モラトリアムが明けた暁には


※ワンライで書いたssに、大幅に加筆修正したものです。1時間でここまで書けるように精進していきたい。





わたしは夜が嫌いだ。

暗闇は怖いし、昼間のように友達と遊ぶこともできない。それにお母さんは夜、わたしがこっそり外に出ようとするとものすごく怒るのだ。本当に夜ってなんにも良いことがない。憎らしいったらありゃしない! そういってわたしがベッドの中であまりにも不貞腐れるものだから、お姉ちゃんは仕方ないなあと苦笑して「じゃあ私がいいことを教えてあげよう」と微笑んだ。
 それからお姉ちゃんは夜が来るたびに、ひとつずつ、わたしに夜の楽しさをそっと耳打ちしてくれるようになった。真夜中にこっそり食べるアイスクリームの特別や流星の瞬き。夜通し本を読む楽しさも、夜の街で輝くネオンのまばゆさも全部お姉ちゃんが教えてくれた。お姉ちゃんが教えてくれる秘密はどれもこれも素敵だった。とはいえ、わたしはほんの子どもだから、夜中にこっそりアイスを舐めようとしたらお母さんにこっぴどく叱られてしまったし、流星は上手に見つけられなかったし、どんなに頑張っても夜通し起きておくことはできなかったし、輝くネオンの街並みはあまりにも遠かった。だけど大人になったら一緒に夜、いっぱい遊ぼうねとはしゃぐとお姉ちゃんがいつだって「うん」と嬉しそうに笑ってくれたから、わたしはもうこのまま朝が来なくてもいいな、なんてことをいつしか思うようになっていた。
 
 けれど神様は意地が悪い。わたしがせっかく夜を愛し始めていたその矢先、世界から太陽が沈まなくなったのだ。

 世の中はものすごいパニックに陥った。お母さんもお父さんもいつも不安そうに顔を見合わせていてわたしはなんだか太陽が恐ろしくて、だから延々と日が差し込む自分の部屋でぬいぐるみを抱きしめながら「おねえちゃん」と囁く。だけど、返事は一向に返ってこない。「おねえちゃん! おねえちゃん!」わたしはほとんど叫ぶようにそう言った。
心配して駆けつけたお母さんが「どうしたの」とわたしを抱きしめる。
「お姉ちゃんがどこにもいないの」
 それを聞いたお母さんは一瞬、奇妙な顔をして、それからわっと泣き出した。慌ててやってきたお父さんに「お姉ちゃんが」と言うとお父さんはゆっくりとしゃがみ込んで、わたしの目を見て口を開いた。
 そうしてわたしは、そのときはじめて、わたしが生まれる前に死んでしまったというその人の話を聞いた。夜、家をこっそり抜け出して車に轢かれてしまったのだという「お姉ちゃん」と会っていたのは夜だけで、彼女と触れ合ったことは一度だってなかったな、とそのときわたしはようやく気が付いたのだった。

 ところで、時が経てばどんな非日常も日常に変わる。

 決定的に世界の形が変わってしまったというのに人々は次第に沈まない太陽の下で粛々と営みをこなしていった。何故なら人間の適応能力はそこそこ高いし、それに否が応でも死ぬまで生活は続くからだ。とはいえ全ての人間が以前の日々を完璧に諦める事ができた訳ではない。「日光鬱」は深刻な社会問題になったし、擬似的な「夜」を体験できるプラネタリウムの様な施設やバーチャル空間の需要は日に日に高まっていった。その内「夜」は一つの産業として世の中に定着し、今ではアプリひとつで何時でもどこでも「夜」を手に入れられるようになった。いまや正当な対価さえ払えば、煌々と輝き続ける陽の下に居ながら人々はいつでも何処でも月夜の下でキャンプファイヤーに興じることだって出来る。

 けれど、中学生になった私は真夜中にこっそり食べるアイスクリームの特別も、夜更かしして読む本の楽しさも、夜の街で煌めくネオンも未だに知らないままでいる。だって私はまだまだ子どもで、全然大人ではないから、もう少しだけ猶予が欲しい。彼女が教えてくれた「夜」をもう少しだけ特別にしておきたい。「あぁ所詮偽物だ」なんて幻滅はとても怖い。バーチャル空間に幽霊が出てきてくれるのかこないのか、知るのはそれよりもっと怖い。

 それでも彼女が耳打ちしてくれた「夜」を私はいつか知りたいと思う。そしてどうか願わくば、彼女が焦がれたその美しさを愛せますようにと、見たこともない流星に私は祈ってやまない。

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