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伝える。伝わる。

木霊(こだま)

 日本に根強く残る宗教的な考えの一つでもある自然崇拝。私も自然が大好きなので木々や風、水や動物などに神聖さがあると思ってます。日本の自然美にはどうしても愛着が湧くものですね。これは日本人独特の感性なのでしょうか、これらの思想は昔から受け継がれており、昔の人々は木に魂が宿ると考えていました。「おーい!」と叫び、声が返ってくるのはそれら木の魂の仕業だとされていました。なので「木霊」です。実際、私が幼い頃はその原理も知らなかったので、不思議とワクワクした気持ちでその返ってくる声を待ち、嬉しさを感じたものです。
 言い伝えでは、木霊は普段ごく普通の樹木の形をしていますが、切り倒そうとしたり、何か樹木に良くない扱いをするとその人は祟られてしまう、とされていました。切ると木から血が出るという噂も…。「鬼か神か、狐か木霊か」とも言われていて、どこか妖怪のような括りでもありました。沖縄ではキジムナーとしても知られています。また一説では人に恋をした木霊の樹木が人間に化けて会いに行ったという話も。
 そんな木霊とされるような樹木は古くからその土地の人々に大切にされていて、その地の古老が代々語り継ぎ、守るべきものとされていました。また、木霊の宿る木には決まった種類があるともいわれていました。これこそ自然を大切にする自然崇拝的な考え方ですね。

 木霊のように放った言葉に対して、同じ言葉や何かが返ってきたり、呼応するものがあると不思議と心が満たされます。「伝わった」という感覚でしょうか。この感覚はとても大切であり、精神的にも楽になれます。X (旧Twitter)などで行き場のない言葉を吐いてみたり、それを受け入れてもらったりなどの行為はこれに当てはまるのではないでしょうか。どこかやるせ無い気持ちは溜め込んで自分自身を壊してしまうのではなく、相談してみたりぼやいてみたりしてみてはいかがでしょうか。

もしかすると木霊が返ってくるかもしれませんね。

伝えることの難しさ

 私はかなり内気な方でして、初絡みであったり初対面の時はかなり探りを入れてしまいます。理由は相手にとって、自分の言葉の伝え方だったり、表現を受け入れてくれるのかどうかをどうしても気にしてしまうからです。伝えることは難しく、伝わっても受け入れてもらうのもとても難しいです。だからといって塞ぎ込むのは自分でも良くないとは思っていますが、伝わらなかった時のこと、受け入れられなかった時のことを考えてしまいますよね。
 私は現在はアメリカに住んでいますので、主にしゃべっているのは英語です。母国語ではないので現地に住むネイティブ程、語彙が多いというわけでもありませんがなんとか伝えようと頑張っています。伝わった時は毎回安堵しますが上手く表現できなかった時はそれなりに凹みます。
 日本語では気にした事がなかった感覚なので改めて再認識させられました。伝えることは実は難しく、それらが上手く噛み合ったのならお互い尊重しあうべきなんだなと実感できました。日々の中でなんとなく会話をしている相手だったり、自分の伝え方や気持ちを受け入れてくれる人を是非大切にしてください。

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