見出し画像

私がこの仕事を選んだきっかけ

インテリアコーディネーターのあさいかよ です!
今日のテーマは
「そもそもなんで
フリーランスのインテリアコーディネーターになったの?」

この部分にフォーカスし
経緯や経験を書いていきますね。
(長くて熱いで。火傷注意!)

【出会いは1冊の本】
私は生まれも育ちもほぼ兵庫県姫路市
幼少期に一瞬、名古屋や大阪に居てましたが
それ以外は姫路で育ち
専門学校も仕事も結婚も出産も全部姫路!笑
そんな私がなぜインテリアコーディネーターを目指したのか。

まずこの言葉自体を知ったのは
憧れていた先輩が「インテリアコーディネーター」の資格を
取ろうとされていたから。
当時は「ふーん」って感じでした笑
が、それがきっかけで
建築って面白いのかも?と思い、建築の専門学校へ。
なんとなくで入った学校で
設計計画や法令、インテリア計画の授業が楽しくて
(構造施工は面白くなかった)
インテリアの仕事をしたいなぁと漠然と考えていた時
1冊の本に出会う
それは…

「あなたもなれる!インテリアコーディネーター」
町田ひろ子著

出典:Amazon

この本を読んで、知った「フリーランス」という働き方
当時20歳そこそこの私
・将来結婚してもしなくても、キャリアが途絶えても
「フリーランス」なら細く長くやっていけるのでは?
・自由に働けて、定年がないなんて将来安心やん
(現在ではこの考えは甘いと気付く)
・暮らしに携わる仕事でフリーランスなら、仕事がなくなることはない
(この考えもまぁ単純やな。笑)
とまぁ心に刺さり
「完全に自己都合で」目指し始めたインテリアコーディネーター
本に書いてある通り、いろいろなことを経験
・オーダーカーテン販売員
・照明メーカーでの営業
・マンション受付
・単発セミナーやワークショップのアシスタント
・モデルハウス設営のアシスタント
・整理収納アドバイザー2級の取得
・ライティングコーディネーターの取得
そして
本を読んで早速申し込んだ
「町田ひろ子インテリアアカデミー 大阪校」に入学!
目標があると人って頑張れる
正しく「夢」のために何でもやりました


【落ちこぼれ】
昔から変に行動力はあって
本を読んで速攻入学説明会に行き
対して説明も聞かず勢いで入学を申し込み
2年間姫路~大阪まで(週1ですが)アカデミーに通うことにしまして
行ってみたらまぁ目からウロコの授業でめっちゃ楽しかった!!!
…1年生の時は。
学校と仕事との都合で1年休学し
2年次復学した時には自分自身20代前半で遊び盛りなことや
仕事も充実していたことに加え
2年次の授業は基本的に課題に対して「自分が向き合う」学び
当時の私には結構辛くて。
課題期限も間に合わなくなっていって、
そうなると行きたくなくなる。遠いし。
で、「辞めよう」と申し出た
すると
担任の先生が「とりあえず、学校に来なさい」と
一言声をかけてくれて。
この一声が当時の私を救い
課題の内容はズタボロでしたが
・期日内に提出
・課題をやりきる
事が出来、無事卒業!!
本当に感謝しかありません。
この卒業で少し自信がつき、本格的に
「インテリアコーディネーター」の道を歩むことになる。

【言い続けた結果】
「フリーランスインテリアコーディネーター」になる!と
決めてからはどこでも目標を口に出していて
でも当時は
「フリーランスって何?」
「インテリアコーディネーターって大変やで」
「なりたくてもなれへん人よーさんおるで」
と人生の先輩たちに散々言われてきまして。
ましてや地方在住に
インテリアコーディネーターの空きは少ないし
募集は正社員やし、経験必須やしと
自分自身もこの目標はスケールのでかい夢やわぁ
なんて考えていた。
それでも諦めないで言い続け、5年が経過した時に
1本の電話が。

「インテリアコーディネーターになりたいっておっしゃってましたよね?
ある会社さんで空きが出たみたいなのですが、行ってみますか?」

あちこち言い続けていたら、タイミングで誰かが声をかけてくれる
自分のことを覚えててくれる
こういう経験の積み重ねが今の私を作っています


とりあえず話を聞きに行って、真っ先に言われたのは
「こどもさん小さいけどできる?」
当時長女1歳
気の強い私は
「できます。でもこちらの条件も飲んでください」
と言い返し笑
異例の時短アシスタントコーディネーターへ
ただこの特例が今ではこの会社のスタンダードになりました
「なんでこどもがいるからって我慢せなあかんねん」
この気持ちがより一層「フリーランスになる!」を加速させました

【夢が叶う?】
アシスタント=先輩コーディネーターのサポートと
自分自身のスキル向上
インテリアコーディネーターになりたいんです!と
言い、入社しているのでまぁ必死に働き
2年でアシスタントからインテリアコーディネーターに昇格!
2019年業務委託契約開始、
念願のフリーランスインテリアコーディネーターに!!

叶った瞬間の誇らしさと
あ、夢ってホンマに叶うんや。という達成感は今でも忘れられない…!
それくらい嬉しかって仕事が一番楽しかった時
子育てとの両立は大変やったけど何せ楽しかった!

そんな楽しい時期は数年で崩壊…

金銭面の闇。
コロナ禍で会社自体の仕事減のために
夜0時~5時までの深夜アルバイトと
インテリアコーディネーターとの両立
フリーランスって
当然ながら社会保険や福利厚生がないので
その分の補填のために働きまくり
社会の闇。建築業界の闇。
「こどもが小さいからこの仕事はできないね」
「これ、インテリアコーディネーターのせいだよね」
「このミスはインテリアコーディネーターのせいだから
ペナルティで費用負担してね」
「夜遅くにすみません」という電話(いや21時やで)
家庭不和、闇。
「こんなに働いているのに家事子育て手伝ってよ!」
「また土日に小さい子放置して仕事?かわいそうに」
「部屋片づけれへんのやったら仕事辞めたら?
インテリアコーディネーターやのに自分の家汚いやん」

あれ?
私なんでインテリアコーディネーターになりたかったんやっけ?
あれ?
私なんでフリーランスになったんやっけ?

この繰り返し実は
2020年~2022年の終わりまでずっとこんな感じで
インテリアコーディネーターという仕事に拘らなければ
フリーランスに拘らなければ
こんなことにならなかったのではないか…
悩みもがいていたときに追い打ちをかけるように
憧れの先輩コーディネーターの訃報
友人の訃報 叔母の訃報が重なった

一番きつかったのは叔母の葬儀の日
打ち合わせが入っていて、事情を説明し
日を変更してもらおうと思ったら
「工程が決まっているので打ち合わせ延ばせません。
葬儀終わってから来てください」という営業さん

わかるよ。わかるんだけど。
フリーランスなのに?フリーランスだから?
私はこんな
フリーランスインテリアコーディネーターになりたかったのか?

この辺りから
「インテリアコーディネーター」という仕事に
改めて向き合うようになりまして(遅)
仕事ではなく事業として
そして
「なぜインテリアコーディネーターなのか」
「なぜ、私がやるのか、私の使命とは?」
何より
「私が味わった思いを味わう女性を減らしたい!」
という考えに至ったのです

【まだまだ旅の途中】
長----くなりましたが
社会に対して何か変えたい、貢献したいと
思い、挑戦動き出したのはここ1年程
だからフリーランス歴は長いですが
まだまだ起業家として事業としては
考えもがいている真っ最中で
作っては捨て
作っては相談しブラッシュアップし
挑戦し、砕け、失敗し
今の今、これを繰り返しています
この経緯から気付けたこと
経験から得たもの
そして
今得ているものは財産になると思うし
「生きている生かされている意味」を
人生の中で今一番味わっている
インテリアコーディネーターだからこそ
伝えられる表現や空間
その空間で過ごす、視覚からの心身への作用は
この経験がなかったら深堀っていなかった
まだきっかけに過ぎない
私の仕事道、新たな夢目標も探しているところ

ぜひ応援してもらえたら嬉しいです!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?