たまごを割るときの話
コミュニケーションの中で
書くことが1番苦手なんです
と言っても、ほとんど信じて貰えない。
わたしの周りのnoteという世界が、書くことと読むことで成り立っているからかもしれない。
しかし、信じて欲しい。
書くことが苦手なのである。
だからこそ、1番伸びしろがあるとも思っているのだが…
わたしが1番得意なのは、聴くこと。
看護師のスキルで言うところの傾聴である。
患者さんに質問しながら
治療やケアに有効な関係性を構築する。
自身の考えや意見を整理してもらい
本人でさえ気づいていない本音を引き出す
これがおもしろい。
中毒性があると思う。
ポイントがあるとしたら、本音を引き出そうと意気込まないこと。
患者さんは、本当によく私たちを見ている。
閉ざされた空間の中で、唯一の流動的な存在は働くスタッフ。
彼らにとって、わたしたちが社会そのものであるからこそ観察を怠らない。嫌われることを恐れている、とも言えるかもしれない。
それぞれのスタッフへの対応を見極めることが、そのまま彼らの療養の質へ直結すると言える。
わたしたちの下品な意図や傲慢な思惑など、とうにお見通し。本音を聞き出すなんて意図もコンマ何秒で見破られてしまう。
そうすると、頑なに本音を語らなくなってしまう。
だから、こちらにも戦略が必要となるのだ。
患者さんの本音は、日常の些細なやり取りの中からふと割れてみえるもの。たまごを割るときの最初のひびのような。
どんなに忙しくても絶対にそこを見逃さない。
以前、こんなnoteを書いたけれど、ここに載っていること、いちいちカルテを見なくてもわかる状態。頭の中にデータ化されてる。
直近の採血のデータやレントゲンの画像解析は怪しいときがあるけど、それでもふんわりは把握してる。
そして、医者や看護師、その他のメディカルスタッフの見解もだいたい頭に入っている。
自宅退院は厳しそう
とか
内服自己管理はギリギリのライン
とか
次、もし倒れたら=天に召されると同義
とか、そんな感じ。
こういうものを頭の中にふわふわと携えながら、天気の話をしたり食事の味付けが薄くてね~…なんて話をする。
雑談でベースを作りながら、たまごを割るための、最初のひびが入るタイミングを待つ。
殻の薄いところを見つけたり
少しひびが入ったらこっちのもの。
どんどん切り込んでいくこともあれば
あえて、ひいて自ら割れるのを待つこともある。
いずれにせよ、たまごをオープンの状態にする。
パカッと割れる人もいれば
ぐちゃぐちゃになる人もいるけれど
目的はたまごを割ることじゃない。
どうやったらみんなで美味しく食べられるか
ここに持っていくための、ひびなの。
割りたくて割ってる訳じゃない。
もっと言えば、そのための衝撃や攻撃なの。
悪く思わないで欲しい。
もちろん、失敗だって相当してきた。
たまごが食べられない状態になってしまったり、たまごそのものが食べられる状態になっていなかったり、盛大に飛び散ってキッチンが大変なことになってしまったり
数えきれない。
患者さんのたまご、たくさん犠牲にしてきた。
それでもたまごを割ることを辞めないのは
辞められないのは
みんなでおいしく食べる喜びを知っているから。
そうそう、肝心な話を忘れてた。
どんなに情報を集めて経験を重ねても
狙った通りにひびを入れることはできない、ということ。
狙い通りよりもうまく割れる時もあれば、イマイチな時もある。
けれども、なんとかうまくやらないといけない。たまごを捨てるなんてできない。
入ってしまったカラを取り除いたり、食べられるところだけボールに戻したり。
ベタベタになった手も洗う。
だって、食べる人が待っている。
患者さんの本音をむき出しにすることがゴールじゃない。その本音をうまく調理して、おいしく食べることが目標なの。
そこを見据えてたまごを割れるかどうか
ひびを入れられるだろうか
そういう時期のたまごだと見極められるだろうか
これらを実践するためには
情報や経験が必要で
そのために、書くスキルよりも聴く忍耐が必要よねって話でした。
貴重な時間を使い、最後まで記事を読んでくださりどうもありがとうございます。頂いたサポートは書籍の購入や食材など勉強代として使わせていただきます。もっとnoteを楽しんでいきます!!