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美しいものに囲まれなきゃ

昨日ふと思ったのです。最近美しいものから離れてるなと。なんか昔はもっと本を読んで夢想したり、音楽聞いて夢想したり、絵画みてこれまた夢想したりしてました。けれど、最近はA5くらいの世界の中を覗いてはべつに知らなくてもいい世間の情報。世界の事件、よその犬と猫が仲良くしている動画、知らない人の家の団らん風景。そんなものを見ながら一日が終わっています。気づくと、何か自分の心の中がカラカラに乾いているような気がしました。

ある程度の年齢になって「ああ、それは知ってる」「これは、こうだよね」みたいになっちゃってる自分がいます。物事に対する態度も「何それ!すごい!」「知らなかった!もっと知りたい!」「美しすぎる!!」とならない。特に、美に関する感動がすごく減った。何かもう、自分はすっかり知ってますよ。ってなってるんです。じゃあ、知ってるのか、というとそうじゃない。知ってる部分はほんの一部。ほかは全然知らないし、新しいことなんで本当に知らない。

これって、加齢なんでしょうか。こういうものなんでしょうか。しかし、それではアカンのです。なんか人情とかには涙もろくなっているのに、美にかんしての感度が恐ろしく下がっている。どうしよう。私こんなんだっけ?加齢?それともSNSとかのせい?それとも仕事のしすぎ?それで2019年の私の目標として、美しいものを浴びる。という課題を授けたいと思います。けどね、海外の有名な絵がやってきてそれを見に行くとか、そういうのじゃないです。そういう奥様がやるようなのじゃないの。

今のまま美しいもの浴びたってだめなんです。もう長年、面の皮も、私の内面の皮も、すごい厚くなってんです。それはちょっとしたことでは傷つかないように戦って得てきた皮でもあるんですけど、それはそれでありがたいこともあるんだけど、それに感性まで覆い隠されちゃってる。タフな自分を手に入れることはできたけど、そのせいで繊細は感性まで失ってしまった。あ、もしかしてそんな大して繊細ではなかったとは思うのですが…。もっとなんて言うか、自分の中のぶ厚くなった皮をめりめりって破いて、柔らかい感性をね、たたき起こすんです。それしないとだめだわ。いやー、こんな風にして年とってくのね。よかったわ、気づいて。

そう言ったはいいけれど、果たしてそれが取り戻せるのか。なかなか一筋縄ではいかないと思うんです。もはやみずみずしい自分に戻ることはできないわけ。なにか、心の余白がなければ、ものごとに感動とかしないだろうし、美しいものにも反応しないと思うんです。だから、まずは美しいものを浴びるのは大事だけど、そのまえに自分の中に余白を作ることです。これが難しい。私は貧乏性だから、隙間があると何か詰めたくなっちゃう。

では、どうやって余白を作るか。それが目下の課題となります。前にも書いたけど、いかに人の期待を裏切るか(いい人にならない)とか、やることを減らすとか、自分のために時間を使うとか、なんにもしない時間を作るとか。そういうことでしょう。そんなことで、2019年、始めていきたいと思います。

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