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バルゼレッタ barzelletta vol.9

-初めてのお引越しー

引越し先はジュンコサンちからかなり遠い、フィレンツェ郊外。

ジュンコサンちはフィレンツェのど真ん中。
街中が博物館のような中世の町並みそのままの中にあったので

そのギャップは大きかった。

新しい住まいは語学学校が斡旋してくれてはいたが、
なんのインフォメーションもない。

どんな家族の中で生活するのか?全然情報がないのだ。

大荷物を携えやっとのことアパートを探し当てインターフォンを押すと
だみ声のおばさんが返事をする。

前もって7階と聞いていたのでエレベーターにのり7階までたどり着くと、

ピンポ~ンと鳴らすと金髪ショートカットのでっぷりおばさんがドアをあける。

なんと私の顔を見るなり大声で怒鳴りまくるではないか!
おばさん“○×■&$¥#&○▲!!!!”

どうみても怒っている。

いきなり怒られても…
どうしていいかわからなかったが家に入り、部屋を案内されると

部屋は応接間のようなところに無理やりベッドをおいたようなところ。
驚いて声も出ずにいると(これが私の勉強部屋かよ?)

さっきのおばさんがまた怒鳴っている。

何なんだろう???

とにかく自分の荷物を片付けて明日からの学校に備えようと身支度を整えていた。

またおばさんがやってきて
この家でのルールを話し始めた。

なんとな~くそんなこと言ってるのがわかった。

賄い付き(一ヶ月は勉強に励みたかったので贅沢だが賄い付にした)
日曜だけは自炊、ただし台所は使えない(じゃどうやって料理すんだ!?と聞いたような覚えがある)

朝ごはんは○時、夕は5時半!
朝ごはんの時間は忘れたが、夕飯が5時半だ!5時半!
何じゃえらい早いな~と。

おばさんの都合でこんなに早かった。

着いて早々、5時半になり夕食が始まった。

なんと驚いたことにもう一人,スイス人の留学生がいた(たすかったぁ)
今でもお付き合いがあるコーネリアちゃん。既にヒトヅマであった彼女。

建築の勉強の為に来ていた。

彼女も来たばっかりだったがイタリア語が上手で英語を交え色々話し相手になってくれた。

夕飯を食べながらどうもこの家にはおばさんは娘と二人暮しのようで
私とコーネリアちゃんの4人暮らしということになる。

おばさんの娘が帰ってくると私が日本人と知ると手招きして自分の部屋に入れてくれた。

驚いたことにそこで見たものはなんと!仏壇!
ぎょえ~~~何で仏壇があんのよ!

線香を見せてくれて、仏壇の中には漢字でお経が書いてあるではないか。
びっくり。

そんなこんなでトンでもない一日が終わろうとしていた時に
スイス人のコーネリアが教えてくれた。

おばさんが怒ってたのは私がマスクをしてたからよ。と。
え~~~なんでマスクをしてて怒られなきゃなんないのよ!

イタリア、ヨーロッパではマスクをする習慣がなく
毒ガス防御とスパイ?

悪い人間だけしかマスクはしないんだって。

ぎょ~~~風邪気味だったんで私はジュンコサンちからずっとマスクのしどうし、
日本からもずっとマスクだった。

これには笑いが止まらなかったと共に、
仏壇やらおばさんの怒鳴り声やらで気持ちが高ぶってなかなか寝付かれなかったのを良く覚えている。

寝付けなかったのはもう一つ理由があった。

ベッドのマットレスが異様に柔らかく、横になるとデレ~ンっとなってしまい
とても寝れる状態じゃないのだ。マットレスってのは大事なもんなんだと初めて知った。

いつもせんべい布団に寝てたから余計にそう感じて寝付けなかった。
散々な一日、そしてとんでもないところに来てしまったな~とジュンコサンちのベッドが恋しくて仕方なかった。

そうして引越しして第一日目の夜が過ぎていった。


次号に続く

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