見出し画像

本の棚卸し:003 「体はゆく」 第2章

体はゆく」の第2章の紹介です。
ここでは、
変動性の中の再現性暗黙知についてが
話題になっています。

変動性の中の再現性

最初に元読売巨人軍の桑田真澄投手のエピソード
から始まります。桑田投手は元々身体の動きについて
とても造詣の深い、探究心のある投手でした。

その桑田投手のピッチング動作を
モーションキャプチャという機器で
記録・分析した逸話がとても面白い。

なにが面白いかというと、
何回も同じところに同じように投げてもらい
その動きを解析するのですが、なんと!毎回動きが違う。

もちろん人の動きの再現性には(ロボットではないので)
微妙な違いがあるのは当然なのですが、
特筆すべきは、
桑田投手の動きは微妙のレベルではないほどに、
毎回異なる動きであったという点です。

しかも、
本人自身は全く同じように投げている意識であった、
という点がさらに面白い。
投げた桑田投手自身がその結果に一番ビックリしていた、
とのことです。

もちろん、
ボールの質はほとんど変わらず、
同じコースに投げられていました。

しかしよく考えてみると
(前章でも話題になりましたが)、
野球の投手が全く同じ環境下で投げる
ということは現実的にはあり得ないわけです。

相手方の球場で投げる場合もあるので、
当然マウンドの高さや硬さなどが
(ホームゲームの球場とは)異なるでしょうし、
ほかにも天候や観客の数、投げる時間帯なども
違ってきます。

また、
投球数が多くなれば疲労もあるでしょう。
投手自身の体調変化もあると思います。

このような多くの変数の中で、
同じパフォーマンスを続けることの方が
至難の業と思われます。

そんななか、
体の動きは、意識にのぼらずともさまざまな変化に対応して
同じレベルのパフォーマンスを維持しようとしているのです。

これがもしプログラムされたロボットだったらどうでしょう。
全く同じ動きを再現できるでしょうが、
先ほど述べた色々な変化に対しては無力でしょう。

一旦プログラムされた動きを変化させるには、
改めてプログラムの書き換え作業が必要となってきます。

その点で、
人の動きのある意味ゆるさというか曖昧さ、冗長性が
功を奏することになります。
体が勝手に(意識よりも先に)
周りや自身の状況変化に対応してくれる余地を持つ、
これをゆらぎと称しています。

このゆらぎのような性質が、
変動性の中の再現性を成り立たせている、
ということです。

暗黙知

ある技能を獲得・習得する段階では、
その技術に習熟した人から教わることも必要になってきます。
しかし、体の動きを全体として言葉で伝える
ということはなかなか難しい。

一旦頭の中で理解してから、その動きを再現しようとする。
どうしても時間差が生じてしまいます。

しかも、
一連の動きの再現ですから、
一瞬のうちにどの動きを修正したら良いか?
個々の動きを修正したとしても、
それを連続的に再生することは至難の業です。

故長嶋茂雄氏が監督時代に、
パーンとしてとかスッとして(同じ音ではないかもしれませんが)
などのいわゆるオノマトペのような、
言語というよりは音で指導していたことは有名ですが、
このわざ言語(とこの本では称しています)だと、
伝わる人には伝わる
(わからない人にはさっぱりわからないかもしれませんが)。

言語ではなく音として、(頭・意識ではなく)
体が瞬時に捉えやすいのかもしれません。
※この話は後の章にも出てきます。

このような言語では理解できない知識のことを
暗黙知といいます。
特に体の動きに関する知識、身体知はその典型です。

つまり、
人の身体運動は頭で考えるより先に、
体自身が動きを覚えていく、
まさに”体はゆく”状態であることを示唆しています。

ほかにも面白いエピソードがこの章には述べられていますが、
それは実際にこの本を手に取られて読んでいただければ、
と思います。

この第2章に関しても、Podcast番組
トーク・オン・エクササイズ 206(306)」の方で
話題にしていますので、是非そちらの方もお聴きください!

ここまで読んでいただきありがとうございました。
ではまた次回に。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?