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醤油・オリーブ・コーヒー(8/9)

2022.10.3(月)

 帰りたくない。

 本当ならば今日の朝、私は荷物をまとめて姫路行きのフェリーに乗る。目が覚めたのだし、さっさとテントを片付けて荷造りをして、フェリー乗り場で切符を購入しなければならないはずである。
 帰りたくないみたい。このままアウトドアチェアに深く腰かけ、遠方の海を眺めていたい。

 気楽なニート旅だ、帰りたくないなら帰らなければいい。港ではなく管理棟へ向かい、キャンプ場の管理人さんをつかまえて、追加料金を支払った。1日延期だ。

 朝の日差しを浴びて「わはは」と思う。こういうとき、私はいつも、中学生の頃はじめて学校をサボった冬の朝のことを思い出す。学校指定の鞄から教科書を抜き、私服を詰め込み、公園のお手洗いで着替えて図書館に向かうときの軽い足取り。

 絶対にしなくてはいけないと思い込んでいることは、案外、絶対にしなくてはいけなかったわけではないな、という自己正当化。わずかな罪悪感と将来の不安。それを上回る、予定がなくなった今日への祝福!

 この感覚は私の人生に度々訪れる。病院でもらった診断書と休職届を人事に叩きつけた日。退職届入りのレターパックをポストに投函した日。耐えかねて疲れ果てて、別れの挨拶もなしにブロックした連絡先。5年間付き合っている人に別れ話を持ち出した翌る日の、1人きりのベッドの上。思い返せばいつだって朝だ。
 朝が憂鬱な時間なのは、やりたくないことで満ちた1日が始まってしまうのが億劫だから。全部ばっくれてしまったときの清涼感は何ものにも代え難い。この感覚を味わいたいがために、人生をやってきたような気さえする。さすがに暴論か。

 努力を払って積み上げてきたぼろぼろのジェンガの塔に、でっかいピコピコハンマーを鈍く振り下ろす。まぬけな音を立てて崩れていく塔は、元を正せばオモチャの積み木だ。いつか限界が来て崩れてしまって、自己嫌悪に苛まれるのであれば、この手で壊してやったという清々しさをもって、この営みに終止符を打とう。

 だいたい、帰ったところで何になるというのだろう。コーヒーを啜りながら考えてみたけど、とくにやりたいことも、できそうなことも、やるべきことも見当たらなかった。

 差し当たって、鳥取と愛媛の離島で買ったコーヒー豆が少なくなってきたので、この島にうまいコーヒーを焙煎しているロースタリーはないか探し回ってみよう。

 旅に出ていると、自己嫌悪に捉われる間も無く、無職の私にも「やるべきこと」が到来する。この際の「やるべきこと」というのは、社会において取るに足らない極めて些細な、私以外の誰かにとっては、全くもってどうでもいいことだ。だが、そのことがひとまず何よりも嬉しい。

 今日は、小豆島内のアートを巡りつつ、よいロースタリーを探す旅に出る。

福武ハウス

中 白  小

 もう使わなくなった市役所や小学校をアート展示の会場にしている。美術祭あるある。奥能登美術祭もそうだった。プラス、廃駅や廃キャバレー、北前船関連の廃屋。使わなくなった市役所や学校や廃墟は、どうしてこうもアートと相性がよいのだろう。日本各地にこういう場所はどんどん増えていくことは、確実に確定事項なのだし、美術祭以外にも、さまざまな目的で活用をしてほしい。絶対に行くから。

↓こことかめちゃくちゃ行きたい。

 私がいま住んでいる街にも「柳ヶ瀬」という寂れた商店街があるのだけど、下手に活性化させようと「東京」の真似事をするよりも、こういう方面から盛り上げてくれりゃいいのにな。
 閉店したキャバレー群の廃墟ツアーとかをやっていると風の噂で聞いた。実に参加してみたいものだ。

迷路のまち

いよいよセルフタイマーに恥も見聞も無くなってきた

 小豆島はかなり「街」だ。私の生まれ育った地元近辺よりも栄えている。観光地としてのポテンシャルが高い。しかし、ツアラーが大勢いるとはいえ、石垣島や西表島よりも格段に居心地がよい、私にとって。八重島列島近辺のレポートもまとめなくてはならないな、どうして私は鉄を熱いうちに打つということができないのだろうか。

マルキン醤油記念館

醤油職人OJT

 出来立ての醤油が劇的にうまい。小豆島のお土産は醤油で決まり。オリーブオイルも間違いない。
 うまい魚を出してくれる福井の居酒屋の大将が「醤油は地元のものしか使えない」と言っていたが、小豆島の醤油には違和感がない。非常にプレーンで、複層的な甘みがふくよかだ。リットルで輸入したい。
 小豆島の街中は、醤油の甘くて香ばしい匂いで満ちている。山陰と山陽の山間は金木犀と雪隠の匂い、沖縄本土は牛の匂い、北陸の古い街並みからは日本酒醸造所から漂う炊き立ての米の匂いが、それから上野や鶯谷からはドブくさい人間の匂い。都市と匂いが結びついていく。

醤油ソフト 今までの人生で食べた中で一番うまい義務

加納珈琲

 Googleマップと睨めっこしながら街をツーリングしていたら見つけた、めちゃくちゃいいロースタリー。

 一見チャラ見えだけど真摯にコーヒーに向き合ってきた、最高のDIYお兄さんとお喋りできる。浅煎りのケニアを試飲させてもらった。大好みだ。
 Cafecの営業の方?ってくらい、Abacaコーヒーフィルターのおすすめポイントを熱弁してくれた。曰く、Abacaのフィルターを置いている・使用しているコーヒー屋さんは間違いがないらしい。いまでも、私の中でひとつの指標として活躍しているし、まことしやかに周りのコーヒー・フリークに風聴している。

「紙幣でコーヒー淹れてるようなモンやで」と教えてくれた

 この旅行から1年半経った今でも、定期的に加納珈琲のネットショップでコーヒー豆を購入している。どの産地も、本当にうまい。いっさい間違いがない。

オリーブ温泉

大きなスーパー銭湯。人がいない

 座り込んでぼけっとしたりトコトコ走ったりテクテク歩いているうちに、「そろそろ帰ろうかな」の尻尾が見えてきた。水風呂から上がり、プールサイドみたいなプラスチックの白い椅子に座る。膝の上に、「帰りたい」が鎮座している。明日、帰ろう、福井に。

2022.10.4(火)

 帰るぞ。楽しかった。

豊島美術館のおみやげ

 憑き物が落ちたとはこういう状態のことを指すのだろうか。またどうせ、無職を拗らせて悶々とした日々を過ごしているうちに「憑かれる」のだけど、その度にこうやって衝動的にどこかへ出かけていれば、とりあえずは絶望という病で死んでしまうこともないだろう。

 この、時間に余裕のある人間しかできない、かつその他には何の才能もいらない、ゆる中旅行・元気出しライフハックは、なにより〈他者〉へ依存しないのがいい。やや金銭に余裕がないとできないが、もちろん。そういう意味では〈資本〉に依存しているのだが。

 人に依存するとロクなことにならない。

 だけど絶対的に孤独な旅程ではない。となりのテントで騒がしく喧嘩するカップルの存在すら、今は愛おしく受け入れることができる。コンビニや商店の店員さん。ありがたい。道中に話しかけてくれる人たち。やさしい。うまくしゃべれなくて申し訳ないけど、もう会わないのだから後腐れない。道を作ってくれた人。最高。仕事をしてくれてありがとう。めちゃめちゃ常套句で口が腐りそうになるけど、ひとりだけど孤独ではない、と思う。実感として。

帰るよ、という横顔 はーい

 最後にまとめを書いて、9日間の旅行レポートを終了します。いろいろ生活が忙しくなったとはいえ、書き始めてからここまでに7ヶ月くらいかかってしまった。ヒマがないということは、なんていけないことなのだろう?

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