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【サッカー本大賞2024】3度の前十字靭帯断裂。引退を考えた宮市亮に「引退撤回」を決意させたチームメイトやサポーターの驚きの行動

 ヴィッセル神戸の優勝で幕を閉じたサッカー・J1の2023年シーズン。このシーズンは、2022年7月の日本代表戦で右膝の前十字靭帯を断裂し、一度は「引退」を決めたものの、シーズン中に見事「復活」を遂げた宮市亮選手(横浜F・マリノス)にとっても、特別なシーズンとなった。宮市選手はなぜ、5度もの大ケガを経験してなお、前を向き続けられたのか。サッカー本大賞2024で優秀作品に選ばれた初の自著『それでも前を向く』(朝日新聞出版)から一部を抜粋・加筆して、数々の苦難の果てにたどり着いた「前へ進むための思考法」の一端を紹介する。なお、サッカー本大賞の「読者賞」は、みなさまの一票で決まります! また、noteでは『サッカー本大賞』読書感想文キャンペーンも実施中です。

宮市亮著『それでも前を向く』(朝日新聞出版)
宮市亮著『それでも前を向く』(朝日新聞出版)

横浜F・マリノスの仲間からもらったやさしさ

右膝に大ケガ(3度目の前十字靭帯断裂)を負った日本代表戦の翌々日(7月29日)は、横浜F・マリノスのチームが練習している場所に行くことにした。翌日に鹿島アントラーズ戦を控え、午前中から非公開練習を行っていた。

右膝にまた大ケガをしてからまだF・マリノスの選手たちには会っていなかった。心配をしてくれているだろうみんなに、あいさつがしたかった。大事な試合に向けた激励のつもりだった。

競技場に着くと、入り口でオーストラリア人のヘッドコーチ、ショーン・オントンさんとばったり会った。

最初は明るく「グッドモーニング」という感じだったが、立ち話をしているうちに、右膝の話になった。すると、オントンさんは「リョウはここまで頑張ってきたのに、神様はまた、リョウにこんなにひどい仕打ちをするのか」とわんわん泣いてくれた。

じつは、彼も親族に不幸があったばかりだった。にもかかわらず、僕のために本気で、ビックリするくらいの号泣だった。僕も感極まって、一緒に泣いた。

鹿島戦に向けたチームミーティングでは、マスカット監督が「本当に残念で悔しい。けれども、このリョウの思いを背負って、今シーズン戦っていきたい」とみんなの前で話してくれた。これも、すごくうれしかった。
 
あとで聞いたところによると、この時の僕の態度や雰囲気から「やめるのかも」と察した選手が多かったようだ。選手たちとはあまり話し込むことなく引きあげた。

ただ、あの時、一緒に日本代表を戦った選手でもあった水沼宏太選手にだけは、「たぶんダメだと思います」「いろいろと考えます」と、やめるという意向を遠回しに伝えた。

結局、水沼宏太選手は僕が言ったことを胸の内にしまっていてくれたようで、彼から何かが選手たちに伝わることはなかった。

ドイツでの経験を思い出させてくれたメッセージ

夕方、家に戻った。丸1日近くがたっても、スマホにはたくさんのメッセージが送られてきていた。前向きなメッセージばかりだった。

同じような境遇の人からのものも、たくさんあった。「僕も、前十字靭帯を何回も切っています」「私は今日、切ってしまいました」……。サッカー以外の競技をしている人からもメッセージが届いた。「私も頑張ります」「一緒に頑張ろう」。そんな文面が並んでいた。

ドイツで左膝の前十字靱帯を断裂した2015年7月のことを思い出した。1回目の前十字靱帯断裂、あの時はとにかく不安だった。すぐにミュンヘンに飛んで、病院のベッドの上で夜通し、Yahoo!検索を続けた。

不安で不安でどうしようもない思いを落ち着かせてくれたのが、同じケガをした人の記事だったり、経験談だったりした。

勇気づけられたことを思い出し、「もしかしたら、今の僕にも似たようなことができるのではないか」と思うようになった。というより、「恩返しがしたい」「恩返しができるかもしれない」。そんな思いだった。

もし、僕にできることがあるとすれば何だろう。

同じようにケガから復帰しようとしている人たちに、僕がもらっているようなポジティブなメッセージをお返しするために、どうしたらいいのか。

もう一度、ピッチに立つべきなのか。「復帰を目指す」という選択肢が頭の中に浮かんできていた。

度重なる大ケガから見事に復帰を遂げた、横浜F・マリノスの宮市亮選手(撮影/工藤隆太郎)

大声援の後押しによって心に決めた引退撤回

7月30日はホームの日産スタジアムで、鹿島アントラーズ戦だった。開始は夜7時。チームからは、無理をしてスタジアムに来なくてもいいと言われていた。膝のことを気にかけてくれていた。

痛みもあり、家で映像を見ながら応援するつもりでいた。ただ、手術の予定が2日後に入った。そうなると、試合翌日の7月31日は練習がオフで、みんなにしばらく会えなくなる。チームに「少しだけ顔を出します」と伝えた。

鹿島戦は、優勝に向けた大事な首位攻防戦。プレーすることはできないが、一緒に戦いたいという思いだった。少しでも力になりたかった。

スタジアムで試合を見て、みんなから力をもらって、それから手術台へという思いもあった。

チームメイトのリュウ(小池龍太選手)がわざわざ迎えにきてくれた。彼も一緒に日本代表に行って、軽いケガをしていた。

車の中でも、気を遣ってくれたのか、「どうするんですか?」とは一切聞かれなかった。「今日勝つといいですね」と、そんな話をした。

試合開始が近づいてくると、選手がウォーミングアップのためにピッチへと出ていく。見送ろうと思い、通路で待っていると、いつもはまだ練習用シャツのはずなのに、なぜか選手たちが試合用のユニフォームを着ていた。

「何でユニフォーム?」と戸惑っていると、胸に「亮 どんな時も 君は一人じゃない」と書いてある。しかも、全員の背番号が「17」であることに気づいた。「17」は僕の背番号だ。

「え? うそでしょ?」と、心の底から驚いた。応援に行ってビックリさせるつもりが、逆にビックリさせられてしまった。

水沼宏太選手や「キー坊」と呼ばれている愛すべき存在の喜田拓也キャプテンたちが、チームマネージャーやホペイロ(用具係)の方に相談し、総出で、急ピッチで何とか間に合わせてくれたということだった。

ひと目見て、号泣してしまった。

ケガをした日、ホテルの一室で最初に流したのは、悔し涙だった。でも、この時の涙はもう違った。うれしくて、ありがたくて、申し訳なくて……、ピッタリの言葉が見つからないほどに、いろんな感情が入り混じった涙だった。

涙をふきながら、スタジアムのピッチに続く階段を上って、会場全体が見渡せるところに出ると、ゴール裏のサポーターたちが大きな声をかけてくれている。

「ミヤイチー!!!!!!」

隣にいたリュウも泣いてくれている。

横断幕が目に入った。

「トリコロールの宮市亮 再びピッチで輝け 待ってるぞ」

サポーターたちによる、僕のチャント(応援歌)の大合唱が始まった。その大声援につつまれた瞬間に、僕の心は決まった。

「絶対に戻らなきゃいけない」
「もう一回みんなの前でピッチに立ちたい」

一度は、本気でサッカーをやめようと思った。
 
僕の職業はプロサッカー選手だ。これまでに繰り返したケガの多さ、稼働率の低さは、プロとして決してほめられたものではない。長期間にわたりチームを離脱し、たびたび迷惑をかけてきた。多くの人を失望させもした。だから、やめようと思った。

でも、これだけ待っていてくれる人がたくさんいる。SNSでもたくさんメッセージをもらった。この時、「たぶん、自分はやっぱりサッカーがやりたいんだな」と思い知らされた。「やっぱりサッカーが大好きだ」と思った。だから、「また、はい上がっていこう」と思えた。

サッカーから離れかけた気持ちを、SNSにメッセージをくれたみんなに食い止めてもらい、スタジアムでもらった大声援で、完全に引き戻してもらった。

F・マリノスとアントラーズの試合を見ながら、「どんなに苦しいことがあっても、絶対に戻る。ラストチャンスだ」と覚悟を決めた。そして、「少しでもケガに苦しんでいる人たちの後押し、恩返しになるのなら、復帰までの様子をSNSなどで公開しよう」と考え始めていた。


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