ジンクス

「キリちゃん」に贈り物をすると幸せが訪れるらしい。そんな噂が広がってしばらく経つ。実際にネットの口コミを見てみると失せ物が見つかった・生き別れの兄と再会できた・パチンコで大勝ちした・世界一美味しいカレーをつくることができた・トリプルアクセルが跳べるようになった等という投稿が山のように出てくる。
だからそれ以来彼女の周りでは人の姿が絶えない。たった半日街を歩いただけでキリちゃんの大きな鞄はビー玉だとか猫缶だとか枕だとかアイロンだとか鉢植えだとかですぐにいっぱいに膨れてしまう。ある時には大粒のエメラルドを握らせてきた人もいたそうで「手汗でぺとぺとしてた」とキリちゃんは笑っていた。彼女は贈り物を捨てたりする事はないけど頓着する事もないらしく、食べ物以外はすべてまとめてダンボールの中に仕舞い込んでいる。ただ、最近あまりにも贈り物の量が増えたからレンタルボックスでも借りようかとぼやいていた。難儀な話だ。
ところで今、私には悩みがある。
この間はなはだしく酔っ払ってキリちゃんに渡してしまった贈り物のことだ。件の噂が出るより前に買っていたそれを私はクローゼットの中にずっと仕舞い込んでいた。タイミングを逃し続けたということもあるし何より「幸せ」が目当てなんじゃないかと思われるのが癪だったのだ。「そんなつもりじゃない」と証明できるものならしてみせたい。だけども生憎人の心は目に見えない。
金輪際酒を飲むのはよそう、と思いながら私はキリちゃんの家のインターホンを押す。あれ以来彼女と会うのは初めてだ。部屋の中から足音が聞こえる。今この瞬間に時間が巻き戻せるならなんだってする。チェーンが外れる音が聞こえる。時間が戻せるなら私は跳んだことのないトリプルアクセルだって成功させるだろう。ああ鍵が開いた。トリプルアクセル? そんなもの百回だって千回だって飛び続けてみせるのに。もういやだ帰りたい。ドアノブが回ってしまった! と、その直後ドアの隙間からのぞくキリちゃんの手を目撃した私は彼女にまつわるジンクスも禁酒の誓いもトリプルアクセルのことも何もかも忘れてしまった。
だって、その指。キリちゃんの薬指。そこには見覚えのある指輪がきらめいていてそれは確かに私が選んだもののはずで、だからその時の私はどうしたって幸福しか感じられなかったのだ。

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