見出し画像

バルゼレッタ barzelletta vol.6

「旅の始まり」

ーワタクシがむしゃらに稼ぐー

早朝は本屋のバイト。
これはかなりきつかった。

朝4時起きして物流センターに行き、
自分の手で野ざらしに積んであるかなりの量の書籍雑誌の類を軽トラに積んで本屋に運ぶ。

この年(‘95)は稀にみる大雪で、駐車場に雪で埋もれた車を取りに行くところから始まった。

午前9時までに本屋に搬入し棚に雑誌を並べるまで。
それを終えると次はオープンしたばかりの和風ファミレスのお運び。

これが終わると夜は例のイタリアン食堂だ。

ピッツァをこねたり延ばしたり、ドルチェの下準備をしたり、朝から晩まで仕事だ。
イタリア行きの資金を稼ぐ為だから一心不乱だった。

久々に手渡しでもらう給料の嬉しかったこと。(給料は手渡しに限る!)

考えてみればいつも(貧乏)暇なしが多かった。

嫁ぎ先は農家だから
朝から晩まで野良仕事は当たり前!(決して嫌いではなかった・むしろ楽しかった)

ほっかぶりをしてモンペをはいて農作業していた。
(なつかし~・この姿のままよく近所に買い物に行っていたが元夫はえらく嫌がってたなぁ~)

有機栽培農家、米から野菜と多種の品目を作っていた為仕事量は半端じゃなかった。

嫁になる前はOL生活を二年ほど。
まったく性に合わず転職、自然食関連のケイタリング会社に勤めた。

これがそれまでの人生の中で一番プレッシャーが大きく肉体的精神的に辛かった。
しかもバブル真っ最中であったに関わらずかなりの低賃金。

師匠に仕えるかばん持ち&丁稚の状態だった。
これは決して愚痴ではなく自慢です。

このケイタリング会社の(女)社長に鍛えてもらったお陰で今役立つことは計り知れない。

食・食べることの意味を知ったのもこの会社でだ。
“自然食”という言葉を知ったのもここだ。
私のベースを作ってくれた会社なのです。

これら丁稚・農家の嫁という二つの稀な経験は
後から考えると
オリーブの仕事をする上では全て役に立った貴重な経験となった。

何度も繰り返すがこの三つの掛け持ちアルバイト、イタリア行きという目的があったためがんばれた。
夫からの金銭的援助もあり、ついに半年後旅立つ準備が出来た。


次号に続く

前号に戻る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?