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自分に足りないものがあったとしたら

自分に足りないものがあったとしたら
あるものを引き出し、活かす、という
覚悟だったのかもしれない
 
ここ数ヶ月のチャレンジは
できない~!と長年おもってきたことに
取り組むこと
 
で、自分ひとりではハードル高いので
人の手を借りにいくわけなんですけど
 
決まって言われるんですよ
「できてますよ」て。

そのたびに、なるんですよ
え?そうなの?これ、できてんの?て。
 
ない、とおもってたのに
ある、と言われるもんだから
は???てなるばかりなんですけど
 
そっか「ない」ほうが自分にとって
都合良かったのかもしれないな、と。
 
たぶん、逃げ道だったんでしょう
 
うまくいかないのは「ない」からだ。
理想にならないのは「ない」せいだ。
私はこういう人でありたい、という
常識的な価値観から作り上げた
(そして到底なれるわけもない)
理想的な自分を目指すことによって
 
私、という
得体の知れない生き物の生態から
逃げていたかったのかもしれません
 
コントロール欲求が強い私にとって
予測不可能な、私、という生き物が
なにより怖いのかもしれません
 
活かして何かが起こったらどうしよう
でも、何も起こらなくてもどうしよう
 
ない、ことにすることで
予測不可能なものから距離をおいて
その結果を見なくてもすむように
してたのかもしれません
 
まぁ、それがダメかといえば
そんなこともないんだけど
 
いつまでそうしてるのかな?て
いつまで「ある」を引き受けずに
覚悟決めないで逃げるのかな?て
 
いま、そんな自問が始まったあたり。
 
さ、このさきどう展開しますやら

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