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もしも、あなたの体が20席のレストランだったら

犬や猫を飼っている人は分かると思いますが、エサがほんのちょっと残ってることって、ありますよね。あと少し食べたらキレイになるのに、なんでこんなちょこっとだけ残すの!?って。

残さずにキレイに食べようね。

人間の場合はこう言われます。思いつく理由としては大体次のようなものでしょうか。

・料理してくれた人に対する感謝の意味
・ご馳走してくれた人に対する礼儀
・食べ物を粗末にしません。という意思表示

キレイに食べることが、腹八分目で箸を置くことよりも、美徳として優先されているように思います。私も「残さずにキレイに食べる」ことを、徹底して躾られ、出されたお皿はキレイに、という習慣を大人になってもずっと続けていました。
加えて、私は3人姉妹の一番上。長女として「ちょっとでも(妹より)多く食べたい」という欲求があり、熾烈な食べ物の奪い合い(特に土産物のお菓子)を経て育ってきました。
そんなこともあり、満腹中枢の命令よりも、躾による暗示と環境による食い意地がはるかに上回り、今日にいたっております。食事をお腹いっぱい食べ、加えて大人故の「好きなお菓子を好きなだけ買って食べられる」という贅沢も享受してきました。

そんな生活が続いた時、体調を崩しました。どこが、何が悪いというのではありません。なんか体がぼやっとしている。そんな感覚です。おばさんなのに、おでこに沢山吹き出物ができたり、腰に違和感が出たり、心臓が痛くなったりしました。

こりゃイカン。と、少しだけ食を抜きました。私は体調が悪いとご飯をやめるのです。これは、うちで飼っている鶏がですね、具合悪いときには止まり木にジーっと止まって、エサを食べないんです。1日とか2日。それで、そのあとはケロッと治っているんです。それで、私も鶏の真似をすることにしたんです。

そんなふうにして、食事を抜いて、1日半ぶりにご飯を食べた時。来たのです。信号が。

その信号はほんの一瞬でした。信号は私の体に語りかけました。どこから出た信号か分かりません。脳?あるいは胃袋?それとも腸?いずれにしろ私の体の中から出た信号には違いありません。

「はい、そこまで」

私は目の前のご飯をハッと見ました。残り物の唐揚げを親子丼風にしたものが、あと、ほんの3口分残っているばかりです。そこで信号が来たのです。

「食べるの終わりましょう」

今までなら、こんな信号気にも止めず、残り3口を平らげたことでしょう。でも、その日の私は違っていました。残り3口でご飯を終了したのです。

例えば、自分がレストランの店長だったとします。レストランの席数は20。スタッフは全部で5人。お客さんがやってきて満席になったとします。なのに、次々とお客がやって来て、他のスタッフは椅子を持ってきて相席を用意している。私が「ダメダメ!これ以上お客さんが入るとサービスが低下しちゃうよ!!」と言っても、誰も言うこと聞かずに次々お客さんを店に入れる。結果、料理の提供は遅れる、料理がテーブルに乗りきらず下に落ちる。スタッフがそれを片付けに行き、更に人員不足になる。客から不満が出る。食材はなくなり、洗い物の皿は山積み。夜中を過ぎても誰も帰れない。

こんなことがですよ、毎日あったとします。

一体どうなるでしょう。毎日の忙しさは翌日に持ち越され、その翌日のも、そのその翌日も、押し寄せる客に悲鳴を上げながらも断ることなく営業しつづけ、サービスは低下、いいお客さんも悪いお客さんも一緒の席に座らされ、スタッフも消耗して、裁き切れなくなってしまう。そしてついにスタッフの何人かは倒れてしまう。

ここで言うお客さんは「食べ物」、私は司令を送る「信号」であり、スタッフは「体」。そう考えたのです。正に私の体は色んな不調が溜まりに溜まってあちこちで立ち往生し、腐敗しかけている。そんな感じでした。第一、レストランのお客さんはお金を置いてってくれるけど、食べ物は消化に多大なエネルギーを使ったところで脂肪かう◯こにしかなりません。

つまり「食べるのそこまで」の他にも「疲れたからヤメ」とか「この人と一緒にいるの中止」とか、さまざまな信号が体から出てくると思うんです。それを無視すると、体が混乱する。なぜって、信号が無視されていること自体が本来ならありえないこと。体を守ろうとして信号を出しているのだから、それを無視されると体も「あれあれ?なんで?アンタのこと思ってるのになんで?」ってなりますよね。そうなるとその「無視される」状態に体自身も反応しないといけない。それで鈍感になって防御するんじゃないかと思います。そんなことが続くと、極端な場合、生命の危機が判断できなくなる可能性もあります。

では、体の声に耳を傾け、司令を聞くとどうなるでしょう。体が十分に機能し、本来の働きが発揮されて精度が増し、味わい、見ることや聞く事、感じること。受け取り方や考え方。生活において、さまざまな感度が上がるのではないでしょうか。

さっきの例で言うと、20席のお店が5人のスタッフで1回転半。余裕が出て、店内にも気が配れるし、お客さんへのサービスが行き届くようになります。新メニューの開発にも余裕ができる。単価も上がる。評判になって、繁盛。というわけです。休みも全員きっちり取れてリフレッシュ。きっとよい職場になるでしょう。

でも、体に休日はありません。24時間フル回転。ですから、きっと犬や猫がほんのすこしだけ、エサを残すのも、単純に自分の体の声を聞いているんじゃないでしょうか。自分の食べる量は自分の体が決める。単純だけど難しい。体の声が聞ける余裕が欲しいものです。


※写真は私が店をしていた時に出していたバタークリームのケーキ。昔のバタークリームケーキが食べた過ぎて作りました。間に挟んであるジャムを固いクリーム。上に乗せたドレンチェリーが懐かしさ全開。

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