それはきっと

※人肉食にまつわる話です。閲覧に注意してください。

倫理観の消え去った世界で、何に愛情を見出せばいいだろう。

ぐつぐつ音を立てて煮える鍋の前でふとそんな言葉を思い出した。彼女がそれを口にしたのはもう随分前のことだったけど、まるで泣き出す寸前の子どもように響いたその声を私はなぜだか鮮明に覚えていた。
上の空でいたからだろうか。気づくと私は彼女の趣味が隅々まで行き届いている清潔なキッチンをひどく汚していた。それは私が不器用で、料理なんてしたことがなかったせいかもしれないし、両手が始終震えていたせいかもしれない。

ところで「食べる側」と「食べられる側」に人類が分類されるようになってからもう二世紀以上が経つらしい。歯止めの効かなくなった人口増加に食糧問題。これらを一度に解決できるこの制度が今日に至るまでどのように浸透してきたのかは省かせてもらうけど、初めて「食べられる側」に分類された人間の中にはこの制度に反対していた政治団体や宗教団体、人権擁護団体に属していた者が多く混じっていたらしいというのはあまりにも有名な都市伝説だ。この話を思い出すたびに私は、もしかすると私の祖先もそういう団体に所属していた人間の一人だったのかもしれないな、つくづく馬鹿だなと思ったものだ。だってこんなに合理的なシステムってないしこんな世の中で長生きをしたいと思ったこともない。「食べられる側」の人間は出荷されるまでの間の最低限の衣食住が保証されているし何より「美味しく食べてもらうこと」だけを最上の幸福として考えるように私たちは教育されていた。だから私は自分が出荷されたときもちっとも絶望したりなんてしていなかったのだ。本当にちっとも。
だから私には、彼女が人肉加工工場で私の身体をかどわかした理由がいまだによくわからない。「一目ぼれしたんだよ」という彼女の言葉も正直よくわからない(だって私は牛や豚に一目ぼれなんてしたことはなかったのだから)。彼女が私の顔を自分そっくりに変えさせたことも、線路に飛び込む寸前に口にした「愛してるよ」という言葉の意図も、本当に、わからない。

だって彼女は「食べる側」の人間で私は「食べられる側」の人間だった。それだけだったはずだ。

現場から持ち帰ることができたのはたった一本の指だけだった。残りはきっと処分されたかもしくは飼料にでもされたのだろう。傷んだ肉は食用には適さないから。
私は鍋を下ろし、茹で上がった肉を皿に盛った。それは彼女が私に買ってくれた空色の小ぶりな皿で、私はそれを気に入っていた。お揃いの黄色の皿が使われる日は永遠に来ない。
「永遠」という言葉が頭に浮かんだ瞬間、私の両眼から涙が落ちた。どうして今になってそんなものが溢れたのかそんなこともわからないまま私はひとり食卓につき、そして両手を合わせた。

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