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私にとっての「音楽」

単純に、私は「音楽」が大好きである。

出かける準備をしているときも、移動しているときも聴いている。
「音楽」を聴かないと準備が進まないし、移動時間も長く感じてしまい退屈である。
最近は、集中できない時に「音楽」を聴きながら取り組むと、驚くほどに集中できてしまう。

「音楽」を聴いている時間は、完全に自分の世界に入り込める。いや、自ら入り込みにいっている。

LIVEの時のことを思い出し、1人でにやけるのを我慢したりする。
電車の中なのに歌いだしそうになる。自然にリズムを取ってしまう。
周りの音に邪魔されたくないので、危険ではあるが、常にイヤホンの音量は大きめである。聴いている「音楽」以外の音を聞こえなくしている。
実はイヤホンをつける時点からワクワクしていたりする。なので、イヤホンを忘れた日は落ち着かない。
絶対に、シャッフルで流し始めるという自分のなかの決まりがある。
目的地に到着する直前に、好きな「音楽」が流れ出すと、遠回りをしてしまう。
それぐらい入り込める。夢中になれる。

よく友達と居るとき、いつも歌ってるな〜っと言われる。言われるまで気付かないぐらい、無意識のうちに歌っている(らしい)。

「音楽」は、日常の様々なところで使用されている。
その場を和ませたり、盛り上げたり、落ち着かせたりと、たくさんの役目を果たしている。
なにげに流れている「音楽」でも、いきなり止まると、物足りなく感じたりするぐらい、意識していなくても、なにかと「音楽」の存在感は大きい。
それと同時に、「音楽」の多様性や適応力の素晴らしさに気付かされる。

片思いのときは、恋愛の歌に共感し、失恋をしたときは、失恋の歌を聴いて余計に落ち込んだりする。
たった1曲だけで、忘れてた思い出が一気に蘇ったりするし、心が痛くなったり変な気持ちになったりする。
「音楽」に乗り踊ることで、ストレス発散できる人もいる。
「音楽」は、恐ろしいほど人の気持ちやモチベーションを簡単に操ってしまう。

今までは 共感できる「音楽」が良い「音楽」だと思っていた。
流行っているものが良いものだと思っていた。確かに流行るのには、それなりの理由があるのだが、流行っているものが絶対に良いものとは限らないと教えてくれたのも「音楽」だった。私にたくさんのものを与えてくれた「音楽」に出会った時、「音楽」の偉大さに気付いた。「音楽」に感謝するようになった。

私にとっての「音楽」とは原動力であり、癒しを与えてくれるものであり、必要不可欠なものである。今まで何度何度も「音楽」が私を救ってくれた。

「音楽」は人を幸せにすることができる力を持っている。

#京都精華大学