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皇室領矢野荘 領域型荘園とは?

矢野荘は、秦為辰が開発して受領の藤原顕季に寄進、孫娘の美福門院(鳥羽上皇の皇后)が立荘して王家領の荘園になった、という。

秦為辰が開発したのはJRの南側の土地。なのに、矢野荘にはJRの北側にある条里制の肥沃な土地が含まれる。何故??これを長い間、疑問に思っていた。

高校時代に肥後国鹿子木荘の資料をつかって「寄進地系荘園」を学んだ。
開発領主 → 領家 → 本家 の関係がよくわかる。が、矢野荘にはあてはまらないなあと悩んでいると。

ある日、高校に「鹿子木荘で荘園を教えるのはやめたら」という教師用資料が届いた。書いたのは鎌倉佐保先生。

教科書会社が教師の参考にと送ってきた資料は、 ①院政期に ②領域型荘園 が増えて荘園の時代が始まる。高校の授業で鹿子木荘の史料を使うのはやめなさい、という趣旨。

領域型荘園という概念を使うと、矢野荘に関する私の疑問は氷解する。世の中では、荘園の理論は変わっていたのか!知らなかった。

1980年代まで日本史を教えていて、90年代から世界史・政経を教えるようになったので、私の日本史の知識は30年前のままだった。

最近の岩波講座や岩波新書を読むと、領域型荘園のことが書いてある。日本史の研究はは21世紀に入って様変わりといえるほど進歩していたのだ。教材研究は必要。ひと昔前の知識で教えると恥をかく。

矢野荘にフィールドワークにやってきた大学院生に質問しまくって最近の荘園研究の様子が少しずつわかってきた。

一回目の寄進を受けたのが領家、さらに寄進を受けた上級領主が本家、というのも違うらしい(教科書の説明は今でもこうだけど)。

高校を退職し、今年は市民講座で日本史の通史を担当することになった。2010年代になってから新版の岩波講座と岩波新書が刊行されていたので、これで知識を更新。

市民講座で荘園を説明するために作ったパワポを使った動画です。


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