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バルゼレッタ barzelletta vol.5

「旅の始まり」

ーイタリアへの道ー
  

そもそもイタリア行きを決めたのは半年前……

【アルバイト募集】新しく出来た地元会津のイタリアン食堂の張り紙を見つけた妹が

家でごろごろしてないでアルバイトデモシタラ!!!

夫に三行半を突きつけられ家で悶々とした日々を過ごしていた私。
毎日、泣いていた。

永久就職をしたと思っていたのに。
おしどり夫婦とまで言われて仲もそれなりに良かった。

なんでこうなるの?と

自問自答の日々だった。

妹は寡黙でワタクシと性格は正反対。

しかし、一生でいままでで初めて、カウンターパンチのような一言だった。

いつまでも泣いてんな!と
きつい一言と先の求人情報を教えてくれたのだ。

シビアな一言にハッとさせられ、
それもいいかも…と

久々に履歴書なんてものを書いて
恐る恐るその食堂のドアを開けたのが始まりだった。

運良く採用になった。
以前ケイタリングの仕事をしていたというのが決め手だったようだった。
厨房の中で働けるらしい。

会津のイタリアン食堂だし、ま~適当にやろうとタカをくくっていたが、
なかなかイケてた食堂だった。

田舎町にある料理屋にありがちな素人コックが作る料理とはちと違っており、
シェフのYはなかなかの腕をしており私は厨房でシェフの補助をすることになった。

イタリア料理が珍しくて(出来上がっていく様が)本格的な技を持ったYシェフからいろいろなことを学んだ。
そして自分がイタリアにずっと行きたかったことを思い出させてくれた。

何度か旅行していたイタリアではあったがうまいもんを食った!っという満足の行く旅行ではなかった。
いつも旅行中・後と欲求不満のまま、イタリア料理がこんなはずはない!っと
毎回思わされる旅だったのだ。

今考えるとツアーで行く海外旅行の料理は最低路線なんですね。

こんなはずない!いつか本当のイタリア料理ってのを
食べてみたい! という思いから

本場のイタリアで料理を習いたい!!!と少しずつ考えるようになっていた。
でも農家の嫁の身、そんなことは出来るはずもないのに。

そう、ワタクシの嫁ぎ先は有機農家だったのです。
農家の嫁であったワタクシ。

しかしながら
イタリア行きを漠然と考えていた。今思うと不思議。

アルバイトをし始めた食堂でその思いが蘇って来た。
というのもそのYシェフとの料理しながらの料理談義がおもしろいのなんの。

私はだんだんとシェフの手伝いをすることで三行半を突きつけられどん底だった気持ちから
少しずつ和らいで

また一日一日人としてまともな生活を送ることが出来るようになった。

そしてしばらくして

そうだ!イタリアに行こう!
イタリアに行って料理を学びたい!

学んでどうすんのか?
まではそのとき考えなかったように思う(安易ぃ~)

とにかく行ってあの時の欲求不満を解消すべくイタリア料理の本当をみたい!知りたいと!

決めてからが早かった。
(ワタクシはなんでも早いのです)

この食堂だけの賃金では到底イタリア行きは無理だということに至り、
それから他2つのアルバイトを掛け持ちして、必死の資金稼ぎで半年が過ぎる……

次号に続く

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