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病気とジェンダーを隠して生きる

自分が病気持ちと分かってからしばらく経った。周囲の人には伝えているが、SNSではあまり言っていない。何か人に嘘をついているような気持ちになる。自分がクエスチョニングであることを隠すのと同じような感覚だ。

クエスチョニングであることを隠す

本当はメールの署名欄に、代名詞を "They / Them" と書きたい。でも、書かない。書いたら変なやつだと思われるかもしれないからだ。何か説明する必要も出てくるかもしれない。

少数派であることを表明することで、攻撃対象になる可能性もある。特にSNSの場ではそれが顕著だ。ただ人を傷つけてスカッとしたい人がSNSには、いる。加わりたくない議論に引き込まれるかもしれない。

そういう人たちに狙われないためには弱点を見せないほうがいい。だから私はクエスチョニングであることを言わない。自分がクィアであることを公式の場では隠して生きている。

着ているものが少しずれているので、気づいている人はいるかもしれないけれど、公にはしない。ただその代わり、自分が「女性である」という表明もしないようにしている。

(表明しようと思ったこともあったが、「一度言ってしまうと後には戻れない」と止められたことがあった。悪いことみたいな言い方しなくてもいいのに。攻撃されることを気遣ってくれたのだろうか。でもモヤモヤする。)

病気であることを隠す

病気であることを隠すのも、似たような理由だ。特に体力がないと思われると「この人には仕事を任せられない」と思われるかもしれない。それが怖い。だから言わない。

私は年ごとの契約で働いている。病気だということがわかったら、来年の雇用に響くのではないかと不安だ。自分でもやりたいことがあるから、それが許可されなくなるのではないかと不安になる。

それと、もしSNSで公開するとして、その時私は医療に関する情報を発信することになるだろう。仕事の都合上、医療関係で間違ったことを書くわけにはいかない。たとえ自分の日記でもそうだと思う。だから避ける。

言ってもしょうがないという気持ちもちょっとある。言ったところで「お大事に」という他ない、という書き込みを見てなるほどと思った。同じ病気だったとして、人間の中身はそれだけではないのだ…。

本当のところは、自分が病気であることを公表して、似た病気の人と情報交換をしたい。でも、それに伴うリスクが大きすぎて今の状態ではできない。有名人が公表できるのは、公表しても仕事があるからだと思ってしまう。

そんなわけで、今 note で書いて公開している。特定の個人として結びつかなくてもいいから、とにかく書いて、世の中に放つことさえできればいい。そうすることで、こうした個人がいたという記録が残ったらもっといい。




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