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私の身体に、ありったけの愛を込めて。

Twitterのある記事のタイトルに触発されて
ちとデリケートなテーマについて書いてみる。
自分の身体について考えていることなどを。
 
 
私は、出産をしたことがない。
この人生では出産を経験しない可能性が高い。
 
そのことについては、様々な思いがあって
とても文字には表し尽くせないけど

近頃、自分に備わる「出産」にまつわる機能、
つまり子宮や、卵巣や、卵子、などについて
「次の命を育てるため」のものだと考えることを
辞めることにしました。
 
 
正確には、一番大事なのはそこじゃない、と
気がついたということで 
「今の私を形作るため」のもの、という
一番大事な役割を思い出した、という話です。
 
 
ともすると、子宮、卵巣、卵子などは
特別視・神聖視されやすい。
そういう考え方も、わからなくはないけれど
私はちょっとその考え方に馴染みきれなくて
 
他の機能(や、それを担う臓器)の
どれも等しく重要なはずなのに、どうして
そこだけがクローズアップされるのか?が
腑に落ちなかったという感じでした。
 
女性に対する「自分を大事にしよう」という
メッセージのメタファーとして
「子宮」が使われることがよくあるけれど
それも、私にはちょっと取り入れにくくて
 
なんというか
「次の命を育てるため」という役割が
強調されすぎている気がして、なんだか
バランスを欠いてる気がしてたというか。
 
 
比較するようなものではないのだけど
誤解を恐れずに書けば、私にとっては
「次の命」よりも、「今ここにある命」の方が
優先度が高いです。
 
ぶっちゃけ、子供を産むかどうかよりも
今その人が幸せに生きてるかどうかの方が
私にとっては大事です。
自分も含めて。
 
 
だから、「次の命を育てる」
という機能が身体にあろうとなかろうと
その機能が活用されようとされなかろうと
そんなことは二の次で
 
いまここで、私の一部として存在し
ほかの機能と絶妙な連携をしながら
私を形作ってくれているということが
何よりも大事なことなんだとおもうのです。
 
 
毎月、どうしたって「次の命を育てる」という
役割を意識せざるを得ない期間はあるし
それによってしんどくなることもあるし
そのたびに生命を流してしまっているような
罪悪感に近い感覚を味わったりしている
 
でも、近頃はそのたびに
「今月も私を作ってくれてありがとう」と
身体の中に向かって、伝えることにしてる
 
それは、その他の機能や臓器…たとえば
消化・吸収・排泄を担う胃腸
身体を温めてくれる血の巡り
咀嚼してくれる歯や味を確認してくれる舌
などに対して伝えるのと全く同じ気持ちで。
 
どれか一つだけをクローズアップして
特別視はしない。だって全部が特別だから。
 
神聖視するとしたら、他の機能や臓器
すべてを含めた、身体全部に、そうしたい。
 
 
「今生で与えられた、自分を生ききろうぜ。
 一緒に楽しんで行きたいから、よろしくね」
 
って毎日身体全部に語りかけて
付き合っていきたいとおもうし

この先、機能が衰えたり無くなったときには
「いろいろあったけどいい経験だった」
「お疲れ様でした、今までありがとう」
って、送り出せるようでありたい。
悲しさや寂しさがあっても、気持ちよく。
 
 

私の一部になることを選んでくれて
様々な経験をさせてくれる身体全部に
ありったけの愛を込めて。
 
 
明日も良い日でありますよーに◎

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