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勤勉とか怠惰って危険な言葉なんちゃう?【エッセイ】

昨晩母と話してて、なんか怠惰はよくないみたいな話になった。私はその発言が、ん?と思ったので、ちょっとそこから延々1時間も話してしまった。

勤勉とか怠惰って言葉って、よその国の人はわからんけど、日本人はがっつり刷り込まれてるんじゃないかと思う。だから、私がなんで怠惰とか勤勉に反応したかって説明するのには、めっちゃ助走が必要で、どっから説明しようと思って、ちょっと遠目のとこからジャブ打ってみた。

母に怠惰ってなんであかんの?たとえばデイトレードとかしてお金儲けてるのは怠惰とは違うの?と聞いてみた。母いわくそれはきちんとお金稼いでるからセーフなんだそうな。じゃあ、世の中のうちのめっちゃお金もってる氷山の一角みたいな人たちはどうなん?と聞いてみた。その人たちは現場の仕事なんてしないし、なんなら経営も人に任せてお金動かしとるだけやで、と。母いわくそういう人はそこまで来る間に努力してきたからとのこと。

私は母に、お金に対する見方を変えて欲しかった。勤勉にしないと手に入らないものではなく、怠惰は悪いことでは無いということを言いたかった。

母一人考え方変わったって世の中が変わりはしないけど、今の若者はお金におわれてとてもしんどいことになってる。それこそ勤勉にやったって報われない状況。たとえばある一定以上の大学卒の人のみが座れる椅子があって、もうそこに入れなければその椅子の争奪戦の権利すらない。

でもさ、椅子ってそこに用意されたやつだけじゃないやろ、って。その人の人生に合っただけの椅子は用意されてるのに、無理くりみんなで同じとこ狙うからおかしなことになる。でもそうでもしないと生きてけない、お金が稼げない、そんな状況。それってめっちゃしんどいやん。もし仮にそこに座れたとしても、というかうっかり座っちゃったとしてもそれが合ってるかどうかも分からない。ただ、みんながいいって言うからそれをとりあえず選んでるだけで。うっかり座れた人もしんどい人もおるやろ。

快と不快の秤があるとして。それは、快のほうが下がってるほうが当然良いんだけど、結構な割合で不快の方が下がってる人が多い。なんなら不快のほうが天井ならぬ床に打ち付けられてめり込みそうなくらい。

わかりやすくするために、差の少ない例を出す。時給1000円ストレスフリーと、時給1500円ストレス満載があったとする。まあ一見すると1500円の方に飛びつくだろう。なんかそっちのがかっこよさげな仕事だし、とかもあるだろう。でも1500円の方の秤はすぐに不快の方へ傾いてしまう。だから病院行ったりマッサージ行ったりご褒美買ったり、息抜きにお酒飲んだり、まあそんなことしてると500円‪✕‬何時間分かわからんけど、まあ1000円と変わらなくなる。しかも体調不良という負債付き。

そんなんなら1000円ストレスフリーを選んどいた方がいいと思う。

めんどくさいやなことも時にはやらなきゃならないこともあると思うけど、できるだけやらないのがいいと思う。楽しいことだけやっていこうってのはなかなか難しいことなので、やな事減らすだけでもやった方がいいと思う。

そして話は戻るのだが、勤勉でなくても、怠惰でも生きる権利はあるし、お金は貰ってもいいのだ。勤勉がよくて怠惰がダメとかこの世のルールになってるけど、それのせいで、子供らががんじがらめになってる。人からむしりとれとは言わないが、なんで自分の楽しいことやりたいことをやってお金を貰っちゃダメなんてことがあるだろうか。
母はもういいのである。やり甲斐のために仕事してるとか言ってるから。母はいい。けど先の長い若者たちがこれから自分を食い繋がせるためだけにお金に縛られる世の中は見たくない。

先の予定なんて立てたって、明日何をしてるか来年ここにいるかどうかも分からない。そんな不確定なことのために人生を犠牲にするくらいなら、どうか自分の好きなことで生きて言って欲しいと思う。
だからこそ、勤勉でないとお金は手に入らない、怠惰はいけないことだという思い込みを1度捨てて欲しいのである。


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