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#7 怪物

最近人生を楽しめている気がしない。6:30に起きて、うがいして顔洗って、ジムに行ってパンを焼いて授業に行って昼寝して。全てがルーティーン化した生活。何も刺激はない。隙間時間にはYouTubeでKpopを聞く、そんな毎日。わたしが留学してる意味ってなんやろう?毎日退屈な日々を過ごすため?周りの友だちが各留学先で色々してるのを見て焦るため?刺激的な毎日を送るため?当たり前やけどどれもしっくりこない。わたしがしたいことって何?そもそもわたしはなんのためにこの人生を送っているのだろう。

人生を振り返ってみても、自分が何をしたいかいまいちよくわからない。昔から親の顔色を伺って、周りの反応を気にしながら言われたことに従う人生やった。母に塾行けって言われたら行くし、受験しなさいって言われたらする、姉がしているようにバレーボールやバトンをしたかったけど、周りの人に「女の子の習い事だよ」と言われ諦める。自分でやりたいって決めてやったことってなんかあるんかな?こういう気持ちが#2の劣等感に繋がってるんだろうな。

昔から人よりは褒められることが多かったように感じる。「おとなしいね〜」「いいこだね〜」「よく話を聞いていますね〜」。そんな言葉を聞くために人の顔色を伺うことを優先して、自分の意見を持つことなんてなかった。移動中トイレに行きたくなったときはできるだけ我慢して、トイレの標識が遠くに見えた時に「トイレに行きたい」というようにしていたし、姉が怒られていることを全て記憶して、同じへまは踏まないように一生注意していた。全ては他の人が不快に思わないように、怒られないように、そして褒められるように。そうしていくうちにわたしの中のわたしは崩れ去り、承認欲求だけが強くなるモンスターが生まれた。相手に合わせ、その人が欲しい言葉を探しながらいつどこでも神経を張り詰める、そんな、なんのために生きているのかわからない、人間とは呼べない、まさに怪物。

でも、そんな性格に、限界を迎えている。相手の顔色を伺うことが謙虚でいい子だねと言われるのはせいぜい中学生ぐらいまでだろう。「学校」という、先生という絶対的大人がいて、ルールが敷かれていて、そういうものに従う人は良しとされる。でもこの歳になると、自分自身の意見を求められることも多いし、"謙虚"が"優柔不断"としか認識されない段階になった。この前友だちにも、"NO, listen. What do YOU want to do?"と聞かれた。わたしが曖昧な答えしか出さなかったからだ。正直心の中ではすごく苦しかった。だって本当にしたいことがなかったから。他の人がしたいことをして、それに何もしたいことがないわたしが合わせればWinWinなんじゃないかなとも思っていた。でもこのときに、「あ、自分の中の主体性は死んでいるんだな」と感じた。怪物がわたしの体を乗っ取ってしまった。わたしという存在の喪失、虚無感、そんなものに苛まれる日々。

でも、自分自身がこの性格に限界を迎えていることに気づく。友だちの中に、結構話を盛る、かつわたしのことをよくいじる友だちがいる。その友だちは、ほかの友だちにわたしのことを面白おかしく、少し誇張して伝える。正直不快なものが多い。わたしが必死で考えてした行動とかを、「この間こいつがstupidなことしてたんだけどさ〜」と少し事実を捻じ曲げつつわたしの前で他の人に何事もなく伝える。反論したい気持ちはある。でもわたしが反論することに意味があるのかな?とよく考える。反論されていい気持ちになる人はいないだろうし、空気を壊してしまうだけかもしれない。で、いつも我慢してしまう。でもこの前少し勇気を出して、「やめてよ〜」と少し軽く言ってみた。でもその友だちは、「僕がこうするのは君がstupidなことするからだよ〜」と言ってきた。わたしのこと何も知らないくせに、どんな考えを持っているのかも知らないくせに。そもそもそれは事実ではないのに。わたしの中のドロドロした嫌な部分が溢れる。「わたしが我慢してあげているからあなたはそんな鼻高々に意気揚々としていられるのに」なんて、頼まれてもないことをして勝手にイラついている。これぞ怪物。でもそんなこと面と向かって言えない。だから自分の最大の武器、笑顔で「そうだよね」で終わらせた。「自分が我慢すれば終わる」これは結構わたしのモットーになってる。で、その後は静かにその人と距離を置いている。でも会う機会が多い人だから、ちゃんと距離はおけてはいないけれど。

自分が我慢することには慣れているつもりだったけれど、やっぱり限界はきていたみたい。でもわたしの悪いところは、限界が来たときに(来る前に)その人と真剣に話すことを避けて、静かに身を引いてしまうところだと思う。すぐ逃げてしまう悪い癖。相手の方にとっても後味が悪いと思うし、わたしも一生同じ過ちを繰り返してしまう。だからわたしは友だちが少ないんだろうなあなんて考えながら。

でもこの相手の顔色を窺ってしまう癖ってどうやって直していくものなんだろう。もう習慣化してて、考えもなく無意識にしてる。会った瞬間に「この人が今欲しい答えは何か」を分析する体勢に入って、何を言ったらいいかわからなくなる。恥ずかしがり屋な性格はこういうところから来てるんかなあ。初めて会う人は分析する材料が少なすぎて振る舞い方がわからずおどおどしてしまうのよね。で、おどおどしているうちに相手に見限られることが多い。わたしと今お友だちでいてくれている人は大体、わたしと打ち解けるまで我慢してくれた人が多いような、そんな気がしなくもない。みなさんありがとうございます。

自分という"怪物"と、きちんと向き合うべきときが来ている。逃げるな。自分を主張しろ。お前は何がしたい、何が欲しいのか。これを書きながら、胸にずん、と重たい矢が刺さったような気持ちだ。でも逃げてはいけない。向き合わなければ。辛い、しんどい、誰かに助けて欲しい。わたしはこれからどうなるんだろう。いつかこの記事を読んで「こんなことで悩んでたんや」ってなれるくらい気にしいな性格がマシになってますように。

Fear less say yes, we don't dress to impress

The Hydra by Le sserafim

この歌詞大好きです。わたしもこのマインドで強く生きていきたい、わたしはわたしで、他人の顔色を伺い続けるために生まれてきたわけじゃないのだから。