こんな椅子に座れるかってーの! >> バリアフリーじゃないアートの世界

■なぜ座りにくい椅子しか置かないのか?

暗くて分かりづらいかと思うんだけど、下の写真は、あるギャラリーで上映されている、映像作品の前に置かれた椅子である。場内は薄暗く、上のほうに見えるのが大スクリーン。椅子がぽつねんと置かれている。椅子といっても、たぶんキャンプ用かなんかの簡易椅子で、高さは30センチあるかないか。おそらく耐荷重も少ないだろう。

TOKAS本郷 2023.04.28

もちろん座らなかった。だって手すりもないところでしゃがんで、こんな椅子に座るのは容易じゃないし、たとえ座ったとしても、膝よりも尻を低く沈めて長い時間鑑賞するのは、苦痛以外のなにものでもない、と思ったからだ。もちろん、作品は見なかった。だって立ち見は疲れるからね。

歳をとれば誰しも膝が悪くなる。周囲になにもないところで手すりにもつかまらずしゃがみ込むなんていうのは、そりゃあ若い人には造作もないことだろうけど、そう簡単にはできなくなる。歳をとっていなくても、太ってお腹が出ていたりすれば、同じような悩みは生じるんじゃなかろうか。
こういう椅子は、少なからぬ人にとって鑑賞の障壁=バリアとなるのだ。

ところがアートの世界では、この手の、利用者の安全性や快適さにあまり考慮しない環境づくりがよく見られるのだよね。世の中バリアフリーが常識なのに、変じゃない? でも、アートの世界では、変じゃない、ようだ。
数10分もある映像を見てもらおうと思うなら、折りたたみ椅子であるとか、多少お尻は痛くなりそうだけど小中学校の教室の椅子ぐらい置くのが親切ってもんだ。でも、なぜかそういう親切心は、アート関係者、とくに、アートの制作者にはないようだ。

映像作品の前に縁台のような長椅子とか、椅子がわりの木の箱が置いてあればいいほうで、もちろん背もたれはない。見かけから選んでいるのか、保育園で使われるような低く小さな椅子丸く小さなスツールなんかが置かれていることも少なくない。そういった椅子は見かけは洒落ていても、冒頭のキャンプ椅子と同様に一部の人には危険だし、座ったとしても快適ではないので、長く座ってられないのは明らかだ。

もしかしてアート関係者や作者たちは、作品を椅子にジャマされたくない、スッキリとオシャレな環境をつくりたい、会議室っぽくしたくない、なんて考えているのかな。

でも、低くて小さな椅子なんて、鑑賞者にとっては拷問以外の何物でもないぞ。アート関係者や作者の方々には「ちょっと、あなたが設置した椅子に30分すわってみてくれよ」といってやりたいぐらいだ。

そんなに折りたたみ椅子の見かけが嫌なら、見かけがよくて安全面でも問題がなく、しかも快適な椅子を自分で考案して並べたらいい、と思う。そういうのをつくるのもアートに含まれるんじゃないのか?
まあ、こんなことを言ってると、作者から「おまえ、来なくていいよ」なんて言われるのがオチだとは思うけどね。

■ビーズクッションに座るのはひと苦労だぜ

椅子でいうと、もうひとつの難敵がビーズクッションなんだよね。東京都現代美術館とか写真美術館、芸大の陳列館なんかでよく見かけるんだけど、床に置いてあって、端の方はほぼ床と同じぐらいにべたっとなってるようなやつ。これはもう、座るのがひと苦労、どころではない。だってクッションの一部を手がかりに座ろうとしても、手で触れたところがズブズブ沈んじゃうんだから。

膝を折ってしゃがみ、後ろに身体を投げ出すぐらい若い人にはなんでもないことだろう。でもそれって、歳をとると大変なのだよ。たぶん太り気味の人もね。
両手を後ろ手にしてヨロヨロしゃがみ、なかば投げやりな感じで腰を落とすんだけど、ちょっと怖い。もちろん座ってしまえば足を伸ばして仰向けになったり、いい感じに姿勢を整えたり、リラックスできる。

ところが、立ち上がるのがこれまた難儀なのだ。腹筋が鍛えられていれば両手をクッションについて立ち上がるぐらい簡単だろうけど、歳を取ると、そうもいかないんだよ。すぐ横に柱かなんかの手がかりがありゃあいいけど、そんなものはないわけで。投げ出した足を畳み、上体を起こして体育座りみたいになり、なんとか両手で勢いをつけ、でも倒れたりしないよう気を配りながらなんとか立ち上がるのだ。もう大仕事だよ。

こんな具合だから、なるだけビーズクッションには座らないようにはしているんだけど、長い映像作品を立って見るのは苦行だから、しかたなく座ってしまったりすることもある。でも、すでに展示会場をうろうろして疲れていたりするときもあって、つまりは足腰が弱っていたりする。こういうときが危険なのだ。しかし、その危険を冒さざるを得ないとき=立ち上がるときが、いつかはやってくるのだ。もう大冒険だよ。よっこらしょ、っと。

アート関係者は、鑑賞者に対するいくらかの親切心のつもりで、椅子を置いている。でも、その多くは座りにくくて危険な椅子なのだ。そしてその椅子は、大きな障壁=バリアになってるんだぜ。その結果、映像作品を見るのを嫌がる、面倒くさがる鑑賞者がでるわけで、はたしてそれでいいのかねえ、と思うんだけど。
まあ、作者から「おまえ、見なくていいよ」なんて言われるのがオチなんだろうけどね。
(2023.04.28)


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