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こんなにもギリギリで生きている。嗚呼美しく今日も踊っているのだ。

ドン!!!

最近の踊りです。
京都にあるギャラリーショップ VOU /棒 さんからコラボ作品として販売されている 最後の手段 さんのカエルグッツのPRダンスをさせてもらいました(^ー^)前々から大好きなお店でしたので関わることが出来て本当に嬉しです。他にも写真や動画アップされていますのでVOUのインスタグラムを是非ご覧くださいね。

さて、

撮影:前谷開

あけましておめでとうございます。今2月です。
気が付いたら2022年更新していませんでした。一生懸命に生きていたらもう2月でした。ではお久しぶりなので、論文のように長いブログを書こうと思います。

ジャムセッショ① 踊る秋田のファイナル

ディレクターの山川三太さんと

2021年度の石井漠・土方巽記念 国際ダンスフェスティバル
『踊る。秋田』のファイナリストとして選出していただき、そこからコロナ禍による影響でとても残念だが秋田での開催が中止になりました。

ですが、山川さま運営の皆さまの思いで、映像審査へと変わり高円寺にある
座・高円寺 での映像収録というかたちで年明け早々行ってきました。なので今年は1月2日からスタジオでの稽古を重ねた幕開けでした。大変だったけど踊り手としてありがたかった。他の方の演目は見ることが出来ませんでしたので分かりませんが、お名前はご活躍されている方々ばかりですし、自分は本当にやれる事しかできないので、とにかく踊り終わった後の自分自身が気持ちよくご褒美のカフェでも行きたくなるようなパフォーマンスをして帰って来ようと決めたていました。
当日は舞踏評論家の乗越たかお様にも自分の踊りを観ていただけたので幸せだった。そして山川さまにもとても温かい感想やエールを頂けました。

このnoteでも何度も、何度も呟いている。泣きそうになっている。いや泣いている。

“私は焦っている”

私は今35歳です。2022年春で36歳です。
サザエさんよりも10歳くらい年上だし、世の中のOLでいったらそれなりに良い地位でお仕事しているの?それすらわからない。その物差しから話すつもりもなくて、ダンサーとしてもだけど、

私は20代の10年を地元の小さなダンス教室を支える為に鬼講師として務めてきました。子どもたちを有名なコンテストに出させて、そして教室が有名になるにはどうしたらと考え、自分の出番は発表会で良い感じに踊る事。毎日毎日保護者と生徒のみのコミュニティで踊ってきました。得てきた情報は10代のダンスの専門学校時代から20代は並行してクラブシーンで同期と踊ったりバトルに出たりもしていました。恩師でもあるHIPHOPバトラーKENTOさんの元で学びながらナンバーや時間を共にすることが唯一微かに自分がプレイヤーだと思えていた瞬間でした。多くは地元のダンス教室で「講師」として自分を守ってきていたのだと思います。その事をリスペクトできないのではなくて、そこに驕りがあった私がリスペクト出来ず嫌いだったんです。
そして色々悩んで決断し、30歳の頃にスタジオを辞めて
俺、フリーターになるっ! なんかそんなドラマありませんでしたっけ?30歳でインストラクターって肩書きがなくなり普通にフリーターになるって所からまず少し落ち込み(いま思うと全く大したことではない)歩んで行きます。

この少し前から、鬼講師の傍、教室を離れるとお菓子づくりや写真を撮ることがずっと好きでした笑。生徒や保護者には全く想像されないと思うけど、私の生き甲斐は夜な夜なジャムを作ったり、撮影しにいったり美術館に行くことでした。少しだけ写真も習いにもいっていましたね。以前にも話しましたが写真家の佐内正史さんにとても憧れていました。

佐内さんの写真集を見て、私もこんな感じで世の中を歩きたい。生きたいって思っていました。
またもう1人私を写真好きにさせてもらったのは川内倫子さんです。
川内倫子さんは誕生日が全く同じなので勝手に親近感を持ち、また美しさの中にいつも少し寂しいっていうところが私はとても居場所にも感じていました。

そんな所から徐々にバリバリダンスはダンスだぜ!から「シンタイヒョウゲン。。こんてんぽらりー?!。。。」とぼんやりと触れていきます。言葉をまず知っていきます。そのレベルで30歳スタートでした。

そしてバイトも一気に変わり新しい仲間や居場所もできてきます。

撮影:吉田司

2018年処女作「朝ごはん」

色々捨てて、31歳で初めて「コウエン」というものをやりました。今でも思います。私は処女作でこんな素晴らしいアーティストの方とご一緒出来たのは奇跡だし財産だと思います。そしてこうやってインタビューの様な形を作ってくださった環境にも本当に感謝すべきなんです。そして今つくづく言いたい。。ご一緒してくださった皆さんに改めて今を、そして5年後を見て欲しい。
この時も死ぬほど一生懸命でした、何に一つ手を抜いていなかったし。
・・・でもちょっとだけ分かってきました。そうだよな、うんそりゃそうだよね。って。

なんであの子が、なんでその子が、なんで私じゃないんだ!

私は常に怒っていました。ずっとずっとダンス界をもしかしたら馬鹿にしていたかもしれません、自分が認められないから笑
絶対私のが踊れるのになんでなんだって、どっかでいつも思っていました。いや今でも思っていますよ、私の踊りは本当にいけているって事に関しては。
2019年2020年とそれなりにイベントやパフォーマンスをしてきました。公演もしてきました。頑張ってきました。20代のダンス講師の時の私とは違うんだぞ、もう表現者として頑張っているんだぞってそう振る舞っていた気がします。

でもいつも大きな物からは不合格となります。採用もされません。相手にもされない気がしました。
この大きな物っていうのは振付家としてご活躍されている方々が多くいらっしゃる空間の場です。

なんで、なんで、このヤローとしか思っていませんでしたし、ドンドンとアサミクロは心がミクロになっていきました。ミクロをマクロにしたいのにピンポイントの世界を自らミクロにしていきました。あらら。。。。

それで、もうこのヤロー貯金が目一杯になって、色々落ちまくって誰も見てくれないしでもこれだけはちゃんとやろう。。。弱気ながらもとにかく踊りきってから次を考えよう。。。

撮影:bozzo

それがSAI DANCE COMPETITION2021 でした。
そしてここでソロを優勝いただけました。

撮影:bozzo

フェスティバルディレクターの崔柄珠さんも温かく評価してくださいました。物凄く救われたんです。なんていうか受賞が嬉しいとかの前に、まだここで頑張らなきゃって思わされた事が本気に救われたんです。

ですがですが。。

の前にちょっとワンブレイクしてください。

。。。ふう。


よし、

受賞いただいてから、よっしゃーーーーーーっとのび太君の様に単純に頑張るのですが、そんな簡単には進みません。
またアサミクロはミクロハーツになります。色々とうまく進みません。
そして少しずつ分かってくるのです。
なんであの子が、なんでその子が が。

2021年大きな大きな出会いがありました。
そして掛け替えなのない居場所ができたり豊かな景色を観てきました。その中で多くを学びながらが故に苦しくてダンスやれないかもってなるくらいに向き合わされて泣いてきました。そういう色々な事の中に

私が一番望んでいて表現していきたい形である 「心が躍る」 ということに対して、私がこのヤローと思っていた現場や世界の人たちや同年代の振付家たちはもっともっとより深く学びを持って挑んでいるという事。だから動き(ここで言うのは自分が勝手に勝てると思っていた所)だけではなく、

総合的な場の空間やプロセスをちゃんと歩んできた事。
その上でいろんなダンサーや振付家が生きていていい事。
そして日々大切に踊りを見つめている事。
楽しんでやっているわけではない事。
使命としてやっている事。
やらざるおえない程の踊り(動き)である事。

その他にも色々あるけど、そんな風に学ばせてもらってきました。そうして今の「踊る。秋田」の踊りもできました。
やっとその気持ちになって今35歳。私はこの島を出たことすらない(観光くらいはあるけど)
普通に考えて上記の感度は20代で気づき本当にみなさん頑張られている。。。いや遅いっしょ。。。でも。。。

え、高校一年生の話なの?!!

諦めたらそこで試合終了なわけで。(2022年にしてスラムダンクデビューしました)

踊る。秋田のディレクター山川様はおっしゃってくださいました
「あなたは確かに遅咲きだが、踊り続けるべきだ」と私は泣けない程に熱くなった。もうダンクシュートだ。
そして乗越たかお様からも、上手い踊りは5分で飽きる。この世界は50代からだって始まる。とにかく作品を作りまくりなさい。と。

私は焦っている。でも。
もう駄目だって思うのは10本くらい作品つくってからもう一度振り返ってみなくちゃと。そして

そんな流れの時期に公開された田中泯さんの映画。
みなさんは見ましたか?
私は嬉しくて泣いてしまった。本当にまだ頑張りたいと思わせてもらった。

朝ごはんの写真のこと

この山に登って「おーい」と手を振りたい

これは今朝。
「王林リンゴとヨーグルト登山」って言うタイトルで朝ごはんダンス用の秘密のノートに日記を書いてみた。中身は内緒。

これは朝カーテンを開けるためのダンス。
もう昔のように朝ごはんを記録するのはやめました。12年くらいの記録から次のステージに行こう!でも益々朝ごはんを愛しています。

私は田中泯さんの思考がとても好きです。
私にとってのこの朝が、環境が、どうしても美しくて悲しくて可愛い朝をどうしたって踊りたくなるし視覚として世に出したくなってしまうので、私はこれを今一生懸命にやるべきなんだと思います。

正直生活することは本当に苦しく、泣いちゃいそうです、いや泣いている笑。私は1週間で踊りは全然やっていない、作品を全然つくっていない。

いや違う。。。本当は毎日踊っていて、毎日作品のことを考えているんだ。そう言う思考を忘れてはならないよ。ピュアにとことん鋭く暮らしを見るんだ。そんなことを改めて思い出させてもらえた映画でした。
だから嬉しかった。

撮影:前谷開

全くの更地段階ですが、2022年少しは前よりも作品を作る覚悟というか責任を感じてきて、その上で今年の6月に新作を発表しようと思っています。
また改めて内容はお知らせしますが、6月18日をどうか私にください。

こんなに笑っちゃうくらいジタバタしている振付家をちょっとくらみてやるかと気にかけてください。
私はあなたに、こんなにも美しく危険な朝を観てもらいたいんです。

asamicro

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