルシス」を感じていた人は多かったはず。

そんなクイーンが、ハードロック系ファンやら、ヘビーメタル系ファン、パンク系ファンから、いまいちな扱いをされていたのは、その多様性が理由でしょう。

ハードロック的だったり、バラード的だったり、ソウル的だったり、雑多な集合体なアルバム。もちろん、ハードロックだとバラードあったりしますけど、それとはまた別の、なんなら「カラオケで歌ってもOK」な、はっきりしたメロディーが存在しているのも、ピンとこない理由だったのかと。

レッド・ツェッペリンを「カラオケ」で歌う人はいないでしょ?(笑)レインボーならば、後期ファンは歌いそうですが(笑)

そんな雑多性は、MVにも現れており、「ブレイクフリー」での女装(笑)それも4人とも……フレディにいたっては、ミニスカにおっぱい入れて、顔はあのままの髭ヅラという、ホラー映画か、ハロウィンか(笑)。新宿二丁目の悪夢そのままでした。

カッコいい=ロックという図式から、極北にあるような雰囲気を見せたりするにも関わらず、ライブになるとカタルシス抜群な感動の連続放射。楽曲は日本人好みだし、ライブも代々木体育館や西武球場(現メットライフドーム=西武ドーム)など大観衆が集まってましたから。

なんというか、「ロックバンドのパロディー」に見えていたのですが、日本発ロックバンドは、笑いの要素とかエンターテインメントを差し込むバンドがその後に続出したので、「クイーンのステージがいい!」と思った人がいて、クイーンからの影響を受けたバンド(音楽性は違っても)、たくさんいたということでしょう。

フレディ・マーキュリーがまだ存命中の1987年に登場し、ロックファンを爆笑に叩き込んだバンドが、「BAD NEWS」です。調子外れがずっと続く、「ボヘミアン・ラプソディ」。歌い出しから音程が凄い位置にからスタートダッシュ(笑)

ギターソロは、「うろ覚えの初心者ギタリスト」がやりそうな外し方は、絶品です。

スケール感が分かるようになると、「フレットは、真隣よりも、2つ隣を弾くとほとんどOK」というギターソロ不文律があるのですが、ソロメロディーだけを追いかけるから、真隣においてしまう。ピアノで考えると簡単で、白鍵→黒鍵を連続で押さえていく感じ。それでも大丈夫なスケールもあるのですが、メロディーを追っているから、聴いてる側はズッコケるしかない調子外れなメロディーが飛び出すのです。

「これは真似できない」とロック少年たちに絶望を与えた「ガリレオコーラス」の見事な外し具合。ハモリってなんだっけのような、「声質だけ」を変えて、同じメロディーを微妙にズラして歌うという、耳障りなコーラス。

「アマチュアバンドが、ボヘミアン・ラプソディに挑戦したら失敗した」パターンを完璧再現していたから、自分たちのこととは思わずに、形而下の大笑いだけを受け止めていたわけです。

本家クイーンのギタリスト・ブライアン・メイが認めて(笑)、別曲ではプロデューサーを務めているから、クイーンは、「センスの良いパロディー」として受け止めたでしょうね、BBC的なセンス(ラトルズとかモンティ・パイソン)として。

クイーン自体が、多種多様な音楽を「好きこそものの上手なれ」で昇華させている雰囲気ですから、パロディーとはいえ、ちゃんと研究してるのが分かりますから、気に入っていたんじゃないかなと思います。

ちょうど、「イートイット」(ビートイットのパロディーソング)が流行ったり、同じロックバンドとして、MVだけはネタものだらけの「ヴァン・ヘイレン」もあったし。この両者、ライブの評価が高いし、アルバム内の楽曲が多様性があるのも似てます。

ヴァン・ヘイレンの話は、第1期デイブ・リー・ロス時代限定ですね。さらに言うと、フレディ亡き後、ポール・ロジャース、ジョージ・マイケル、アダム・ランバートと変えてツアーしましたが、あれもライブのカッコいい面だけを見せていますから、どちらも本質的主役不在になってしまったのでしょう。

エディー・ヴァン・ヘイレンもブライアン・メイも健在なのですが、なんか違いますよね。

精神性としては、芸術からコメディーから飲み込み、音楽は好きな部分を主張しているクイーン。フレディ・マーキュリーのステージでの立ち振る舞いや、ゲイを前面に出したスタイルは、その完成系です。

感動映画に文句などありませんし、良い作品ですが、ある意味、クイーンの一面だけを捉えているような気がする。それが必要な時代なのかもしれません。

「真面目な時代」であり、「ふざける」ことすら、犯罪まで進む閉塞性の時代。

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