沖縄帰省中の感想 その1
久々に沖縄に帰省している。
(久々、と言っても妊娠出産育児挟んで二年ぶりくらいだが、生まれてこのかた沖縄を二年も離れたことがなかったのでそう言わせて欲しい。)
今はその、沖縄の、実家の、元は兄貴たちの部屋で現・猫のチクワ氏ナワバリに敷いた布団の中に入ってムスッコの寝息をBGMにタプタプ書いている。
寝る前に改めて、沖縄ってこうだなというベタ中のベタを実感の内に書き留めておこうと思ってね。せっかくだから。
というわけで、以下、沖縄帰省中の感想。
湿度高い
那覇空港から出る前に誰しも気づくことである。
数字は見ていないが、この時期の小雨の中のこの湿度、ハッキリと不快である。呼吸すら心なしか苦しい。
乾いているはずの畳まれた洗濯物を掴んだ時、その空気中の湿気を孕んだ布の感覚がなんとも懐かしい。
また、ドライアイ気味なのだが少し軽減されてる気がする。水分の蒸発が抑えられているからか。
食器を洗う母の素手に、手袋しなよと諭すも、さほど荒れていない指先に驚く。界面活性剤と共に流し去った皮膚表面の脂というプロテクターが無くなっても水分が蒸発しにくいので荒みにくいのかもしれない。ハンドクリームやボディミルクの存在意義を見出だせなかった昔を思い出す。
コンクリートブロック塀にカタツムリが這う、アフリカマイマイが這う。家人は驚いていたが、それはまだミドルサイズだ。もっとでかいぞ。
紫外線が強い
両親の目の悪さが加速した。紫外線に瞳がやられて瞳が茶色。沖縄の高齢者の目。サングラスをかけましょう。
小雨が上がり曇天、傘をさす人。沖縄の人の雨の判定はゆるく、本土では完全に雨とされるものは雨と認識していないので傘を持っていてもささずに歩く人が多いが、曇天でさしている傘は日傘だ。曇りでさす傘を、小雨だと畳む。兼用だが、雨とも言えない小雨に対して傘をさすという行為をするのをなんとなく嫌っている様子。
死の話を聞く
久々の帰省で、親戚や知人が顔を見に来てくれるが、他愛もない世間話に死が混ざる。とくに動物の死。
今日は兄と歩いていて、子どもの頃の思い出としてそこによくコウモリの死がいが落ちていた話をされたので、僕はそのスポットで小鳥の死がいを二羽拾って埋めた話をした。
帰宅後、来てくれた人が、どうも近所の亀が死んでるように見えたがその後見ないので多分死んだと話す。
前回沖縄に来たときも、海辺でヤギの骨がたくさん落ちていたので、誰かがヤギを盗んできてそこで食ったのではないかという話を聞いた。「あんな所でヤギを捌いて食うのは違法だ」と言っていたが、調べてみるとどうやら屠畜場法というものに違反しているようだ。
豚を拾って警察に行ったら落とし主が現れなかったら譲りますがそれまでは食べちゃダメと言われたと話す人や、道の真ん中に鶏がひっくり返って死んでいたが新鮮そうだったので食べた人の話など、何かと死んだり食べたりする話を聞く。
そういう話はただの世間話か面白話として語られる事が多く、実際聞いていると不思議とユーモラスさを感じてしまうのだ。
名前をつけて可愛がって飼っていたヤギが祝いの席で潰されて汁になって出てきたので泣きながら食べたら美味かった、みたいな話もあるあるや笑い話のジャンルに振られる。
他にもあるだろうが、明日も朝から動くので今日はこの辺でやめときます。
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以下、有料部分には「お礼」と「関係の無いオマケコーナー」くらいしかありません。
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