見出し画像

「燃える手で」

胡蝶蘭に水をやる。友人の小宮へ開店祝いに贈ったのをその日、帰り際持って帰らされた鉢だ。ひと夏越したのだ。災禍の為、早々に経費節減を迫られた小宮は、繁華街外れにある最寄りの駅が路面電車の駅一つしかない神社の参道から少し外れた商店街に店を移して商売を続けている。商店街には高齢の店主が建物の2階を住居として使い、1階は趣味で開けているような店が多くあり、地域振興を妨げていると思う者が少なからず居たという。土地の所有者は息子娘世代に移りつつあった。彼らは、現状の建物を取り壊し、賃貸物件付きの新築を所望した。ところが、引退から絶命までには猶予期間がある。都合の良い借主は誰か……
小宮は、若者の事業者向けの不動産抽選会へと出かけた。小宮の当てた物件は、築50年を越す木造アパートで、商店街のメインストリートに面したテナント用物件が短い階段を設けた半地下にあり、上階は賃貸に出されていた。店舗の賃料に2階の角部屋も含まれていた。何に使っても良いとのことだった。元は小料理屋で、高齢の女主人は患い、息子の手配した施設へ入居したとのことだった。小宮の店では、季節の果物をメインにしたパフェとノンアルコールのドリンクを提供する。昼間の営業はない。小宮は繁華街の青果店で材料を仕入れ、午後、氷屋を出迎えた。自転車で20分程の通勤路だった。

小宮と僕は、季節の挨拶を欠かさないだけでなく、取り留めのない小咄を葉書の余白に書き添える仲だ。

”アプリでマッチングした看護師と待ち合わせてたら、
背中刺されたら大体死にますよって後ろから肩叩かれたんだ。その後、ケバブを食べながら少し歩いた。それ以上は止めといた。
お前なら信じてくれるだろ?”

嘘と分かっていても信じるよ。僕は思う。

今日、僕は叔父から引き取ったレコードのうち、とっておきの十数枚を小宮の店へ置きに行く。遺された家族にレコード音楽を嗜む者は居ない。僕も好きで聴く音楽はあるが、レコードの取扱い方が分からない。新宿や渋谷で、一回りほど下の青年達が、黒地に赤いレコード店名が記された大きくて薄いショッパーを携えているのを見て軽く慄いてしまう。格好良いが更新されている……
小宮の店は5時に開く。駅前に大手銀行の店舗はなく、ブランジェリーと古書店があり、個人経営の珈琲屋が数軒賑わっている。とうに廃業したと思われる布団屋のシャッターに、空飛ぶ羊の群れが上書きされていた。めでたい漢字を冠した町名案内。小宮と遊んだ地元の繁華街は近年、小綺麗に整備され、通りすがりの客に裏声で手招きする者達は居ない。そこら一帯には、きらびやかな町名が割り振られていたのを思い出した。僕は、コンビニでおつまみを買う。向かいの惣菜屋に伊予柑とクランベリーの入ったキャロットラペが並んでいるのを見つけてしまう。彼らは遅く起きた休日の昼食に、凝ったサンドイッチを拵えるだろうか。仲良くなれない。そんな気がした。

”テイクアウトのご注文はこちらから”

小宮の字だった。
店内に先客が居た。若い男2人組と1人で入った女性たちだった。デートコースという言い回しが死語に感じた。小宮は写真を撮る客の為に、薄桃色の発泡板をカウンター越しに支えていた。
「これよかったら」
僕は小宮に手土産の酒瓶とレコードを入れたトートバッグを手渡した。
「誰がデザート屋に焼酎差し入れるんだよ」
「見て、水戸土産。栗焼酎」
「それ美味いの?」
「知らない。少ししたらまた来るよ」
僕は強い酒が飲めない。
「悪いな」
小宮は、僕に3千円手渡した。
「少し歩くとでかいスーパーがあるからそこで」
何を買ってくれば正解なのだろうか。南瓜のサラダか?軒先の金木犀が先程通った時よりも、より強く香る。通りを外れて住宅街を歩く。夜だ、と僕は思う。

店へ戻る道すがら、客の1人と思われる女性と並んで歩く小宮に出会した。
「忘れてねえよ、通りに出ないとタクシー拾えねえんだよ」
と語気を強めて小宮が言った。僕らは一旦通りへ出てから、2人で店へ戻った。

“Closed”

「内側にはオープンって書いとけって思った?裏返して使えるように」
小宮は、僕の視線に気づいて言った。
「僕ならそうするけど」
「開いてますって言われないと分からない店に入る勇気な」
「ないな」
「それだわ」
「そうか」
「最近、何か面白いことあった?」
カウンターの中で、グラスに乾拭きをかける小宮に声掛けられる。
「何も」
「嘘でもいいからなんかあれよ」
「何かありましたか?」
僕は小宮に、お手本をせがむ。
「そうだな」
小宮は、僕の渡した鞄の中でレコードジャケットを1枚ずつめくりはじめた。
「そうそう、そういえば最近」

小宮は移転開店に際して、内装が仕上がると、近隣の店主たちへ挨拶回りへ行った。案外あっさりしたものだった。ある店主から、週末、商店街で地元の子ども向けにハロウィンイベントが催されるのだと聞いた。各々仮装した親子連れが連盟店を巡るという。小宮は奮発し、手のひらのサイズの缶入り紅茶を取り寄せた。開店直後の集客を見込んでのことだった。

翌日、小宮は店先に置かれた棒付きで大粒のマシュマロを1つ見つけた。簡易包装が解かれていなかった。小宮は子どもが忘れたのだろうと思ったという。次の朝には、菓子折りが1つ、しっかりと敷地内に収められていたので、小宮は持ち帰った。次は、小ぶりの花束だった。それが1週間程続いた。小宮は人の気配を感じたわけではないが、拾おうとする度、あたりを見回してしまうのだった。花束は日に日に重くなった。極め付けは、銀の薔薇が箔押しされた封筒だった。その無記名の手紙を小宮は回収した。うち捨ててもよかったのかもしれない。小宮は言った。

”アットさんへ

この手紙が読まれているということは、貴方に手紙が届いたということですね。

陰ながら、私は、あなたのファンでした。人にはそれぞれあなたの呼び方があって、わたしはあなたをアットさん、ということにし、そう思っていました。@マークのアットです。初めてあなたを見かけた時、あなたは橋の下で休んでらっしゃった。子どもがピアノの発表会で履くような、革ベルトがTの字に渡された靴を新聞紙の上で乾かされていたのを思い出します。私たちは、雨に降られていた。私は、あなたが持っていないのは傘だけではないのだと一目で分かりました。常に持ち歩いているだろう荷物が多すぎる。私は思いました。話しかけられたらどうしよう。お財布に入っている紙幣が1万円札ではありませんように。お風呂はどこで入るのかなあ。そんな、今思えば失礼なことさえ思ったのです。
あなたは、長い白髪を結えると、私に気を留めることなく、大きな息を使ってくちびるをぶるぶるいわせ始めました。あなたは準備体操をしていたのですね。私は、さぞ驚かされたことでしょう。もう忘れてしまいました。ほぐし終わってからあなたは、いつも発声練習を始めました。あなたは、小さなメトロノームを持っていました。それに合わせて、あなたは歌います。音階練習というのでしょうか?
あなたの声はいつも澄んで可憐、若造りしているわけではないのに。そして音程の取り方も安定しており、それは素晴らしいものでしたが、私が気に入ったのは、あなたの声の、どこかアンドロイドを想起させる表情の欠いたようなところでした。
私は、夜勤と日勤のある仕事をしていたので、結果、私は各々別の定位置で、あなたの歌声を聴くことになりました。朝はラジオ体操の集会のはけた広場、夜は駅前、雨の日は橋の下。@、あとあと……地元の人間には、アットさんに関してそれぞれの@があるのでしょう。橋とはいっても、流れる河川はなく幹道が台地の高低差を利用して交差しているだけでしたから、車の走行音がこもり、あなたの歌とは不調和に思えましたので、私はよくQ通りの渋滞を願ったものです。あなたの歌う「マイウェイ」は不思議と場をしらけさせなかった。”

「それはお前の失敗談からでしょう」
「ばれた?」
「あとアットさんって俺のことじゃないからな」
「そうだろうね」
「俺もアットさん、たまに見かけてた」
「そうなの」
「綺麗めの古着みたいなワンピース着てがらがらを引いてんの」
「キャリーバッグな」
「見たことあんのかよ」
「ないけどモノは分かるよ」
小宮は、琺瑯のやかんでお湯を沸かし始めた。焼酎はお湯割りにして飲みたいのだという。
「続き続き」
小宮は封筒をレジスターの中から取り出し、便箋を広げて読み出した。
「モノがあるのか……」

“アットさん。

最後お目にかかったとき、あなたは寒い夜、化繊の羽織に引火させて火傷を負い、手当てを受けて帰ってきたところでした。以前から、少々、認知能力がおぼろげになりつつあったと思いますが、この出来事は街の者にとっては決定打でした。その頃、アットさんたちが拠点として使っていた公園がありましたが、自治体が公園一帯の再開発を称してアットさんたちにそこからの退去を命じたこともあり、せめて高齢のアットさんには世話人をつけ、滞在できる部屋を用意しよう。彼らは決めたのでした。商店街や参道をそれると、そこには消防車の入ることが困難な住宅街が連なっていたのです。火事になっては困ります。とり持ったのは、貴方の前にここで小料理屋さんを開いていた女将さんです。アットさんは、2階の角部屋で訪問介護を受けながら暮らし始めました。電気と水道の契約を、女将さんはしました。食事は、女将さんが都度持って行ったそうです。彼女には、戸籍があり、住民票は他の自治体に届出てありました。税金は彼女の家族が納めていました。彼女は彼らに見つかりたくはないのだと、彼女は言ったそうです。幸い、彼女にひどい仕打ちをした夫はとうになくなっており、子どもたちが彼女の帰りを待っていたのでした。しかし、彼らは彼女を探そうとはしていなかった。それは事実です。私は、女将さんと彼女の部屋から漏れ出てくる彼女の声や生活音、歌声を聴きました。彼女が息継ぎをする度、天井から妖精が降ってくるのではないかと私は思いました。私たちは、蓮根餅や短冊切りにした沢庵をつつきながら彼女の歌を待ったのでした……

しかし、貴方、いや、君がこの手紙を読んでいるということは、おそらく、あなたは女将さんを知らない。アットさんのこともきっと。君は、よく知る他人宛ての手紙を盗み読むような人ではないだろう。きっとアットさんも、もう居ない。女将さんは、アットさんの施設の手配もしたはずだ。私は引っ越してしまった。空き家には夢がある。あった気がする。

そうでしょう?”

小宮は紙を丁重に折り畳んで手紙らしくみせた。
「俺がよく聴いたのは、“愛の讃歌”。学生の頃、朝、ここら辺までランニングしに来てた時、公園で歌ってたよ」
「僕のレコードの中に誰かの“愛の讃歌”入ってなかった?」
小宮は、静かに、という仕草を僕にした。ソプラノだった。彼女が歌っているのかもしれなかった。
「これお前読む?」
宛名に、アットさんへとあった。
「遠慮しとくよ」
白紙相手に何をしろというのだ?僕は苦笑いを作った。
「いやいや。続きがレジに入ってるから。読みたいなら読めよ。お湯沸いてるし」
「カップヌードルみたいに言うなよ」
誰が蒸気で糊付けを剥がすのか。やかんが笛を吹いていた。
「手紙は、燃やすのが1番」
小宮は、客を諭すように僕に言った。
「何でもいいからレコードはずっと持っとけよ」
僕は小宮に明るく言った。火を止め、コーヒーを点てながら小宮が、
「お前、口笛吹けたっけ?」
と僕へ訊ねた。僕は出来ない。
「どうして?」
僕は返した。小宮が頭上を指さした。僕たちには誰かがひゅうと鳴らすのが聞こえた。それが誰なのか、僕らは気に留めなかった。小春日和を控えた夜更けのことだった。

FIN


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?