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観る将、陣屋泊まるってよ

 元湯陣屋と言えば、将棋ファンであればその名を知らぬ者はいない、と言って差し支えないだろう。
 所在地は神奈川県秦野市、鶴巻温泉。過去幾たびものタイトル戦の舞台となり、名勝負が繰り広げられてきた、まさに将棋ファンの聖地と呼べる名宿である。

 2023年9月上旬。3人の将棋ファンがこの聖地に、初めて宿泊した。
 以下にその顛末と現地体験を、だらだらと語ろうと思う。ちょっと暇な時にでも読んでいただけると嬉しい。

陣屋計画、始動

 そもそもの始まりは、このnoteだ。

 Twitter(あえてこの後の文章でも、Xという名称は使わない)でも屈指の藤井猛ファンと名高い、涓滴氏の名文である。未読の方はぜひご一読いただきたい。
 要約すると、タイトル戦の対局が実際に行われる部屋「松風」に1人で宿泊した、という内容である。

「え、陣屋ってめっちゃ高いよね?しかもタイトル戦やるような部屋に?1人で?富豪????」

 それが率直な感想だったが、泊まれるものなら私だってそりゃあ泊まってみたい。松風とは言わずとも、他の部屋に数人でなら、比較的金額を抑えられるのでは?
 そんな思いつきでTwitterで呼びかけてみたところ、嬉しいことに同じ考えのフォロワー2人から反応があったのだ。
 にわかに話が現実味を帯び、私は陣屋の公式予約サイトを調べた。可能な限り安く泊まるためには、何人で泊まるのが最善か。日付はいつがよさそうか。
 結果、6人で泊まるのがよさそうだという結論に達した私は、残り3人を集めるべく、交流のある女性将棋ファンに声をかけた。そして無事に6人が集まったのである。

 しかし、お気付きだろうか。
 冒頭で私が書いた宿泊人数が、「3人」であることに……。

令和の陣屋事件(未遂)

 無事メンバーも集まり、LINEグループを作成した私たち。
 具体的な日程や宿泊する部屋、一人あたりの金額を計算し、全員の賛同を得て、いざ公式予約WEBシステムから予約!
 ……しようとしたら、なぜだかエラーが出た。何度試してもエラー。なぜ……。
 問い合わせ番号に電話して、経緯を説明。そして確認してくれた担当者からの返答は、驚くべきものだった。

※以下、記憶を頼りにやりとりの要約
「そのお部屋は6名様用のお部屋ではないので、おそらくそれが原因だと思います」
「え?でもシステムで6名で検索した時に出てくるお部屋ですし、WEBサイトのお部屋の案内にも人数は6名とありますが」
「たしかに記載はそうなっているのですが、6名だと狭いです。○○の部屋ではいかがでしょうか?」

 なんじゃそりゃ、というのが率直な感想だった。案内された部屋だと、予定していたよりも1人の金額が7000円近くも上がってしまうのだ。
 もちろんその場では決められず、一旦電話を切り、メンバーに仔細を伝えた。
 結果として、その金額だと難しいということで、2名が離脱した。みんなそれぞれ生活があるのだ。寂しいが仕方がない。

 その後、改めて4名で部屋を調べ、今度こそと再度WEB予約……できなかった。
 前回とまったく同じエラーである。
 まさか……また同じパターン……!?
 ざわつくLINE画面の中、1人が言った。

「この門前払い感、マジの令和の陣屋事件では!?」

 なんてことだ。我々は今、令和の陣屋事件の当事者になろうとしている。(ちょっとワクワクしちゃったのは内緒だ)
 だが悲しいかな、我々が怒って別の宿に行ったとて、呼びに来てくれる者は誰もいないのである。

 結果としてその後、口頭で無事に4名で予約はできた。が、エラーについては今もって謎のままである。
 こうして、令和の陣屋事件はなんとか未遂に終わった。
 令和5年、3月の出来事であった。

公式予約サイトに記載されている部屋の人数と、実情が違うのは流石に問題あると思うので、マジでなんとかした方がいい。

まさかのタイトル戦

 予約は3月。宿泊予定日は9/3-4。約半年という長いタイムラグの間にご家庭の事情で、さらに1人がメンバーから外れた。
 そうして残った3人で、少しずつ近づいてくる当日を待っている最中のこと。
 王座戦の挑戦者が藤井竜王名人に決まり、五番勝負の日程と対局会場が発表された。

1局目 8月31日(木) 元湯陣屋

 いやめちゃくちゃ直後に泊まり行きますやん。

 これにはさすがに笑った。なんたる偶然だろう。あるいは日程を決めたあの時、私には天啓が降りて来ていたのかもしれない。 

 更には永瀬王座が、伊勢海老が乗った大ボリュームなスペシャル陣屋カレーを昼夜連投という常識破りの勝負手を放ち、結果としてなんとも彼らしい将棋で後手先勝という戦果をあげた(藤井竜王名人は今期初の先手黒星だとか)(意味わからん)その翌日。
 陣屋から、件の伊勢海老カレーを食べられる特別宿泊プランと、対局室となった「松風」の見学ができる日帰りプランの実施が発表された。

 どうやら我々は、時代を先取りし過ぎていたようである。
 ついてこれるか、俺たちのスピードに?

いざ、陣屋へ!

 そんなこんなで、まさかの陣屋事件(未遂)や後出しプランを乗り越え、ついにその日はやってきた。

テンションブチ上げ。

 その前に秦野駅に立ち寄り、関東三大稲荷だという白笹稲荷にお参りしたり、有名なおうどんを食べたりしたのだが、そちらは割愛して。

 陣屋は駅から歩いてすぐなのだが、その道の途中、将棋ファンとしては絶対に立ち寄りたい場所があった。

 この弘法の里湯という日帰り温泉施設がある場所にはかつて、「光鶴園」という旅館があったそうだ。
その旅館こそが、かの陣屋事件の際、升田幸三実力制第四代名人が泊まった宿である。

これから陣屋に宿泊するので温泉には入らないが、無料の足湯があったので、せっかくなので入っていった。

 我々がいる間にも他のお客さんが何人がやって来ていた。観光客のみならず、地元民の憩いの場にもなっているようだ。

 そうこうしているうちに時間もほどよくなり、弘法の里湯を後にした我々は、ついにその時を迎える。

Abema中継で何度も見たやつ!!!!!!!!

 太鼓の前には従業員の男性がおり、私たちを出迎えると、ドーンドーンと太鼓を鳴らす。

 これこれ、これだよ!!これが見たかったの!!!!

 もう大興奮である。仕方ないじゃない観る将だもの。

 そのまま案内され、玄関口からフロントまでは歩いて1〜2分程度。道中は風光明媚なお庭で、飲用源泉水も用意されていた。
 そして入ってすぐ右手側には、有名な「陣屋のトトロの木」がどっしりと佇んでいる。

 陣屋はアニメ映画監督である宮崎駿氏の親族が経営しており、氏は幼少時、ここで過ごした時期があるそうだ。たしかにこの木がモチーフになったのかもしれないと思わせられる、立派な大木である。
 どうでもいい余談だが、幼い頃の夢のひとつはネコバスに乗ることだった。ここで待っていたらネコバスに会えるだろうか……。

 館内に入ってすぐ、ウェルカムドリンクのお抹茶と、シャインマスカット大福をいただいた。

 大福はほんの3日前、王座戦第1局の昼食時に永瀬王座が注文したものと同じ品だ。言うまでもなく、大変美味である。あと3皿くらいお代わりさせて欲しい。
 その後チェックインが完了し、お部屋まで案内いただくのだが、ロビーにはたくさんの棋士の揮毫や過去に行われた対局の写真が飾られていた。

ん?

!??!?!??!???!!!?!?!?

「待て待て、これ現実?」
「一旦落ち着こう」
「部屋行って、後でまた見にこよう」

 マジでめちゃくちゃ動揺する我々。
 上記の写真は部屋で一息ついた後、改めて確認し、撮影したものだ。間違いなく現実だったので、これから陣屋を訪れる方は必見である。

 話を戻し、この日のお部屋は「早蕨」。
 実は予約していた部屋は「胡蝶」なのだが、それよりも広めだというこちらに案内していただいた。閑散期ゆえであろうが、大変ありがたい心遣いである。
 館内や避難経路、ルームサービスなどを丁寧に説明いただきくつろぐ頃には、私は半ば放心状態だった。
 遠征や旅行で泊まる宿はいつだって、安価なビジネスホテルな私である。このような格式高い高級旅館に泊まるなど、記憶にある限りでは初めてのこと。

 丁寧にもてなされるという非日常。宿に泊まること、それ自体に価値がある。なるほど、これが「宿泊体験」というものなのだ。

陣屋散策と謎の石

 部屋に荷物を置き、陣屋に泊まりに来たのだと実感。しばし感動に打ち震える我々。冷蔵庫の中にはジュースやビールといったドリンクが入っており、好きに飲んでよいのだという。なんと贅沢なことか。

客室にも羽生先生の色紙が!

 あと個人的にめっちゃ嬉しかったのが、なんと陣屋の客室には、ダイソンのドライヤー(5万近くする)が備え付けられているのだ!すごい!

 そんなこんなで少し休んだところで、お庭を散策することに。
 陣屋のお庭は広い、とても広い。途中の道に小さなお社があったり、山道を進んでいくと古墳跡があったりもする。
 自然も豊かで、カナヘビなどもいる。虫もまぁ多いし蜘蛛はでかい。
 ところで今夏の暑さは異常であった。暑すぎて蚊が生存できないレベルで、おかげでこの夏は蚊に刺されるどころかお目にかかったこともない。
 9月上旬、まだ暑さが鳴りを潜めることはなかったが、最も厳しい時期は過ぎた。そうなるとまぁ、ここまでの流れでおわかりいただけるだろう。

 死ぬほど蚊が多いのである。

 散策中はもちろん、散策後に宿泊客専用の露店風呂(めちゃくちゃ自然の中)に入ったら、腕から尻からものすごい勢いで全身を蚊に刺された。
 こんなんもはやビュッフェである。ちくしょうただで飲み食いしやがって!!!金取るぞ!!!!!!

 夏〜秋にかけて陣屋へ宿泊する場合、虫除けスプレーは必須装備だと断言しよう。フロントでも貸し出ししてくれるそうなので、忘れたら訊いてみてね。

はやお!

 余談だが、↑の社から古墳跡地に向かう山道の途中、1メートル四方(もう少し広かったか?)程度の小さなスペースに、謎の石があった。酒瓶などのようなものもあり、明らかに何か祀られていることは間違いない。

「これが古墳跡地?にしては小さいよね」
「なんかちょっと不気味だよね。フロントで訊いて誤魔化されたらどうしようw」

 そんなことを話しつつ歩を進めると、途中に広い空き地があり、終わりには東屋がポツンと建っている。古墳跡地、どこ?
 どうやら先ほどの空き地がそうであったらしい。
 で、あの石は結局、なに?

 私は写真を撮り忘れていたのだが。後日、冒頭記載したnoteを書いた涓滴さんを交えて数人で食事をする機会があった際、その石の話になった。

 涓滴さん「たしかにあったし、間違いなく写真も撮った。けど言われて確認してみたら、なぜか写真が見つからない

 ……これから陣屋へ宿泊される方は、ぜひその目で「石」の存在を確かめてみてほしい。
(後日談:その後写真は見つかったそうです。逆に怖い。)

そしてついに…

 散策を終え、風呂で蚊の生贄になりながら汗を流し、部屋でまったり過ごす我々のもとに、ついにアレがやってきた。

陣屋カレー様!!!!
お会いしとうございました!!!!!!!!

 観る将が憧れる将棋めし、ダントツのNo. 1(私調べ)。今回宿泊した目的の半分、いやそれ以上と言っても過言ではない。何せ宿泊しないと食べることができない至高の一品である。

 食レポは、私の貧相な語彙で表現することはむしろ無粋であろう。とはいえ僭越ながら少しばかり述べると、とにかくお肉がやわらかく、とろけるようだった。
 付け合わせも写真の通りの多彩さで、どれから手をつけようかというワクワク感も楽しめる。
 この美味さは、ぜひ陣屋に泊まって、その舌で確かめて欲しい。

 で、お部屋にあるルームサービスの一覧を眺めていた私たちは、暑さも手伝いこちらも注文することに。

 夏季限定のかき氷!カレーを食べた後にはちょっとつらいくらいボリューム満点だ。ピーナッツ味の蜜をかけて食べるのだが、これがまたきな粉と絶妙にマッチしていた。
 ルームサービスは他にも種類が豊富なので、お財布や腹具合と相談して頼んでみてはいかがだろうか。

陣屋の窓辺で推しの棋譜を並べるH氏。なんたる贅沢。

そしてあの場所へ

 翌朝。同行した二人は大浴場へ、私はゆっくり部屋風呂(檜の良い香りに包まれながらお庭を眺められるぞ)を堪能し、朝食会場へ。

ここも中継で見たことあるぞー!

 さすが、彩豊かで目にも楽しい、豪華な朝食である。私は朝はあまり食べる方ではないが、ペロリと平らげた。

 そして後は支度をして帰るだけ…なのだが。
 ダメ元で、松風を少しだけ覗くことはできないか、と訊いてみたところ、快くご了承いただけたではないか。

すごい!!!!!全部観たことある!!!!!!!!

 ちょっと覗くどころか、がっつり見学させていただけた上に写真もたっぷり撮ることができたし、中継やタイトル戦に関する小話なんかもお聞きすることができた。なんという満足感であろうか。
 それと同時に、我々3人は顔を見合わせる。

「涓滴さん、マジでここに一人で泊まったの?」

※松風の見学は陣屋様のご厚意によるものです。宿泊客がいる場合やその他の事情で見学できない場合もありますので、見たい場合はダメ元で丁寧にお窺いしてみてください。

 そうして名残惜しくも陣屋を後にする我々。
 帰りにも陣屋太鼓が鳴らされるのだが、これは出迎えの時とは違うリズムだった。考えてみれば当然なのだが、こういうちょっとしたことも、実際に来てみなければ気付けないものだ。最後までチョコ、じゃなくてサービスたっぷりである。

終わりに

 そんなこんなで、観る将たちの元湯陣屋に泊まってみよう企画は幕を閉じた。
 発案から色々とあったが、本当に来れてよかった。

 陣屋に泊まってみたいけどハードルが…という方は、ぜひ我々のように同志を募るなどしてみてはいかがだろうか。人数が集まればその分お安く泊まれるし、宿泊が数ヶ月先になってもよければじっくり積み立てることもできる。

 高級旅館のおもてなし、そして数多の名勝負が繰り広げられた地の空気を味わえることを考えれば、決して損をすることはないだろう。

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