子どもの命を粗末にするか救うか、育てられないなら誰かに託すのも子どもの為
子どもを虐待して子どもの命を奪っている親が毎年ニュースに出てきます。
大体は親の身勝手な言い訳が多いです。
「自分の好きな人と一緒にいるのに子どもが邪魔だった」
「子どもが自分になつかないので腹が立った」
「子どもが言う事を聞かないのでしつけで虐待した」
虐待された子どもが1番の被害者ですが、虐待してしまった親という存在はとても可哀想な存在だと私は思っています。
虐待する親がいなければ虐待される子どもは存在しなくても良いのですから。そんな虐待する親に同情する理由は無いと思う人もいると思います。
でも誰もが最初から子どもを虐待しようと思って子どもを産んだ・つくった訳じゃないはずです。様々な事情があって望まない妊娠によって生まれてきた子どももいると思いますが、それでもその命に罪は無いはずです。
それぞれの親にもそれぞれの生い立ちがあって幸せな子ども時代を送って来れなかった人もいると思います。
親の自分がもし虐待を受けていたとしたら、自分の子供には同じ目に合わせないで欲しいと願っています。
大人になっても助けを簡単には求める事が出来ないのが人間なのですから、子どもは誰に助けを求めることが出来ますか?唯一自分を守ってくれる存在である親すらも頼ることが出来なくなったら、どうやって未来を生きていくことが出来ますか?
子どもの虐待死が無くならない事がとても残念でなりません。
子どもでも体の傷や心の傷は大人と変わりません。
どんな想いをして絶命したのかと想像するだけでやるせない気持ちになります。。
子どもに対してどこまでも自分勝手で親としての自覚が足りない。
それならばあえてその自分勝手で自覚が無い事を逆手にとって子どもを守って欲しいのです。
もし様々な理由(自分勝手な理由だとしても)があってどうしても子どもの面倒をきちんと見ることが出来ず、虐待して命を粗末にしてしまうかもしれない。
そう思うのなら子どもの命を守る選択をしてほしい。
自分が子どもを虐待して命を奪うぐらいなら、その命を誰かに託してあげてほしいのです。
「好きな人と一緒に居たいけど子どもが邪魔だからこの子をあげる」
そんな事を言う人も中にはいるでしょう。
そんな人は親としても人としても最悪だと思います。
でも子どもの命を粗末にしなかっただけ救われるのかもしれません。
極端な話、言葉が悪いですが殺すか生かすかの2択しかなかったらどちらが良いかは誰でも分かるはずです。
たとえ親が自分勝手な願望を果たすために子どもを誰かに託したとしても、それは子どもの為になると私は思っています。そのままそこにいれば命を失う可能性があるのだとしたらそれを回避できるわけですから。
ただ子どもの気持ちになって考えてみると、とても辛い人生が待っているのには変わりありません。
自分は親に捨てられた子ども。自分の育ての親は自分とは血がつながっていない。自分の本当の親の顔を知らない。
ある程度年を取ると嫌でも知らなければいけない事実を知る時が必ず来ます。
その時に子どもが自分自身の事、自分の生みの親の事、育ての親の事、それぞれをどう思うか?そこがとても心配になります。
これは社会全体の話にも繋がっていきます。
「親と顔が似ていないからあの親の子どもじゃない」
「あの子の本当の親は好きな人と一緒に居たいからって捨てたんだって」
「よく他人の子どもを育てられるよね」
そんな心無い言葉を話す人がこの世界には必ずいます。
その言葉が子どもの心をどれだけ傷付けるか。
虐待された子どもはいつまで経っても様々な困難が待ち受けています。
そのまま虐待する親の元にいればいつか死んでしまう時が来るかもしれない。
そこから逃れて新しい親の元で幸せに暮らせたとしても、周りの心無い声や社会の考え方によって心を傷付けられるかもしれない。
今の社会の考え方が変わらなければ、私たちもその子どもたちを虐待しているのと何ら変わらない。
子どもが自分自身を大事にして幸せな未来を掴むために、私たちの考え方も変わっていかなければいけません。
自分では育てられない命をあえて自分の手で失くすか救うか。
周りに何と言われようと救える方の手段を。
勇気をもって子どもの為に。
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