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みんな勝ち組だった

昨日今日と仮装して歩く子どもをよく見かける。

定番の魔女ルックや、白塗りしたゾンビには何回も出くわした。プリンセスやら動物になっている子もいた。
ウォーリーの恰好をしている少年が前から歩いてきたときは、思わず「見つけた!」とラッキーな気持ちになって二度見した。粋な仮装をしてくれてどうもありがとう。写真に収めたかったけど、それは今のご時世アウトだよなと思って遠慮したよ。

私は普段、ハロウィンなんて全く自分には関係ないみたいな顔して生活しているが、過去に一度だけ友達数人と仮装して銀座ではしゃいだ経験がある。
お酒を飲める年齢には達しつつも、物心はまだついていなかった頃のことだ。

何の恰好をしたかは全く覚えていないけど、最終的に地下にある渋いバーに行きついた。カウンターに座っていた知らないおじさんと酒を酌み交わしながら、最近の子役が「いかに子供らしさに欠けるか」という会話を割と真剣にした気がする。

ハロウィンと言えば、実は私はジャックオランタンを手作りした経験も持ち合わせている。ハロウィンかぼちゃと呼ばれるあれである。
(これ作ったことある人、自分以外で知らないかも!)

確かそれは13歳のときで、私はイギリスの中学に通い始めたばかりだった。自分の頭の倍以上ある大きなカボチャの固い中身をくり抜いて、最後に目鼻口部分を切り取るという作業を、家庭科の授業の中でやらされたのだ。当時英語をほとんど喋ることが出来なかった私は、ことばがあまり必要とされない家庭科の授業が大好きだった。先生が言っていることを何とかそのジェスチャーから解読して、「要はこの大きなカボチャの上部を切って、中身を掘っていけば良いんだな」と理解した。結構大変そうな作業に思えたけど、これなら私も周りの生徒と遜色なく取り組めそうだから嬉しかった。

カボチャと無心で向き合い、延々とその中身を掘り起こしていく作業は私の性分にとても合っていたようで、めちゃくちゃ楽しかった。手ごたえをつかんだ私はその週末、スーパーで同サイズのかぼちゃを買ってきて自宅でも一人同じ作業を繰り返した。
ジャックオランタンはその名の通り、ランタンとしてお祭りのときに中に灯を灯すことを目的に作られるらしい。
が、当時の私はそんなことも知らず、成型したカボチャの中にあかりを灯すこともなければ、どこかに飾ることもしなかった。

ひたすらかぼちゃをくり抜く作業を楽しむ、ただそれだけのために作った。

作り終わったら、もうそれで「以上。」である。

いいね!を求めるInstagramやTikTokもない。
日本の友人とはまだエアメールでやり取りをしている時代だった。

ナイフやスプーンを長時間持ちすぎて、親指と人差し指の間が真っ赤になったのを鮮明に覚えている。

自由だったなと思う。
賢かったな、とも思う。
今より数段、週末を楽しむ術を知っていた。

子どもだった。

そこに結果などいらない。
純粋にプロセスのみを楽しむことができれば、それは若さだ。
人生の完全勝者だ。


姉から今朝、

「ソウルの事故がかわいそうで、メディアに触れるのを避けてる」
「すごい数。みんな若い子。」

とメッセージが来た。

自分よりも若い命が失われるのは苦しい。

明日のハロウィンが皆にとって限りなく穏やかで笑顔な一日となりますように。



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