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「いつか気づいてくれる」をやめる

私は民泊をやっています。京都や大観光地の民泊の場合、大手が何軒もやっていたりなので、シーツの洗濯などはクリーニング業者が行います。そういうところは大体シーツの色が白と決まっています。なぜかと言うと、どこにどのシーツが行っても大丈夫なようにですね。なので、オリジナルの色のついたシーツを使っている宿泊施設はたいがい自分のところで洗濯していると思って間違いありません。

クリーニングに出したシーツは糊も利いていて、パリっとしていますが、そうでないシーツの場合、すべてにアイロンをかけることは時間的にも不可能。それで、干すときにはなるべ皺にならないよう、配慮して干します。もちろん、畳むときにも皺にならないよう、気を付けます。ピッと端を合わせてパンパン!と生地をはたいてよく伸ばす。干すときからきれいに引っ張っておけば畳むときも端を合わせやすい。そう思って、私は神経質なくらい、シーツの形を整えて干します。

最近では、そういった仕事をスタッフのSちゃんにもやってもらっているのですが、見ていると、彼女は私のような干し方をしません。ふわ~ん、と物干しにシーツをかけて、端がずれていようが意に介さないのです。もちろんそれでも乾きますから、問題はありません。ところが、シーツを取り込む段になって分かるのですが、ふわ~んと干したシーツを彼女はこれまたふわ~ん、と畳むのですね。私はタオルも端や四隅をぴちっと合わせて美しく畳む性質なので、この「ふわ~ん」と畳むことに我慢ができません。まあ、姑のような心情と言いましょうか。それ以上に害なのは、ふわ~んと畳むと不規則な皺がつく。そうなるとシーツをかけたとき、妙な皺がでる。これはまずいわけです。ただでさえ、ほかの施設はピーンと張ったシーツを使っているわけですから、せめてできるだけ皺にならない、例え皺があっても、ある程度納得のいく美しさが必要。そう思っている私は「いったい、彼女はどうしてそれが分からないのだろう」と、悩んでいました。

シーツをかけるのも彼女なわけですから、その時に「うわぁ、こんな皺の付き方、まずいなぁ」と思うはずなのです。だったら、

この皺はまずい→だからと言ってアイロンをかけている時間はない→畳むときに皺にならないように畳もう→きれいに畳めるよう干し方に気を付けよう

と、なるはずなのです。いえ、ならなければならないのです。私は待ちました。彼女はきっとそう思うはずだ、いつか気づくに違いない。一方、シーツをかける時の手順にも私との違いがありました。シーツの四隅には紐があって、それを布団の四隅に結わえます。そうすると布団がシーツの中で寄らないんですね。けれど、チェックアウトの後はそれを外して洗いますから、あまりしっかり結わえてあると毎回外しにくい。それで私は結わえる時は紐を通してすぐ蝶結びにしていました。そうするとその蝶結びの一方の端を引っ張ればすぐに外れるからです。しかし、Sちゃんはまず紐を縛り、それから蝶結びをしていました。これだと、蝶結びの端を引っ張り、次に縛った結び目を両手でほどかなくてはなりません。布団が4組あれば、それを16回する必要があるのです。これはかなりのストレス、加えて時間のロスです。

Sちゃんが布団をセットしたあとで、私がシーツを剥がすと「くそー、なんでこんな結び方してあるんだ!」となるわけですが、逆に私がセットしたあとSちゃんがシーツを剥がせば「あれ?剥がしやすい。しかも布団も寄ってない→ということは、この結び方でいいんだ→私のやり方は手間がかかりすぎていたな→今度から私もこのやり方でやろう」と、思うはずなのです。私は待ちました。彼女が気づくのを。

ところが、彼女は気づくどころか、執拗なくらい、毎回判を押したようにきっちり結んでいます。私が彼女のセットした後のシーツを剥ぐこともあるわけで、その度にしっかり結ばれた四隅をイライラしながら外していました。そのイライラは結び目をほどく面倒さ以上に「いや、彼女は私の結わえたあとを何回も外している。わたしのやり方のほうが外しやすい、と分かるはずだ」「いったいなぜ気づかないんだ」というイライラが重なり、ある日とうとう彼女に言いました。

「Sちゃん、この隅の紐の結び方なんだけど、Sちゃんみたいにしっかり結ぶと外すの大変だからわたしこうやってるんよ」と、実演して見せました。するとSちゃんは「ほんとうですね!」と言うわけです。って言うか、今まで私がそうやって結んでたのSちゃん外してて分かってたよね?と聞けば、「そういえば、外しやすいなぁと思ってました」と言います。え?その程度なの?私が拍子抜けしたのは言うまでもありません。

もちろん、彼女に悪意はありません。自分は外しやすいけれど、Yukiさんには外しにくいようしっかり結んでおいてやれ、なんて思ってないわけです。しかし、私にしてみたら、あたかも悪意を持ってやられているような、それが何回も続くほど、むしろそうなんじゃないか、という被害妄想が頭をもたげてくるほどでした。しかし、私はSちゃんの反応を見て理解したのです。彼女はシーツを外して洗い、干し、取り込み、それを再び布団にセットするのが自分の仕事であるのを理解していました。しかしそれらを「できるだけ効率的に早くやり」「なるべく皺が出ないように工夫する」というのは、仕事のうちに入ってなかったようなのです。

私はSちゃんに気付いてもらうことをやめることにしました。よくよく考えてみたら、彼女は旅というものをしません。つまり、宿泊施設に泊まる、という体験をほとんどしていないのです。そうなるとシーツの皺だとかに気が行かないのも当然です。また、彼女は仕事を早くやることよりも間違いのないよう、いわれれた通りやることに重きを置いているので、私が言えば、そのようにやってくれます。それで、シーツの紐の結び方や、シーツの干し方について説明をしました。

思えば、人に「気づいてもらう」というのは実に不毛なことです。私の家系は「気づいてもらうように何かをする」性質がありました。例えば、「私はあなたのことを思っていますよ」というのを言葉にせず、相手が気づくような行動でやるんですね。私が駆け落ちをして、武司くんと一緒に住み始めた時のことです。ある日、私が宅建の受験をするタイミングでポストに学業のお守りが入っていました。それは父からでした。「俺はお前を勘当して武司は嫌いだが、お前の受験は応援している」というメッセージをこのお守りに託した、みたいな。それを見た武司くんはひとこと「うわ、気味悪…」。そうなんです。相手に気づいてもらえるようなやり方って、気味悪いんです。遺伝か教育のたまものかどうか。私もそういう面を受け継いでて、大昔、恋愛していた時なんて、フラれたにも関わらず、相手のアパートに勝手に入り、お味噌汁と肉じゃが作って帰ってきたことがある。それは相手に「あいつ、家庭的だな」って思ってもらって、もう一度好きになって欲しかったから。けど、今思えばそういのって、むしろ逆効果。重いし気味が悪い。相手はきっと「うわ~、中に変なもの入ってないかな」って思ったでしょう。ああ、恥ずかしい。気づいてもらいたいためにやった行動って、まあ、思った通りのメッセージに受け取ってもらえない可能性が高い。やらないほうがいい、ホントに。

とは言え、長年の性質はなかなか改善しない。私に染みついていた「きづいて欲しい」欲求は相変わらずで、Sちゃんに気付いてもらいたかったし、なんで気づかないの?なんて思っていた。けど、そういうの、本当に不毛。ちゃんと言葉で言った方が早いし、確実。なにより「いつ気づいてくれるの?」とか「なんで気づかないの?」とか「もしかして私のやり方がまずかった?」と言った、心の独り相撲が解消されます。

以来、Sちゃんはきちんとやってくれています。問題は、もし、私のやり方がまずければ、彼女もそのまずいやり方のままずっと続けていってしまうわけなので、私の気が抜けません。

仕事と言うのは、やっていくうちに「あれ?これってこうやればもうちょっと早いんじゃね?」とか「いつもこうやっているけど、こっちのがキレイにできるんじゃね?」とか思う人がいる一方で、言われたことを何の疑問も持たずにやってくれる人もいます。起業する人というのは前者が多いと思います。私もそのクチ。けれど、起業をしない、むしろ、自分は人に雇われているほうが楽、という人もいて、その人は後者であることが多いのではと思います。もちろん、前者の人でも心ではそう思いながら、衝突や自分に課される義務が増えることを良しとしないことから、思っていてもあえて表に出さず雇われながら淡々と仕事をこなす場合もあるでしょう。

そして、経営者としては言われたようにやってくれる人が必要なのも事実。自分と同じ目線で仕事を考えてくれること以上に、言われた任務を遂行してくれる人がいてこそ、仕事が成り立ちます。Sちゃんはまさにその人。けれど、ここで私の脳裏にある人が思い浮かびました。アイヒマンとハンナ・アーレントです。

アイヒマンというのはイスラエルの諜報機関モサドによってアルゼンチンで捕らえらたナチス最後の残党です。裁判の様子が映画にもなっていて、それを見ると分かるのですが、彼は一貫して「自分は自分の仕事をまっとうしたのみだ」と言っています。第二次世界大戦後間もないこともあり(と、言っても15年は経っていたけど)、ナチスに関わった人物は悪魔のような殺人者である、という当然の理屈のもと、絞首刑になっています。そんな彼のことを、凡庸な一市民であり、実に陳腐でありきたりな人物によってユダヤ人虐殺が行われていたことを露わにしたのがハンナ・アーレントで、それが「ナチスの人物は一般人ではなく悪魔であるべき」という世論によって批判を浴びます。

つまり、人から言われた仕事に疑問を持たずに遂行できる人物というのは、誰でもアイヒマンになれる可能性があると言えます。しかし、言われた仕事をこなす、というのは世の中の大半の人がそうです。となると、多くの人を1940年代に連れて行けば、同じようにユダヤ人を蔑み、強制収容所へ送ることに大して疑問を持たず仕事を遂行するのでは、と思うわけです。何もアイヒマンに限ったことではなく大量の人がこの仕事に関わっていたわけですから。時代が違えば、Sちゃんは言われたことに疑問を持たずにひどい仕事をするかもだし、私だって、利益を考えて「ユダヤ人は泊まれません」という張り紙をするかも知れない。

そんな時代じゃなくてよかったと思いつつ、また、そんな時代になることをきっと誰も止められないんだろうな、と感じている私に、当然気づくこともなく、青空の下、今日もシーツをピーン!と干すSちゃんなのでした。労働万歳!

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お金はあんまり使わないけど、旅の資金にします。ありがとうございます。

ありがとうございます。好きなカクテルはBarHiroの「ダイキリ」です
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Yuki

結婚を20年で卒業。趣味は農民、スロー旅、映画を見ること、書き物。ワインバーを17年やり、45歳で稲作へ。元夫の武司くんと民泊やってサトナカ売ってます。ペットは鶏、夏はツバメが飛び回る部屋で暮らします。農耕の話、男女の話、結婚の話、時々小説。ヘッダー画像は伊勢神宮の神田。女です。

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コメント2件

わかりみが深いです。気付かないんですよ、人って。自分と同じ人間なんだからわかるだろうっていうのは通用しませんよね。お客さんのためにしてあげることならなおさら言わなくてはいけないけど、言い方もまた難しい。
サクッと言っちゃいますね。友達の貸しロッジ業をたまに手伝いますが、まさにシーツ干しで「ぱんぱんしようよ」と知らないスタッフさんに言いました。社長(友達)からは「出た!仕切り屋!」と毎回言われます。身に付けてくれれば一生の糧だと思ってます。
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