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『続古今和歌集』が面白い

後鳥羽院の御製が一番多く入集している勅撰和歌集は『続古今和歌集』である。

という、不純な動機で興味を持った『続古今和歌集』。しかしこれがまた、後鳥羽院抜きにしても面白い!

なんたって撰者が面白い。
筆頭は藤原定家の息子の為家、彼はまあ順当であるが、他に九条良経の息子や葉室光親の息子がいたりする。

葉室光親は承久の乱のときに北条義時追討の院宣を書いて処刑された人として有名だけど、光親は後鳥羽院の御代では和歌がダメなグループ(歌人グループ「柿本」に対して「栗本」と呼ばれる)に分類されていた。その息子が勅撰和歌集の撰者になるとは驚きだ。


撰ばれた和歌も、意外と有名な歌が入っている。

願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ(西行)

この歌なんて少し和歌短歌に興味があれば知らない人はいないでしょう。百人一首の「なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」よりよほど愛誦されているのでは?

春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜寝ねける(赤人)
和歌の浦に潮みちくれば潟をなみ蘆辺をさして田鶴鳴きわたる(赤人)

こんな、山部赤人の代表作のようなのがあったり

にほふより春は暮れゆく山吹の花こそ花のなかにつらけれ(定家)

藤原定家のこの歌も人気があるよね。

後鳥羽院御製では

心あらむ人のためとやかすむらむ難波の御津の春のあけぼの
吹く風のをさまれる世のうれしきは花見るときぞまづおぼえける
卯の花の陰なかりせば郭公そらにや今日の初音鳴かまし
憂かりける人の心の朝寝髪なにいたづらに乱れそめけん
秋風になびく狭山の葛かづらくるしや心恨みかねつゝ
我ならで見し世の春の人ぞなき分きてもにほへ雲の上の花
加古の島松原越しに見わたせば有明の月に田鶴ぞ鳴くなる
世の中よいかゞたのまん飛鳥川きのふの淵の浅瀬白波
人はみなもとの心ぞかはりゆく野中の清水たれか汲むべき
いそのかみ古きを今にならべ来し昔の跡をまたゝづねつゝ

あたりが好き。
「憂かりける‥‥」なんかはよくぞ撰んでくれましたと拍手を贈りたい。

それはさておき、続古今集の一番面白いところはですね!

春上巻頭と賀歌巻軸なのですよ!
つまり最初と最後の歌。

驚くなかれ。

一番
名に高き天の香具山けふしこそ雲居に霞め春や来ぬらん(定家)
一九一五番
ひさかたの天のかご山空晴れて出づる月日もわがきみのため(家隆)

定家に始まり家隆に終わる。
天香山で始まり天香山で締める。

これはいったい誰のアイデアなのか。(為家か。)
しかも定家のは出家後の詠らしいけど

ほのぼのと春こそ空に来にけらし天香山霞たなびく(新古今・春・後鳥羽院)

この御製とモロかぶるじゃんね。
君たち最高かよ!

やはり『続古今和歌集』は後鳥羽院万歳和歌集なのであった。