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急に距離を詰められるとヒトも他の動物も恐怖を感じる

普段あまり個人のしたことについて触れることはないのですが、金メダルをかじった方のことが話題になり


それでふと最近思っていたことを書こうと思います。

ちょこっとずれてしまうかもしれませんが…



メダルの件に関して色々つっこみたいことはおそらく皆さんと同じですが



自分のかじったものを"再度相手に渡す"という行為までみて思ったことは



"あぁ、この人、(精神的にも物理的にも)適切な距離がはかれていないな"



ということです。


私自身は割とオープンな方だけれどそれでも同じことをされたらもちろんこたえます。


数百円で手に入るおせんべいだってそんなことされたら唖然&ないちゃう…!






たとえば家に突然知らない人がいたら驚くし恐怖を覚えますよね。


その人がメラメラと攻撃性をあらわにしていなくて、お茶を飲んでニコニコしていればいいということではなく…


むしろより恐ろしく感じるかもしれません。



たとえば山の中の私有地にうっかり足を踏み入れると撃たれる場合があります。


それはそのゾーンに勝手に入ると主から危険だと判断されるからです。



これって物理的なことだけでなく精神的なことにも言えるのですが

突然予期しないスピードで距離を詰められるって結構恐怖な場合があるのです。




ここでフレンドリーと言われる場合との違いは


「戸惑われない距離を取れているか相手の反応を確認しながら、場合によっては速やかに適切な距離を取り直せるか」


だったりする気がします。



そして何かが行き過ぎた場合、その"適切な距離"が「2度と同じ空気を吸わない距離」になる場合もあります。


自分の経験の中で「あれ?こういうことをすると結構いい反応が返ってこないことが多いぞ?」と思ったら多くの場合学習するわけですが、


なぜか不快になった側がなけなしの勇気を出しても通じない場合や


今回のように"相手が衝撃によりとっさに素直なリアクションができない"場合も多いので


なかなか悩ましい。。




ふだん自分の書くものにあまりモヤモヤを残したくないのですが



万が一もしも「そんなこと言われたら何にも言えない何にもできない」と思う方がもしいらっしゃるならば


解決案の一つとして



しばらくコミュニケーションの核に"相手の恐怖を取り除く"をおいてすごすことをおすすめします。




他者に恐怖感がある前提でとりのぞくように接する。


これってたとえば初対面の場でイタリア人の多くがやっているように感じます。(全員ではないものの)


ちょいワルなイメージのある国で意外かもしれないけれど、道で急にお茶に誘ったりなどの目的で声をかける人はかなり怪しいと思われるのがスタンダードの国です。


まずは相手の話をさらりと聞くとか

グループで相手にいいことがあるよう働きかけるとか

あいての選択を尊重するとか

そういったことでアプローチする人たちを見ると心のあたたかさも感じるし警戒もとけやすいし、心地がいいなあと思います。

(もちろん日本でもどこでもそういうコミュニケーションスタイルの人はたくさんいます)




犬には正面から近づかない

肉食獣の縄張りには入らない

いきなり告白しない

ecc.




自分だけでなく隣の人も笑顔なのが幸せ。

理性と相手へのリスペクトを己の欲望のためになぎ倒して、幸せな結果を得るのを見たことは今のところありません。


自戒も込めて。






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