見出し画像

“がん”という経験があったからこそ「あさイチ」という番組に出会えた【ジャーナリスト・柳澤秀夫連載】

 2006年にスタートした「ニュースウォッチ9」のキャスターに就任してから一年半がたったころ、「肺がん」と診断され入院することに。入院中に妻に言われた「親より先に死ぬのは親不孝」の一言には、これ以上ないタイミングで痛いところを突かれた。当時、父はすでに亡くなっていたが、母は心臓病を患いながらも健在だった。

 手術を前に、私は生きることに執着していた。死んだらおしまいだ。誰になんと言われてもいい。なりふり構わず、しぶとく生きる。人間にとって最も大切なこと、それは生きることだと、いまさらのように思った。

 考えてみればごく当たり前のことだ。しかし、私にとっては初めて味わった感情である。

 手術の前日、「開いてみて新たな問題があったら判断を任せてください」と医師に言われた。結果的に、肺の右上葉を切除する手術は成功した。しかし案の定、細胞の病理検査の結果は決して安心できる状態ではなかった。医師の勧めで、化学療法も受けることにした。三週間で一クールの抗がん剤治療を二クール。副作用で吐き気に苦しみ、頭髪は抜け落ちた。

 私の八つ当たり気味のわがままを、かみさんは、はいはい、また始まった、という感じであしらってくれる。変にやさしくされるよりも気が楽だった。悔しいが私の操縦法を熟知しているようだった。番組からは治療が終わったら戻ってこないかと言われていたが、先行きに自信が持てず、正式に降板することを伝えた。達成感のないまま、中途半端に終わるのは悔しかった。

 だが、不思議なものだ。この降板があったからこそ「あさイチ」があるのだから。

■復帰早々のオファー

 手術後、約半年で職場に復帰した。解説委員室に籍は置いたが慣らし運転のような状態だった。いつも再発の不安にさいなまれていた。「がん」の二文字を目にすることさえ拒絶していた。一カ月先、半年先が描けないことが、こんなに苦しいとは思わなかった。

 復帰してまもなく、「NHKスペシャル」でがんとの向き合い方をテーマに番組を作るから、そのMCをやってくれないかと依頼を受けたが、どうしても引き受けることができず断った。後ろを振り向きたくなかったからだ。あのころは、やたらと歩いていた。体調さえ悪くなければ、万歩計をつけて自宅の周辺を歩き回った。歩いているあいだは、前に進んでいるような気持ちになれた。

 ある日、放送全般を統括する役員から突然電話がかかってきた。制作局出身の先輩で、昔、一緒に仕事をしたこともあり、私のことはよく知っている。

 久しぶりに会った先輩は、杯を傾けながら、「あのさ、新しい生活情報番組を立ち上げるから、やってみない?」と言った。

 えっ、と言って、私は二の句が継げなかった。まだまだ本調子とは言えないのに声をかけてくれたことはありがたかったが、どう考えても突飛なオファーだ。

「私みたいな人間がそういう番組に向いてないことは、わかっているじゃないですか」、そう言うと、先輩はニカッと笑って、「いままでにない番組を作りたいんだよ」と答えた。

「あさイチ」の開始は、NHKの朝の時間帯の大胆な番組改編とセットになっていた。半世紀近くにわたり午前8時15分から放送されていた「朝の連続テレビ小説」、通称朝ドラを八時に繰り上げ、新たに立ち上げる生活情報番組を8時15分から放送する。少し考える時間をもらったが、結局、引き受けた。60歳の定年まであと5年を切っていた。このままぶらぶらしているわけにもいかないし、気持ちも少しは前向きになっていた。だったら、やったことのないことをやってみよう。チャレンジなんて格好いいものではなく、生来の野次馬根性が頭をもたげた。

 かつて「ニュースウオッチ9」のキャスターを引き受けるとき、当時の直属の上司から言われた言葉を思い出した。

「人生、後悔がつきもの。やって後悔するか、やらずに後悔するか、どちらを選ぶかはお前次第だ」

「あさイチ」の統括プロデューサーは、私より10歳年下だった。ディレクター陣はさらに若く、女性が多かった。現場に出るのは20代、30代が多く、40代はデスククラス。みんな生き生きとしていた。

 若いディレクターが会議で企画を提案する。採用されると1カ月ほどかけて取材する。最初のうちは私も会議に出ていたが、一言意見を言うたびに、若いディレクターたちに、ものの見事に撃破された。わかんない、つまんない、違うと思う、という具合に。

 例えば、女性に特有の病気を取り上げるとする。ニュースの場合、医学的に捉えて、発症のメカニズムや有効な治療法は、というように、外側からアプローチするのが一般的だ。しかし、「あさイチ」は違った。もちろん医学的にも押さえるのだが、もっと自分の問題としてアプローチしていく。病気になったらどんな悩みがあるのか、それは周囲に理解してもらえるのか。自分も当事者となって、テーマに向き合い、複雑でデリケートな問題を掘り起こしていく。

 統括プロデューサーは、ディレクター陣に対して、「失敗することを怖れるな」と、常に言っていた。「何でもやってみよう。失敗したっていいじゃない、また次に生かせばいいんだから」と。一方で、二匹目のどじょうを狙いにいくようなものを作ると、にこにこと笑いながら、「飽きちゃったなー、つまんない」と言う。言われた側はその瞬間から、じゃあどうする、と案出しが始まる。チームでものを作る強みはこういうことか。ニュースの現場とは違う厳しさとおもしろさが、私にはとても新鮮で刺激的だった。

 予定調和をやめる。噓をつかず、正直にテーマと向き合う。多様な価値観を尊重する。「あさイチ」のモットーだ。「NHKらしからぬ」朝の生活情報番組は、そうやってできていった。

(構成:長瀬千雅)

注)番組名、肩書、時制、時事問題などは、本執筆当時(2020年3月時点)のものです。

記事一覧へ


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!