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「べき」を後回しにした週末

どうしても金曜日で終わらない仕事があり持ち帰ることにした。
できるできる!だって2日もあるもの。
そう思っていた私はどこへ行った?
結局PCを立ち上げれたのは日曜日も21時を回ろうかというタイミングだった。

思考や作業の遅さを残業でカバーした一週間だった。
くたくたになりながら、夫に遅くなったことを詫び、ワンオペに感謝を伝え、温めなおしてもらった夕食を食べる。
大して子どもと話せぬまま、それでも少しだけ顔を見れたことに安堵する。
食べ終わった食器を片付けるのも億劫で、そのままリビングで倒れ込む。
24時ごろにはっと目覚めて、またやってしまったと後悔。
洗濯機に入ったままの洗濯物をずるずると引っ張りだし、しばし眺める。まだひと踏ん張り残っているのだ…。
夫が寝かしつけから戻った日は、そっと干してくれる。たぶん起こしてもくれるけど、起きないから途中で諦めたようだ。

良くない、良くないぞ。
睡眠不足は諸悪の根元だ。わかっていてもなかなかリズムを戻せず週末へ。

土曜は半日寝て、日曜は半日フィクションの世界に逃げ込んだ。

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なんとなく、大人になれば楽になるんだと思ってた。苦手な人間関係も乗り越えられるんだろう、自分の力で好きなことができるんだろうと。
大人になった自分は今の地続きのはずなのに、一気にステップアップできる気がしてた。未来は想像力の向こう側にあった。

普通はもっと早くにそうじゃないんだと気付いて、努力の先に、今の自分の先に未来があるんだと痛感するのかもしれない。

私は、薄々気付きながらも、描いてた未来はここじゃないと漠然と夢見ながら生きてしまったんだろうか。
頑張ってないわけではない。
昨日の自分よりも1ミリだけでも成長できるように、voicyを聞き、Twitterでワーママさんたちをフォローし、本を読み、手帳で振り返りをした。時短家電を導入し、家事のオペレーションを整え調整しながら、掃除の習慣化にチャレンジしたり、断捨離に励んだり、5時半に起きて朝活時間を設けたり。

でもどこかで、いつか楽になるためにやってたのかもしれない。
ここまで頑張ったら後はルーチンで生きれる、そんな場所まで。

人生は変化の連続だ。
できれば落ち着いて生きたいと思う私に変化の連続はいつまでたっても大小のハードルである。
ああ、頑張っても頑張ってもまた飛ばなくてはいけない。
人は成長していかなければならない。成長するべきだ。

「しなければいけない」でなくて、変化を楽しみと捉えられる人になりたかった。
細部まで計画されたルーチンを淀みなく毎日続けられる胆力のある人になりたかった。
本当の私はいつも臆病で、めんどくさがりで、そのくせ夢見がちだ。
やってもないのに憧れるだけ。

ここ数ヵ月くらい仕事に悩みすぎて、夫や義母や、父や、妹や、会社の上司、同僚、友人などに色々人生相談から愚痴まで、たくさん(当社比)付き合ってもらった。
ますます落ち込み迷走する日もあれば、肩の荷が下りたり、生きる上でのその人の芯のようなものに触れ新たな一面を知ったこともあった。

実はみんな迷いながら生きていることは結構あるんだなと当たり前のことを知れた。
そして私はいつも正解を探そうとしてしまうことも、よくよくわかった。(数ヵ月したらまた忘れてしまうかもしれない…)
本をどんなにたくさん読んでも、答えはその中になくて、自分の答えは自分で実践して掴まないと自分の言葉にならない。

自分の言葉で自分の芯を語る人に憧れる。まぶしい。そうなりたいと思うなら、私は自分を知ろうと思う。自分の考えをしっかり持とうと思う。

べきじゃなくて、そういう風に私はなりたいのだ。

「べき」で動くのをできるだけやめよう。
やりたいことをやろう。自分の心と頭で考えるのだ。私の答えは私しか知らない。
自分の心が動くことを、好きなことを大切にしよう。
この世に正解はないのだ。
でも、私の正解は私の中にならあるのかもしれない。


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