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虫の知らせ

「オレだけど、今年は帰省できそうにないわ!」

「あのぉー、どちらのオレ様ですか?」

田舎で一人暮らす母は、よそよそしく尋ねる。

「何を冗談言ってるんだ。母さんの息子の正夫だよ。」

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、自粛ムードがまた最高値になりつつあった。毎年お盆休みは、家族と共に帰省するのが恒例だった。しかし、今年は、そんなことは、タブーになって、家の中で静かに過ごすのが常識になっていた。

「正夫さん?どちらの正夫さん?」

母は、また冗談とも本気とも取れない問答を繰り返す。

「もう!ほんと怒るよ。今年はコロナが大変だしさ、田舎にコロナを持って帰ったら、いけないだろ?だから、今年は帰省辞める事にしたの。母さんが楽しみにしているのはわかるけど、お互い我慢しよう。」

これだけ一所懸命喋ったのに、やはり何かおかしい。その時……

「もしもし、どちら様ですか?私は息子の阿部正夫です。あなたは詐欺師ですか?」

頭が混乱した。

「私は阿部翠の息子の正夫です。あなたこそ、息子なりすましているんじゃないですか?」早口で、怒鳴っていた。

電話の向こうの阿部正夫だと名乗る男は、「私は10年前から、母と暮らしているのですよ。」

とても落ち着いた調子で話す。

気味が悪くなり、電話を切った。

「何?声張り上げてるの?」妻が俺の顔を覗く。

「実家に電話したら、見知らぬ男が俺だって言うの。母さん騙されてるよな。やっぱり帰省するか」

冷蔵庫から冷えた麦茶を出した。はすが生ぬるい。

何故かさっきまでとは違う腐った臭いが漂う。

「こんにちはぁ。部屋の掃除に参りました!」

ドアを開けたのは、何故かさっきまで電話で話した男の声に似ていた。

「お母様には、息子さんが死んだことは秘密にしておいた方が良いかと思いまして、私が息子さんの振りをさせていただきました。かなり認知症が、進んでいるようです。」

「そうですか?やっと見つけたと思ったら、孤独死だなんて。言えないですね」

「ちょっと待て!俺は死んだのか」

肩をたたかれる。

「今年は、君の初盆なんだよ。」

母は、まだオレが生きていると思っている。認知症で今の事がほとんどわからない母は、ケアマネージャーの男性をオレだと思っているらしい。

妻だと思った若い女性は、霊媒師らしい。

その隣で涙を流す女性がいた。俺は10年前に事業に失敗し、家族を捨てたのだ。

「ようやく見つけて、こんな姿…呆れて涙も出ない。」

女性は、そう言いつつ、涙を流す。

俺はとても酷い男だったらしい。

俺の葬儀は、家族、つまり妻だけで、参列者はいなかった。

母は、俺はまだ生きていると、思っている。

石ころでもいい。母のそばにいたくなった。しかし俺は焼かれ、灰になる。

骨壷に納られ、無縁仏とされた。

初盆は、ないに等しい。

俺に成りすましたケアマネが母と縁側で月を見ていた。

「正夫もあの月を見ているのかね。」呟く母に、目を丸くするケアマネ。

「あなたは正夫じゃないでしょ?ずっと前から分かってましたよ。でも、1人が寂しくて。少しボケた振りしてたんです。ごめんなさいね」」

「やっぱりお腹を痛めて産んだ子供には勝てないですね。」

「私のホントの息子は正夫は何処に眠ってるんです?」

ケアマネは更に目を丸くした。

「この前の電話は、正夫でした。生気のない声でも、きっと死ぬ前に連絡くれたんでしょう……」

母は、涙をふいて、空を見上げた。

「虫の知らせってホントにあるのね。明日息子のところに連れて行ってくれますか?」

ケアマネは、何度も頷くことしか出来なかった。

骨壷に納られた俺は、母に抱かれ、懐かしい我が家に戻った。子供の頃キンキンに冷えた麦茶と、水まんじゅうが夏のおやつだった。ご先祖さまのいる仏壇に、俺も仲間入りさせてもらう。

「正夫、おかえり。」

優しい母の笑顔が小さい頃を走馬燈のように走り抜けていった。

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