無理して嫌いな人を好きになる必要はない【エッセイ】
noteもラジオトークのごとく、ミュート機能あればいいのに。
フォローしてる人の記事見に行くとついている、不快なコメントを見なくてはならない。
こないだはあまりにひどくて実は通報してしまった。
なんで不快なのか考えたのだけど‥
【私は清く正しく美しく明るく元気に生きてます。間違ったことなんてしてません】
という内容だからのようだ。
要するに、遠回しな自己顕示というか自慢を聞かされなくてはならない。
何十回も見てきたけれど、なんでその人のコメントがそんなに嫌なのかどうにもわからなくてもやもやしていた。
自分のケツは自分で持ってくれ!人に褒められないと自信も出ないのはわかるけどさ。
あ、こうやって書き出してみると少しスッキリした。
ずっと、相手が正しく、それを不快に思う自分が悪者だと思っていたからだ。
大丈夫。自分の感覚を信じよう。
一見ポジティブだけど、あのコメントにはネガティブが隠されているのだ。ちゃんと不快に思う理由があるのだ。
ねぇねぇ私をかまって。私を褒めて。そういう気持ちが込められているのだ。
言語化したことですっきりした。
私がその人を不快に思うことに間違いはない。
大体、誰が好きで誰が嫌いかなんて、自由なのだ。
私はあの人が嫌い。あの人を好きになる必要はない。それでいいのだ。
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