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本の棚卸し:001 「体はゆく」はじめに

まずは、
以前「立ち読み所感 001」で紹介した
体はゆく」を何回かに分けて紹介しようと思います。

当初は1回だけで書き切ろうと思ったのですが、
内容が豊富で、1回だけでは表面をさらっと紹介する
だけになってしまいそうだったので、
何回かに分けることにしました。

はじめにの部分が、
この本の肝を詳しく書いてある(当たり前ですが)ので、
今回は はじめに の内容を紹介したいと思います。

「体はゆく」とはどういうことか

そもそもこの本のタイトルである「体はゆく」
がどういう意味合いなのかについて説明しています。
VR(バーチャル・リアリティ)を使ったけん玉の技術習得
のエピソードから入ります。

人がある技能を習得する(学習する)際には、
実際に行って何回も失敗しながら覚えていくという過程が
(運動学習の過程)があります。試行錯誤ですね。

ここではVRを使用して、
けん玉をしているようにHMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)
で見せて(実際よりもややスピードを遅くしているようです;
ここも面白い所です)、繰り返しけん玉を行っていると(いう疑似体験)、
とても早い時間(5分くらい)で多くの人がけん玉の技術を
習得できたという話です。

つまり、
実際にけん玉をリアルに扱ってはいないのに、
体はあたかもけん玉を実演しているように感じ取ること。
スピードを遅くしている分成功体験を会得しやすく、
その体験を体が覚えて実際のパフォーマンスも向上しているということ。

これらから、
私たちは意識よりも体のほうが先行して「できない」ことが「できる」
ようになるのではないか、つまり体は(先に)ゆく、
ということになります。

体のユルさとは

体のユルさ(と著者は評伝しています)があるからこそ、
さまざまな介入(ここではVR技術)の可能性を許す
のではないかと著者は考えています。

体のユルさとは、
体の動きが意識で完全に/がんじがらめに管理されてはいない
という意味です。

技能獲得のパラドクス

もし、身体が意識で完全にコントロールできると仮定すると、
決定的な矛盾を生じてしまいます。
それが、技能獲得のパラドクスです。

新しい技能を獲得する体験は、
「できない」ことが「できる」ことです。
それは、
これまでやったことのないやり方で体を動かすことであり、
意識が正しいやり方を命令する必要があります。

しかし、
これまでやったことのないということは、
正しいイメージを意識下で持てないということになります。
つまり、
正しいやり方を体が実行できない、ということになり、
いつまで経っても新しい技能が獲得できないことになってしまいます。

結局、
身体が意識で完全にコントロールできると仮定が
間違っているわけです。

体は意識を超えてジャンプする

では、
どうやって新しい技能を獲得することができるのでしょうか。
新しい技能/体の動かし方/体験とは、未知の領域です。
その未知の領域へ体がジャンプする(と著者は表現しています)
必要があります。体が意識を超えてゆくわけです。
ここにも「体はゆく」の意味が表れています。

もちろん、
意識して努力することを著者は否定していません。
色々失敗を体験しながら人は技能を獲得/習得していくことに
変わりはありません。

ただ、
体のユルさという特徴を利用して、
さまざまなことを介入させる余地があるということが面白いこと
だと伝えています。

この本では特に、
現代テクノロジーの体への介入可能性の試みが、
第1章から第5章にかけて詳しく説明されています。

私の所感

理学療法士はまさしく人が人へ運動の介入をする職業です。
その視点からも はじめに で書かれている事象や考え方/概念は
とても興味のある所です。

できなかったことができるとは、「運動学習」を意味します。
自分の体が完全にはコントロールできないことは、
一方で、
どこまでコントロールできるのか、
どうやってコントロールしているのか、
と対をなすものでもあり、「運動制御」と関係します。
さらに、
新しいことができるようになる過程は、「運動発達」で
顕著に認められることです。

また、
体の複雑さ(の面白さ)は、「身体運動」が「複雑系」であることを
示唆しています。

「」で括られた、運動学習・運動制御・運動発達は
身体に関わる職業、理学療法士としては三種の神器(的な概念/知識)
とも言えるでしょう。
また、身体活動が複雑系であることが、身体運動の面白さを
強調してくれます。

この本では主に現代テクノロジーの身体の動きへの
介入可能性の話ですが、私の立場としては、
「ではテクノロジー以外の介入可能性としての理学療法などは、
どうやって “できない” を “できる” にジャンプさせられるだろう?」
という問いを突きつけられた感じがします。

また、
意識が身体の動きを完全にはコントロールできないにせよ、
できるようになった後(技能獲得後)には、
意識あるいは知性と言い換えてもいいかもしれませんが、
の介入がその技能の定着や維持に役立つであろうし、
新たな技能獲得への意欲をも生み出すのではないかと
考えています。

いずれにしても、
面白いワクワク感がこの本の はじめに で既に誘発されました。
これから1章ずつ読み解いていきたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
ではまた次回に。




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