K.Matsumoto

浅野赤穂藩領の一角に旗本浅野家の若狭野陣屋跡があります。敷地はすべて残り、1820年代に建築された札座が現存しています。旗本陣屋は残存するものが少なく、建物が現存していることは奇跡的です。札座を後世に遺したい、私たちの札座保存運動にご支援をお願いします。

平治の乱 後白河上皇首謀説

平治の乱は12月9日の反信西クーデターと12月25日の源義朝軍の六波羅攻撃という二つの事件から成り立っています。かつて平治の乱の原因は源平の対立とされていましたが、二条天皇親政派と後白河上皇院政派の対立という見方に変わっています。

では、二条派・後白河派のどちらが仕掛けたのか。12月9日、後白河上皇が二条派の信西の打倒に成功。しかし、二条派の巻き返しによって後白河が離脱、12月25日、追い込まれ

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前九年の役・後三年の役 戦争の日本史

奥州は馬・金・鷹の羽・毛皮等を産出します。京都政権はこうした産物の利権を狙っており、源頼義・源義家が陸奥守として送り込まれました。奥六郡を支配する安倍氏、山北三郡を支配する清原氏と河内源氏は前九年の役・後三年の役を戦い、奥州藤原氏の支配が確立します。

鎌倉幕府が成立すると源頼朝は陸奥の利権をめざして奥州藤原氏を攻撃します。頼朝は頼義の故実にならって征討軍を派遣、奥州藤原氏を滅亡させて東北を鎌倉幕

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保元の乱 忠通・頼長・義朝の分析

保元の乱は藤原忠通と藤原頼長という摂関家の内部対立と、近衛天皇崩御にともなう鳥羽王家の後継者争いが絡んで起こりました。重仁親王・守仁親王・八条院のなかから鳥羽法皇は守仁親王を選択します。明暗を分けた崇徳・後白河・忠通・頼長の行動が保元の乱につながりました。

崇徳・後白河・忠通・頼長の行動・性格などを検討し、源為義・義朝・平清盛が上皇方・天皇方に動員される理由、双方の兵力と戦闘経過を学びます。

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徳川家光と徳川家綱の家系図

徳川秀忠は、徳川和子を後水尾天皇に入内させ、徳川家光の御台所に鷹司孝子を迎えた。鷹司孝子の弟、鷹司信平は江戸に下って家光の旗本となり、紀州家の娘を娶って松平に改姓する。

系図で学ぶ高校日本史(室町・江戸)

後醍醐天皇の建新政政権は武家の支持を得ることができず吉野に去り、足利将軍家によって北朝が擁立されました。室町時代から江戸時代にかけて武家の権威と天皇の権威は互いに依存しあいながら歴史を刻んでいきます。室町時代から戦国時代・江戸時代の天皇家・将軍家系図を中心にした動画を一覧にしました。

室町幕府は、足利尊氏と足利直義の二頭政治で運営されていた。1349年、足利家は尊氏・義詮と直義・直冬に分裂し、観

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藤原泰子は忠通の姉?、うっかりミス。

パワポで授業中にミスに気がつくと、その場で訂正することができる。録画にしてからミスに気がつくと訂正が大変。

藤原泰子は藤原忠実の娘で忠通の兄弟なのに、師実の娘で忠実の兄弟にしてしまっていた。年齢的には、どちらでもあうからミスを見つけにくい。

気がついてしまったが、動画全部を録り直すのは大変なので、部分的にビデオを重ねて、当面はこれで凌ぐことに。