途切れた雲

途切れた雲

  門司港が旅の終わりだった。

  ただ一作。中編の小説で、生涯名の売れなかった作家が残したものだった。

  祖父が老衰でついに亡くなり、遺した一軒家に僕が移り住むことになったのだけれど、家の中を掃除している時に階段下の物置からダンボールが見つかった。

 中には母親の中学生時代の日記。

  まさか自分より年下の時の母の日記が読めるとも思わず、いけないと思いつつ読んでいったけれど、随分と多感で他人に厳しく、そして恋多き思春期だったのだと思わせられる。

  同学年のみならず、先輩や、先生にまで恋の対象が及んでおり、随分と気のある素振りを見せながらも厳しく採点している様子が日記から読み取れる。

  このまま黙っているべきか、そっと母に日記を見つけたことを報告するべきか、悩みどころだ。

  祖父の様子は日記から読み取れた。

  寡黙で休みの日は書斎に篭っていたらしい。

  母は家族にかまわない父のことがあまり好きではなかったらしい。

  僕にはとても優しいおじいちゃんだったのだけれど、親と子の関係だとまた違ったのだろうか。

  一通り読み終えた後、さらにダンボールの底へとノートやら日誌やらを穿り返していくと、一番下の方に「九州文学」という文芸雑誌が一誌だけあった。今から五十年近くも前になる一九六九年のもので、付箋が張ってある。

  付箋のページを開くと短編小説が掲載されていた。筆者は加古文星。作品名は『流星』。

  家族を持って文士を辞めて行った同志への羨望と決別の気持ちが流麗な文章で描かれていた。

  僕は初めて文章で心を打ち抜かれた。その時僕は彼女と別れたばかりで、控えめな僕はどうしてか、彼女と一緒にいるだけでも幸せで、いかに幸福なのか好きなのか言葉で表わせられずにいた。

  そして彼女は僕に飽きたのか、告白してきた他の人の元へと行った。

 「その人のこと好きなの?」

 「うん。ずっと前から知ってるし、憧れてたとこもあるし、将来のことも真剣に考えてくれてるみたい。私、幸せが欲しいから」

 「わかった。ごめん」

  何故だろう。止めたくても止められない弱さがあった。こうなる前にもっと色々出来たはずなのに、今となっては全てが手遅れなのだと、弱い僕は思ってしまった。

  彼女と別れた時のことが何故か作品と重なり、僕は他にも加古の作品がないかどうか探してみた。

  唯一単行本で出されたものがある。

 『喚問の港』

  内容は失踪した女性が非常に好意を持っていた、ある浮浪者のような男を見つけたバーのママが女性が失踪した理由を問いただし、女性と男の過去が次々と明かされていくという内容だった。

  作品には具体的な地名が多く出ており、半分は門司港が出てくる。恐らく喚問という題名も関門海峡から取ったものだとすぐに察しがつく。僕は作品の中を歩きたくなった。

  作中には男が別の生き方が出来なかった懺悔と小説を書くことでしか魂の飢えを昇華できなかったこと、女を幸せに出来なかった自らの魂への恨みを描いている。

  作中に書かれていたバー、正確にはスナックだったが、なんと同じ店が存在していた。

  そこへ尋ねていくと七十歳近いはずの店主が居た。

  見た目は若く五十そこそこだと言われても疑わないほどだった。

  店内は古い時代の落ち着いていて柔らかそうな木彫の使い込まれた棚やテーブルがある。キープボトルも数多くあり、今なお店が成り立っている様子が見て取れる。

  作品のことを聞いてみるとすぐにわかったようで「ああ、あの人」と吐き捨てるように言った。

  最後は餓死だったと言う。ツケが多くあったが、少しだけ売れた本でツケを払った後もう来ないと言ったが引き止め、しばらくは一緒に住んでいたと視線を僕の飲んでいるグラスに落としながらつぶやいた。

  誰もいなかったから色々喋ってくれたのだろう。来店した常連さんが見えるとすぐに話を止めて常連さんとのおしゃべりに夢中になりだした。

  餓死というからには自分から出て行ったのだろう。

  僕は二杯ほど飲んで、静かに店を出た。

  毎日雨が降り注いでいた。

  青い傘を差し、港まで歩いていくと空を見上げたくなった。じめじめとした梅雨の季節がもう少しで終わるはずだ。

  僕の心の中に虚しい気持ちが漂っていた。

  作品の中に「俺には結局美しいものはわかっても、美しいものを作る素質はなかった。努力しても辿り着けないものがあるのだと知り、俺のような野良犬に向けられる幸せのようなものは美しいものを浪費するような行為だと感じるようになった。ああ、美! 美がわかっても、何ゆえ表現できないのか! かつての友は死に、俺だけが才能のないまま続けていく愚かさよ」とある。

  その後男が見たものは目も開けられないほどの朝日だった。

  母の日記には不可解な点がある。あれほど厳しく人を採点していたのに、僕の親父は結構適当なところがあり、尚且つドジで、いいところと言えば温厚なところなのだろうか。どうして父と結婚しようと思ったのだろうか。喧嘩もせず、仲もいいように思える。

  もしかしたら、こだわりすぎると逆に何かを見失ってしまうものなのかもしれないと僕は思った。

  連日振り続ける生ぬるい雨もやがては止んで、蒸し暑い夏が突き刺さるようになる。

  途切れないかのような雲もいつかは途切れるのだ。

  ただ今は、加古文星のことを考え、いつまでも止まぬ港の雨の中で、彼の孤独を溢れるように想っていた。


参考写真:GMTfoto @KitaQ 

http://kitaq-gmtfoto.blogspot.jp/2016/07/blue-rain.html


あたたかなお気持ちに、いつも痛み入ります。本当にありがとうございます。