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#28 圧力

投稿期間がとてもあいた。最後に投稿したのが約3週間前、もう遥か昔。

投稿ができないほど忙しいわけじゃない(いや、ちょっと忙しくはある)、投稿したくなくなったわけでもない。なんならnoteというプラットフォームに投稿できていないということがなんだか寂しくて、ほぼ毎日noteを開き、時々投稿ボタンを押して記事を書こうとした。

でもなんだか書けなかった。というか、書きたいことも特になかった。

前までは留学の日々を通して何か気づきがあったり、特に何もしていないときにふと考えることをもっと深掘りしたくてnoteを書く気力が湧いたり、別に努力しなくたって投稿できた。

でも最近そういう「noteに投稿したい」と思うようなことがなくなってしまった。そして、そこについて考えを巡らせることが多くなった。

急に書きたいことなくなったのはなんでなんだろう、私はついに自分の長所の「考える」という特技すら失ってしまったのか、それとももう私が考えていることは書き尽くしてしまったのか、なんなのか。

たぶん書き尽くしてしまったは理由として確実にあると思う。

毎日違うことを考えているようで、突き詰めると大体は同じこと。

将来のこと、言語学のこと、自分の至らない部分について、人間関係、その他諸々。たぶん自分の、全てを簡略化、元を辿ろうとする性格が悪い方向に働いていたのだろう。「これって結局元を辿ればこの記事と同じじゃね?」みたいな。

そう思うと急に投稿が書けなくなっていた。また同じことに書くのもなんか違うしな、みたいな。でもそれだけが投稿をできなくなっていた理由だったわけではなかった。

もう1つの理由は、無意識に、「何か学びに落とし込んだことを書かないといけない」という圧力を感じていたこと。

自分でもなんでかわからないけど、自分の投稿は基本日記というよりかは1つのテーマについて深掘りするような投稿が多かったような気がする。だから、なんとなく「今週こういうことがあってこういうことを考えてだからこうしようと思った」みたいな起承転結がはっきりしたものを書かないといけない、みたいな謎のプレッシャーを感じてしまっていた気がする。

何回か下書きを書いたときも、これは投稿する価値があるのかなと考えてしまったり、別にこれ学びがあったわけじゃないしな、、と思ったりで結局投稿が滞ってしまっていた。

実際この記事も、学びがあったから投稿に踏み切れている。投稿できない、なんでか考える、謎の圧力に気づく、あこれ投稿するに値するな、みたいな。

もう少し気軽にnoteできるといいな、きっとそのとき「学びはない」と切り捨てたものも、時間が経てばその経験から何か見つけられるかもしれないし。これから投稿頻度はどうなるかわからないけど、そこまで気負わず、思ったことをスッと投稿にできるといいなと思いました。