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パズルゲームの話

定期的にパズルゲームをしたくなる波が来る。

育成ゲーム、箱庭ゲーム等を試しに遊んでみたことはあるが、なかなか世界観に入り込むことができない。
音ゲーもやりたいのだが、全力集中して画面を凝視しすぎるため、1曲遊んだだけで目が痛くなってしまうのでなかなか続かないのである。

たくさんの人と一度に戦うようなゲームもやってみたが、パラシュートで戦う場所まで降り立った瞬間に近くの人に殴られ、悲しくなってすぐにやめた。

以上のゲームと比べると、パズルゲームは続けやすい。またトランプなどのテーブルゲームも同じである。

これらのゲームの良いところは、やらなければいけない事を一つ一つ考えながら積み重ねていき、ある程度いったところでクリアできるところで、目の前の積み重なっている仕事に向き合っていくことと似ている。

そんな仕事みたいな事をして何が楽しいんだと思われるかもしれないが、一つ一つ解決していけばクリアできるパズルゲームをする事で、冷静になることができる。

冷静になると色々な事を受け入れられるようになる。
そして、なぜか頭の中で孤独のグルメの五郎さんが「それでいいんだ、それで…。」と囁いてくるのだ。


(ちなみに五郎さんの口癖は「こういうのでいいんだよ、こういうので。」なのだが、私の脳内ではバカボンのパパの「それでいいのだ。」と混ざっている。)

しかし、当然の事だがハマりすぎると逆効果である。

以前、色のついたマス目状になっているパズルゲームをやっていたが、ある瞬間からおかしな事になった。

街中の床や壁などで、色の着いたタイル状のものを見ると、全てゲームの画面に見え始めるのである。
このタイルの並びだったらどういう風に動かせば良いか、というシミュレーションがゲームの音楽と共に止まらなくなる。


この段階に入ると、もう頭の中の五郎さんは「それでいいんだよ…。」とは言ってくれない。

今じゃない、という時に目の前にゲーム画面が出てきて生活に支障をきたし始めるので、いつもここで潮時だと思ってゲームアプリを消すのである。

ここ最近はしばらくパズルゲームやテーブルゲームをやっていなかったが、つい先日スイカゲームがiphone版でダウンロードできるようになってしまった。
以前ブームになったスイカゲームだが、一度Nintendo Switchでプレイして本当におもしろく「スマホでできるようになれば良いのに!」という思いと「もしスマホでできるようになったら廃人確定だからできない方が良いかもしれない…。」という思いが交錯していたところだったのだ。
1月1日にiPhone版がリリースされ、既に大量の時間を溶かし、生活に支障をきたし始めているが、まだやめられそうにない。

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