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おめでとうは言わないで!

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撮影:前谷開

私は春に生まれました。お誕生日の月です。

36歳になりました。色々な日々を重ね、桜の木の下でこうやって立っていますね。すごく豊かに今歩んでいると思います。日本で4月ははじまりの時、動き出す時、出会いと別れの季節なんぞ言うこの月ですが、皆さんはいかがお過ごしですか?

今日はこんなお話をしてみようと思います。前回も話しましたが、進めます。

「おめでとう!なんて言わないで、何一つめでたいことなんてないさ」

です。今日は少し視野を狭く話してゆこうと思います。
以前でもこのnoteでは私の振付家としてのやったるぜ〜な気持ちの他に、9年間の不登校時代のことや今考えている事なんかを話して来ました。今日はもし、たまたまこのnoteを見てけてくれたあなたが、春なんか好きじゃないって気持ちの中にいたら寄り添えるかもしれません。

私の春は真っ暗でした。

なぜなら、何もしていないのに、よくわからない「おめでとう」を言われ、何も上達していないのに学年が上がり、誕生日を迎える。

ちっともめでたくないし、何も頑張っていないのに一つ先のレベルに進み、与えられる問題はレベルアップしてゆくような気持ちになり、私と学校(社会)との溝が深まる季節であったから。

不登校児にとって、そしてその家族にとって、毎年春というのは戦いの季節なのです。現状が何も変わらない中で、学年が上がる場合は「在籍校にトライするのかしないのか」小学校から中学校に進級する場合は学校単位での話し合い、つまり校長先生も巻き込んでの意思表示と家族が学校におけるポジションについて話し合いとなり、対応をが決まって行きます。大切に向き合ってくださる教育環境がある場合もあれば、腫れ物に触るように、そしてさり気なく生徒本人含め家族ごと孤立化してゆく場合もあります。そんな状況で周囲から

「進級おめでとう!もう○○年生か!お姉さんになったね!」

なんて言葉をもらったら惨めになる、そして学校に通えず何も勉強してこなかった1年間の私の脳みそは1年前の春と何一つ変わっていないのに、進級してゆく意味がわからなかった。決定的に周囲との遅れを実感する季節が春なのです。

過去の私の記録note読んでくれるとさらに話がわかります。


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お誕生日に大好きなミロコマチコさんの個展に行きました。

私はミロコさんの色彩感覚がすごく好きで、エッセイを読んで生き方が、人柄がとてもファンになりました。今回の横須賀美術館での個展も本当に素晴らしかった。

私がどうやって春を乗り越えてきたか、誕生日におめでとうをちゃんと聞けるようになってきたか。

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撮影:前谷開

お祝いお昼ご飯は横須賀の最高な海のご飯屋さん。ミナペルホネンのワンピを着てのこの料理はいい感じの自由を感じますね。
自由は不自由あっての自由ですね。

さて、私の春から解放されたのは多分大人になってから。20歳を過ぎてから。いや30歳を超えてから、いや、わからない。

でもゆっくりと、自分の持ち場で景色を掴み、眺め、この世の中に自分の価値を少しづつ少しづつ感じ、「おめでとう」と誰かに言えるようになってきてからだと思います。

もし、今のあなたが「おめでとう」を聞きたくなかったり、受け入れることができなかったら、それは仕方ないのでそれでいいのです。ただ、歳を取ってしまったその身体を無駄とは思わないでください。確実に蓄積したあなたの経験が1ミリはあります。いやもっと。自身の持っている能力の視野を広げなくてはなりません。

前にも記載しましたが私たちは無意識で決めつけている能力評価があると思います。例えば、

コミュニケーション能力

と聞いて、思い浮かべる性質というのは、話が上手で環境に対して気が利いて、空気読み取り場を円滑に進めるリーダーシップや、分け隔てなく初対面を含め対話ができ自身を紹介できる人

そんな人がコミュニケーション能力が高いと勝手に考えていることが多いと思うのです。

私が不登校支援活動をしている中でいつもサポートしてくださっている教育支援をされている滝田先生はおっしゃられました。

コミュニケーション能力というものがどういうものなのかをもっと我々大人たちは、教育者たちは知らなくてはならない、全く話さない子がコミュ症と言えるのでしょうか?いや違う、彼等彼女たちはちゃんとコミュニケーションを取っている。目線や、皮膚や人との距離で意思表示をしっかりとしている。本来のコミュニケーション能力は受け手を指すものである。そういった五感を使った意思表示を受け取り対応できる能力がコミュニケーション能力が高いというものであり、「発言ができない」という状況に対して、不足しているという認識を与える、または持つことは全くお粗末な結果である

とお話しをされていた。私は凄く素晴らしいと思いました。ダンサーも多いんですよシャイな人が。というか本心を話すことが出来ないから踊っている、動くことが言葉として活用しているということもあります。

春はコミュニケーション能力が試される時です。だからどうぞ、このnoteを読んでくださった方は発する事ではなく、受け取る能力についても考えて欲しいです。そして上記に述べたように1年前の私が学校にいけなかったり、お家にいて、1年後の今日も同じだとしても、無駄ではありません。今、あなたは私のこのnoteを見てひとつ知ってくれたから私のことを。世界を広げてくれているから自分の視野を。もし今の自分におめでとうも言えないし誰にもおめでとうも言いたくなかったら、

「全然めでたくないんですけどーーーー!!!」っと部屋の中で言って見てください。それでも生きているってすごく現実的に具体的に向き合えていてまじかっこいいです。ロックです。私はそうやって36年間生きてきてる。

私は知っている、社会に取り残されている風になっている家族のことを、あなたのことを。でも逆側から見てください。

あなた、社会引っ張ってますから。

だからね優しさを持つんです。威張るのではなく、優しく「全然めでたくない!」っていうんです。そして、自身の事を悪気なくちゃんと説明してあげましょう。だって向こうは分からないから。申し訳なく、ダメだと思って説明するんじゃないんです。当然の権利として当たり前のように丁寧に自分の意思表示をしましょう。そうすると少しずつ優しいあなたで春が見えてくる嫌いな桜がちって新緑が出てきたことに「おう!」ってなります。そして来年の桜見てやろうかなってなります。

あなたは何も遅れていない。桜が嫌いで春が嫌いでおめでとうがあまり好きじゃないだけだ。


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そんな気持ちを持っていて、そういう背景の後ろに私の作品の軸があります。家族との向き合い方があります。そして社会へ意思表示してゆきたい現実があります。

6月18日に自主公演を行うことになりました。

私自身が向き合ってきた「朝」「朝ごはん」について踊りとして作品にします。ぜひ見にきて欲しいです。

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素晴らしい仲間たちに支えられながら今日々稽古をしています。

誰もがみんな何かを抱えている。表現の素敵なことはそれぞれの背景は関係なく、作品が対等に鑑賞できること。でも滲み出ちゃうものはあります。

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「Drowning in Breakfast」

日程: 2022年6月18日(土)
会場: 神楽坂セッションハウス
時間: 昼の部 開場13:00/開演13:30
    夜の部 開場18:00/開演18:30

企画・制作:神楽坂セッションハウス
演出・振付・構成:asamicro
出演者:asamicro / TAIKI (TERM-INAL / Novel Nextus / yygcru) /
egg life dancers(愛由 / 髙橋春香 / NAKI”)
舞台美術:庄司はるか
朝ごはんオリジナル楽曲:DAWU
衣装:to-te
フライヤーデザイン:モトムラアヤコ

来場チケット予約
https://session-house.net/reserve.html

オンライン視聴チケット予約
https://eplus.jp/sf/detail/3600720001

お問い合わせ
神楽坂セッションハウス
03-3266-0461
mail@session-house.net

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ぜひ劇場で会いましょう。春が大っ嫌いだったasamicroは今どんな動きをしているのか、あなたの目線で捉えて欲しい。そして、今のあなたをどうぞ肯定して欲しい。

私は誰のものでもないけど、

あなたのことを決して奪わない。そしてコミュニケーション能力を持って

「おめでとう!あなたの春!」

と言いたい。

asamicro



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