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誰も居ないコロナ禍の空港で、8年連続「清潔さ世界一」獲得の立役者である清掃人がはじめたこと

 大谷翔平選手ではないが、世の中には、すごいことを当たり前のようにやってのける人がいる。羽田空港は、8年連続、世界の空港の中で「清潔さ世界一」になった。その功績は、新津春子という1人の清掃人に拠るところが大きい。その羽田空港も、コロナウイルスが蔓延するなか、数年間にわたり「開店休業」の状態にあった。その苦境下、「清掃のカリスマ」がとった行動とは? 文庫版『世界一清潔な空港の清掃人』から、「文庫化によせて」の文章を、特別に公開する。

新津春子著『世界一清潔な空港の清掃人』(朝日文庫)
新津春子著『世界一清潔な空港の清掃人』(朝日文庫)

■誰もいない空港は怖いようなイメージ

 1日に20万人ものお客様が訪れていた羽田空港から、人がいなくなりました。

 コロナが始まった2020年。外国から飛んでくる飛行機が減っていき、羽田から海外へ飛ぶ飛行機もなくなりました。緊急事態宣言が出て、国内を移動する人もほとんどいなくなって、はじからはじまで誰もいない。でも空港は開けておかないといけないから、真っ暗ななかにポツポツと電気がついている。昼間でも薄暗くて、怖いようなイメージなんです。

 私たちが出勤しても、お客様は誰もいません。たまに空港に遊びにくる人がいるぐらい。それでも空港が開いている以上、清掃をやめることはありません。ですが、以前のように1日4交代でひたすらトイレの汚れと戦う必要はなくなりました。汚れている箇所がないか、建物じゅうを歩いて見てまわる必要もなくなりました。

 一気に状況が変わってしまったんです。

 そのとき、真っ先に思いました。この状況は変えられない。だったらこの時間を使って、今までできていなかったところをきれいにしよう、って。ひっきりなしにお客様が来ているときは、どうしてもあとまわしになるところがあるんですね。高いところとか、ソファや什器の下とか。だから全部一回きれいにして、お客様が戻ってきたときに備えようと思ったんです。それをやってもまだ余裕があれば、何かほかにできることを考えてもいい。まずは、自分たちの足元をしっかりと見ることが大事だと思ったんです。

コロナ前、早朝の羽田空港で(朝日新聞出版)

 8年前にこの文庫の元本を出したときは、ほんとうに「単純な私」でした。ずっと現場の仕事をやってきて、そのなかで見たことや感じたことをそのままお伝えしました。私の場合、頭で考えるのではなくて、体を動かすなかからしか、言葉って出てこないんです。ただ、自分が体験したことを知ってもらいたいという気持ちはありました。苦労話がしたかったわけじゃないですよ。そうじゃなくて、日本の人たちは豊かな場所で生まれたんですよ、この豊かさは当たり前じゃないんですよ、ということを知ってもらいたかったんです。

 今は、掃除道具ひとつとっても、ものすごくたくさんのものが売っています。でも、道具ばっかり揃えても、うまくお掃除できなくて困っている人がたくさんいますよね。本来は、タオル1枚でもお掃除できるのに、小さいときから買うことに慣れていると「あるもので工夫しよう」「ないなら自分でつくろう」という発想にならないんです。

 私が育ったのは中国の瀋陽という町で、経済的に発達した環境ではありませんでした。その分、ないならじゃあ、どうやって道具をつくろう、と考えることができました。小さいときからそうやってきたから、豊かな日本で育った人たちにも、工夫すれば自分の手でなんとかできるんですよ、と知ってもらいたかったんです。

■清掃の仕事は、現場を離れるとあっというまについていけなくなります

 本を出したりテレビに出たりするようになって、とてもうれしかったことがあります。現場に出ているスタッフさんたちが、「今日、清掃している最中に、お客様から『ありがとう』と言われましたよ」と、うれしそうに報告してくれることが増えたのです。私がテレビ番組で「私たちは清掃していても、ひとことも褒められたことありません。私たちの姿全然目に入ってないんですよ。清掃の仕事は下に見られてますよね」と言ってしまったからだと思うんですけど(笑)。お客様アンケートでも褒め言葉が増えて、クレームが少なくなりました。

 だけど人間は忘れっぽいから、一時的にバーッと注目を集めても、またすぐに元に戻ってしまうんです。生まれた変化を長く持続するには、常に動いてないといけない。

 そう思って始めたチャレンジのひとつに、ハウスクリーニング事業があります。うちはビルメンテナンスの会社なので、ハウスクリーニングはやっていなかったんですね。実はそのころ、私の働き方に変化がありました。現場に出れなくなっていたんです。理由は、テレビに出演したあと、私を探しにくる人がいっぱいいて、作業がしにくくなったこと、加えて、管理職になったので、空港の現場に出ることができなくなったことです。

清掃中の新津春子さん(朝日新聞出版)

 以前なら、急に欠員が出たら自分が行って埋めましたが――今でもいざとなれば行くと思いますが――、スタッフの人数もそろってきたし、もう私が行く必要はない。そうなったときに、「だったらハウスクリーニングをやろう」と思いました。その新しい仕事なら、私が技術者として現場に入っても問題ないですから。

 わがままで言ってるんじゃないですよ。清掃の仕事は、現場を離れるとあっというまについていけなくなります。道具も洗剤類も常に進化しているし、床やテーブルの材質だって毎年変わります。

 新しい現場に入ったときになんにもわからなかったら、どうして技術者と言えますか? 私がなんにもやってなくて、ただ座っているだけだったら、これまで私がみんなに教えたこと、この本に書いたことの価値が変わりませんか?

 自分自身をどんどん更新しなければ、せっかくこれまでやってきたことが、そこで終わってしまうと思うんです。

 常に初心を忘れずに、なおかつ新しいものを見つける。座っていては、なにも見つからないんですよ。だって頭で考えることと、実際に経験することは違うんですから。現実を見ないでどうやって考えるの?

 だから、現場を手離してはダメなんです。

 この8年のあいだ、いろんなことをやってきましたが、同じ業界の人たちが喜んでくれて、「新津さんのおかげで、私たち仕事しやすくなってきました」と言ってくれます。そういう言葉を聞くと「やってよかったな」と思うし、だったらまた新しいことをやろうという気持ちがわいてくる。そうやって常にアンテナを立てているんです。

 コロナの状況が厳しくなって、動きたくても動けない状態が長く続きました。

 それでも、ただ座っていたわけではありません。空港でしか売っていなかったオリジナルグッズや機内弁当を外で販売させてもらったり、少しでも会社の収益と仕事をつくろうとユーチューブを始めたり。

 どうしよう、どうしよう、と言ってても、誰も助けてくれないんですよ。自分で行動しないと。待っていてもお客様がきてくれないなら、私たちが外へ出れば、きっとまた帰ってきてくれる。そう思ってやったことがないこともやってみたら、みんなのモチベーションが上がって、一体感が生まれたんです。だから、コロナは大変だったけど、悪いことばかりじゃなかったですよ。

清潔な羽田空港(朝日新聞出版)

 2023年の春を過ぎて、羽田空港は、100パーセントではないけれど、かつての姿を取り戻しつつあります。

 私がいま持っているものは、若いときから教わってきたものです。自分の体に染みついているものを、行動しないで持ったままお墓に持っていっても仕方がありません。

 私の目標は、清掃業界全体をレベルアップすることと、日本の家庭のお掃除をラクにすること。

 私が生きていて、話したこと、行動したことのなかに、たったひとつでも、誰かの記憶に残るものがあれば、それで十分。私はそのために前に進み続けます。


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