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紙吹雪とクラッカーの向こうに見た真なる「舞台創造」 ―「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」塚口サンサン劇場マサラ上映―

――2022年9月17日。
――あの日のキラめきが、眩しすぎて帰ってこれない。

「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」というコンテンツがある。

もはやあらゆる所で語られまくっているので詳細は省くが、舞台に立つことを目指して日々研鑽を積む9人の少女が、舞台にたった一人の「トップスタァ」を求めて争う物語だ。
ミュージカル、アニメ、コミック、カードゲーム、スマホアプリと多角的に展開しているが、今回はアニメ展開に限って話をする。

「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」は、2018年のTVシリーズ、その流れを汲む再編集版「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」(以下ロロロ)の続編であり、
音楽学院に通う「舞台少女」9人の「卒業」を描く事実上の完結編といってよい。
新型コロナウイルスの影響により一度は延期したものの、2021年6月に無事公開され、スクリーンで舞台少女たちの結末を見届けたものたちは以下のような呻きを零したのだった。

「映画館で観ろ」
「配信待ってる場合じゃない」
「TVシリーズ知らなくても観てくれ」
「これ映画館じゃないと成立しない映画だから今すぐ映画館に行けーーーーーッ!!!!」

筆者も概ね同意する。「劇場版」の名を冠するにふさわしく、その意義がある作品である。
そのためファンが映画館へ通い詰め、ロードショーから1年を超えて円盤が出たにも関わらず今も日本のどこかで上映されてるような状態となり、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門において審査委員会推薦作品に選出されて無料で上映されたため、「税金で観るスタァライト」なるパワーワードさえ生まれたりもした。
上映形態についても、通常上映のみならず無発声応援上映が各地で実施された。観客たちはサイリウムを駆使したり、クラッカーやカスタネットなどの鳴り物で舞台少女たちへの思いを表現し、一体感の中劇場を後にしたのだった。

そんな中、ある関西の劇場が「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の上映と、イベント上映の開催を宣言する。
大場なな役小泉萌香の出身地兵庫県尼崎市は塚口に存在する69年の歴史ある映画館塚口サンサン劇場による、「無発声マサラ上映」である。

「マサラ上映」の由来はインド映画からだ。インドの人々、特に南インドでは映画を鑑賞するとき、声を出して歌ったり、立ち上がって踊ったり、手拍子を打ったりすることがあるという。

そんなスタイルに日本独自のスパイスとしてクラッカーと紙吹雪を入れたのが、マサラ上映だ。
映画館がOKを出した枠の中で、思いつく限りの方法で映画を盛り上げ、作品への想いを表現する。

このマサラ上映、当初こそインド映画で開催される事が多かったものの、他の映画とも相性がよいということで近年では「ハンターキラー 潜行せよ」「グレイテスト・ショーマン」「ロッキー・ホラー・ショー」「プロメア」「犬王」といった様々な作品で開催され、その度に好評を博している。(もちろん「バーフバリ」などインド映画でもやっている)
さらに塚口サンサン劇場はイベント上映に対する観客からの信頼が篤く、映画のイベント上映に詳しいものからは「東の立川(シネマシティ)・西の塚口」と東西両雄に認められる程である。

故に、塚口サンサン劇場Twitterの報を受けた人々からは
「待ってた!!!」
「九九組色のポジション・ゼロ吹雪作らなきゃ」
「よくわからないけど楽しそう」
「そもそもチケット取れるのか……」
という反応があり、上映までの間、紙吹雪や鳴り物の選定に試行錯誤するツイートも散見された。

そして迎えた2022年9月17日。塚口サンサン劇場、シアター4において。
――「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」、世界初の無発声マサラ上映の席は、満席にはならなかった。


塚口スタァライト無発声マサラの席が完全に埋まらなかったことに対する考察

入場時にざっと確認した程度だが、席の埋まりは3/4程度。
ここまでにとどまったのは、状況から考えれば、以下の要因が考えられる。

1:新型コロナウイルスによるパンデミックが収束しきっていない状況下
2:天気予報にて「伊勢湾台風以上」と言われている台風14号が接近している状況
3:そもそも客層として「作品に浸りたい」「作品内の描写意図を深く掘り下げたい」タイプの人が多く、サイリウムの光やクラッカーの音、紙吹雪をノイズだと感じてしまう

1はともかく、外的要因として大きかったのは2の台風だろう。少なくとも日本の南側から関西の塚口に来ようと考える人は大きく減ったと考えられる。
体や財産の安全を考えれば当然のことで、責められる謂われはどこにもなく、また筆者もそのつもりはない。

おそらく、一番大きかったのは3番だろう。
それに伴う以下の仮説を示したい。

「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」が示した一つの事実。舞台のみならず、エンタテインメントそのものに当てはまる構造。

「演者、スクリーンの向こう側にいるのは観客である。
舞台少女は観客の存在を燃料とし、観客が望むものを演じる。その輝きにこそ観客は魅せられ、舞台少女の燃料となる」

これがある種、「観客もまた、この作品の一部である」「演者(作品)と観客はある種の共犯関係にある」という規定として働き、その規定を外れたように見えるマサラ上映への違和感を生んでしまったのではないか、という仮説である。

日本の映画館で映画を見ると、必ずマナーCMが流れる。大きな声で騒がない、他の席に迷惑をかけないといった内容は、「映画とは静かに見るもの」という意識をしっかり浸透させた。
そもそもマサラ上映を日本に上陸させる時に「紙吹雪とクラッカー」を追加したのは、単純に立って踊るだけだと、「映画は座って静かに見るもの」だと思っている人が戸惑うのでは、という考えからである。
そのレベルで「いつもと様子がおかしい」事をはっきりさせよう、と興行側が考えるぐらい、「映画は座って静かに見るもの」という意識は日本人にしっかり染みついているのだ。

――ゆえに、「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」が示す「観客」も、「静かに座って見ている」はずだった。
舞台少女たちが迷い、怒り、挑み、心を定め、愛城華恋が一度死んで蘇るそのキラめきを浴びて、キラめきで心を燃やして一人一人が日常に戻っていく。

――そのはずだった。
――よもや、ここまで派手に「観客」「共犯」のくびきを破壊して、「舞台装置」になろうとする者たちがいるなどと、想像していなかったに違いないのだ。

映画が「生き物」になる瞬間~「今日は、勝てる!!!」~

先述のような事を書いたが、筆者はスタァライトについて「共犯関係上等」「静かに見たい」「細部もちゃんと見るために集中したい」といった理由でマサラへの不参加を選択した人を非難したいわけでは決してない。
ただ、

「スタァライトのマサラって想像できない」
「映画は最初から最後まで決まっているんだから、どう見ても結果は変わらない」
「やる意義がわからない」

そう思っている、思ってしまう人にこそ伝えたい。

スタァライトでマサラをやる意味、意義、ある。めちゃくちゃある。


TVシリーズ第9話で、愛城歌恋は言った。

「舞台少女は日々進化中!同じ私達も同じ舞台もない!」

このセリフについて、疑う余地はないだろう。「舞台は生き物」というように、日々を生きる生身の人間が、その場限りの舞台で演じるからこそ「同じ舞台」は存在しない。

では、「映画」はどうだろうか?
伴奏や活弁がつくサイレント映画や、人が都度フィルムを入れ替えるフィルム上映なら、そう言えるかもしれない。
しかしボタンを押して上映をするDCP、いわゆるデジタル上映が主流となっている現代で、「映画は生き物」と言っても同意はされにくいだろう。
全てはコマが流れるままの予定調和――それは紛れもない真実だ。
しかし、デジタルデータに焼き付けられた途方もない熱は、私たちを冷めたままでいさせてはくれない。

その好例となるエピソードがあるので、ここで紹介したい。

2013年、「パシフィック・リム 激闘上映」。塚口サンサン劇場におけるイベント上映の方向性を決定づけたイベントでもある。


詳細は上記キネプレ連載に譲るが、塚口で「パシフィック・リム」の発声可能上映を企画した際、ちょっとしたギミックが仕掛けられた。
シアターの中央通路から左を「怪獣応援席」、右を「イエーガー応援席」とし、応援したい側の席に座って思う存分応援しよう、としたのである。
そしてシアターが埋まりいよいよ上映という中、怪獣応援席にいた誰かがこんな事を叫んだのだ。

「今日は、勝てる!!!」

筆者は「パシフィック・リム」を見たことがない。
しかし、日本語吹き替え版のキャストが有名声優陣で固められたり、必殺技のエルボーロケットが吹き替え版で「ロケットパンチ」に差し替えられるぐらいには、日本特撮と怪獣へのリスペクトと様式美が詰め込まれた映画であるということは認識している。
ならば、やはり最後には怪獣は負けるのだ。それは怪獣映画の様式美であるし、フィルムに刻まれた揺るぎない結末である。

だが、そんな事は関係がない。
なぜなら、フィルムの中に「最後には負ける」と思って侵略しに来た怪獣はいないから。
そんな怪獣が好きだから。瞬間を生きる怪獣を、全力で応援するんだと思ってここに来た――だから、今日は勝てるはずだ。

「映画は生き物」、ではない――誰がそう言えるだろうか?
どれほど同じシーンを繰り返しても、全ての結末が同じであっても。
映画を「体験」に――同じものの無い「生き物」にするのは、観客ひとりひとり自身なのだ。

レヴューには存在しない「舞台創造科」が存在する空間~シアター4に集う者たち~

「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」に魅せられ、足繁く映画館に通ったり、考察を論じたり、二次創作を行うものたちは、自らを「舞台創造科」であると口にする。
九九組が観客の目に触れる俳優育成科(A組)に所属しているのに対し、舞台創造科(B組)は「表に出ない裏方仕事」として脚本や衣装、大小の道具を担っており、それになぞらえてのことだ。

だとしたら、あの日シアター4に集った者たちは、いったい何だったのだろう?

舞台少女たちが想いをぶつけあう「レヴュー」。
そこには舞台少女たちだけが存在するようで、舞台少女たちの演技を望む「観客」が存在していることは先述の通りである。
だが、「舞台」を構成する上で重要なものがレヴューには存在していない――「裏方」が。

舞台少女たちが通う学院には「舞台創造科」という裏方育成の学科が存在している。にも関わらず、レビュー中の場面転換の際に、照明のスイッチや黒子といった「裏方」の印象を与えるものは出てこない。
あくまで、「舞台少女のキラめきが、舞台装置の主導権を握る」という形で、舞台少女に合わせた完璧なタイミングで自動的に動くようになっているのだ。

――つまり、舞台少女のキラめきに当てられて動く存在が舞台装置だとするなら。
――スタァライトのキラめきに魅せられてマサラ上映の場に集ったものたちも、また舞台装置、ひいては舞台創造科だと言えはしないだろうか?

しかし、塚口サンサン劇場に集った舞台創造科の面々は一筋縄ではいかない。
サイリウム、カスタネット、クラッカー、鈴、モルカーボール、紙吹雪。
一人一人が好き勝手なものを持ち込み、どのタイミングで何を鳴らすか、どこで紙吹雪を撒くか、何も分かったものではない。

そして塚口サンサン劇場にてすっかりお馴染みとなった前説で、紙吹雪の舞う中館長は言う。

「今から始まるマサラ、これもね、一つの舞台です。前後左右、ここに集まったみんな、レヴュースタァライトが大好きな仲間です。全員で楽しもうというちょっとした思いやりを持っていただければ、きっと最高の舞台になると思います」

それだけを確かな共通認識として、「誰も見たことのない舞台」――塚口無発声スタァライトマサラの幕が開こうとしていた。

塚口シアター4で何が起こったのか

ここからはマサラの詳細についてお伝えしたい……所だが、とても全てを書き表せるものではないので、主観を含めつつ、「何がどういうシーンで使われたのか」という点を記したい。
また、抜け(サイリウム芸の記憶が飛んでおり恐縮である)や記憶違いも当然考えられるので、見つけたら連絡願いたい。
マサラの空気を知る参考になれば幸いである。

***

~上映前~

・サイリウムのみの応援上映勢は座席前方、マサラ勢は座席中央~後方にいた印象
場内に流れる「私たちはもう、舞台の上」に合わせて鳴るカスタネットや手拍子
・ちなみに筆者の隣の方は応援上映勢だったのか、サイリウムのみ装備していた
「紙吹雪めちゃくちゃ撒きます」「紙吹雪が入るので、鞄の口は閉じたほうがいいです」と伝える
・前説の前説から鳴るクラッカー、舞う紙吹雪、「早いよw」「この時点で鳴らすのw」という笑いが起きる
・諸注意を述べた前説の後、コートを着た館長がセンター通路を駆けて舞台に飛び乗り、舞台少女に倣った再演の口上。

(上記動画から聞き取れた範囲)

だから、全員で盛り上がっていかなくちゃ
今年で69期生、場末の映画館 塚口が守るの!
すべて、これから!
(抜刀)
紙吹雪あふれるステージに、華麗に咲かせるクラッカー
光輝くサイリウムを纏い、キラめきマサラに、飛び込み参上!

(聞き取れず)33期生!
そう、ここにいる皆さんの事です!
さあ皆さん!仲良く、楽しく!
スタァライト、しちゃってくださーーーーーーーい!!!!

・大きな拍手の中、上映開始

~クラッカー~

冒頭の弾けるトマト
・薫子「忘れたん?」(パーン)「諦めたん?」(パーン)「受け入れたん?」(パーン)(天才の所業)
・純那の「今は、よ」に対するななの怒り代弁、他発声できないためツッコミや同意として
・「「「「「「「私たちはもう、舞台の上」」」」」」」
・ななの刀が発射されるシーン、薫子のドスが刺さるカットやまひるのメイスが地を砕く重い音
・デコトラ衝突といった破壊、落下シーン
・劇団アネモネの舞台、蛇の「シャー」
・「他人の言葉じゃ、駄目!!」脇差で翡翠を打つタイミング
・魂のレビュー、「その魂をよこせ!!」で帽子を貫いた瞬間
ディスイズキャンセル、完璧なタイミング
・「悪魔」の自害
・「今宵、キラめきであんたを!」器の首が飛ぶタイミング
「舞台少女・愛城華恋」の死
・ロケット噴射タイミングに合わせて鳴る
・真っ二つに折れるタワーが突き刺さるタイミング

~カスタネット~

・幼稚園でのかれひかシーン(手拍子含む)(ほっこり)
作中の足音に合わせて細かく鳴らす、最初こそ笑いが起きたが、ひかりが地下鉄を駆ける頃には違和感など消し飛んだ
列車の「ガタンゴトン」に合わせて。ななと華恋のシーンでカスタネットの音だけが響く

~手拍子・拍手~

・進路相談にて名乗るシーンで拍手(ひかりは5歳の挨拶、華恋はひかりの挨拶に返した時)
・皆殺しのレヴューにて「うろたえるなッ!!……舞台装置だ」、ななの意図を理解して答えた真矢で一同拍手
レヴュー開始、口上、終了で沸き起こる拍手
・曲のリズムに合わせて手拍子(カスタネット含)、競演のレヴュー「さあお目にかけましょう」~ひかり落下ほか、荒野を列車で爆走するポジゼロ華恋など
・クラッカーがない代わりに手拍子で鳴らすなど
・エンドロールでこの日一番の大きな手拍子

~静寂~

・薫子「……うちが、一番しょうもないわ」
・二人きりの電車で華恋に語るなな
・セクシー本堂~「表出ろや」
・まひるの「しーっ」
・ひかりの本心~まひるからのメダル授与
・宇宙キリン
・純那と決別するなな、足音カスタネットだけが響く
・華恋「……ごめんね。本当は知ってた」
・「なんなのよ……ワイルドスクリーンバロックって」~発火するキリン
「観られてる……誰かに」「観客が望んでいるのよ」でサイリウム振ったり全力でうなずく

・「舞台少女・愛城華恋」の死に嘆くひかり


~鳴り物その他~

「なんだか、強いお酒を飲んだみたい」で缶のプルタブを開ける音
・真矢クロあにまるしょうぎでひよこが出る度に鳴るモルカーボールのぷいぷい音、鳴るたびに笑いが起こる場内(本日のMVP)

~紙吹雪~

・冒頭で噴き出すポジションゼロ
純那ちゃんの首が裂けるカットで待ってましたとばかりに赤い紙吹雪を撒く筆者、他からも撒かれて座席はもうびっしゃびしゃ
・各レヴューでの名乗りシーン
・デコトラ点灯、衝突シーンでクラッカーと花吹雪
・落下シーンで紙吹雪が盛大に舞う
・バイクの鍵でハチャメチャに舞う祝福の紙吹雪
・「舞台少女・神楽ひかり」再生産
・ボーカルの歌いわけタイミングでまひるの緑、ひかりの青を投げようとしてしくじる筆者(未熟)
・ひかりがMrホワイトに落下したタイミングでクラッカー、白にひかりの青を混ぜて紙吹雪を撒く筆者
・「夢咲く舞台に、輝け、私」盛大なクラッカー、紙吹雪と拍手
・決起集会の塔が立ち上がるシーン
・巨大矢を両断するななで舞う黄色
「殺して見せろよ、大場なな!!」ウオーッ純那ちゃーん!!!!ななーッ!!!!!(緑と黄色を使い切る勢いで交互に撒く筆者)
・あとで気づいたのだが、純那ちゃんのイメージカラーは水色であった。照明の色が……印象的で……つい勘違いを……(切腹)。
燃え上がり落ちるキリンに情緒がめちゃくちゃになり手当たり次第に紙吹雪を撒く筆者
・「神の器」降臨
・「舞台は今私のもの」
・「あんた、今までで一番可愛いわ!」「私は、いつだって可愛い!」情緒がメチャクチャになって白をバッサバッサ投げる筆者
・スクリーンで薔薇が舞うたびに派手に舞う赤い紙吹雪、「私たちは、共に燃えながら落ちていく炎」ウオーッ!!!真矢クロは永遠のライバル!
・SSS「ホシクバ ホシツメ」に合わせて手元の紙吹雪をちぎっては投げちぎっては投げする筆者
・ロケット噴射でボルテージアップする場内
・「舞台少女・愛城華恋」の再生産、互いの口上で舞う赤青の紙吹雪
・キラめくひかり、青を撒きながら「最後のセリフ」に備える筆者
ワイルドスクリーンバロック終幕、この時のために用意したポジゼロ紙吹雪を力一杯撒く筆者
・場内を舞う大量の紙吹雪、もうハチャメチャである
・羽ばたく鳥のように大空を舞う上掛け、舞う紙吹雪
・エンドロール、九九組の進路が明らかになるタイミングで撒く筆者

・「1番、愛城華恋。みんなを、スタァライトしちゃいます!」会場全体から拍手と紙吹雪、クラッカーで〆

***

結論としては、しっかり統率が取れていたように感じる。
前説で「マサラが初めての人」と言われて挙手した人が半数近くいたのだが、おそらくその中には応援上映を経験した人が多かったのだろう。
上記のような状況だったため、鳴り物と紙吹雪は主にマサラ経験者が請け負う形となったと考えられる。

塚口舞台創造科は、「レヴュースタァライトが好き」だけを拠り所に、その場限りで集まった個々の集まりである。
「どこで撒くか」「どこで鳴らすか」など示し合わせたわけもなく、自由に紙吹雪を撒き、クラッカーやカスタネットを鳴らし、サイリウムを振って、スタァライトへの想いを自由に表現する。
だが、決して野放図な集団ではなかったということがお分かりいただけたであろう。主役は、あくまで映画だからだ。

ちなみに、マサラ上映終了後は記念撮影と、シアター内に散らばった紙吹雪をみんなで片付けるのが塚口マサラの恒例である(強制ではない)。
服や荷物など、あちこちに入り込んだ紙吹雪を隣同士で払い落とし、床に落ちた紙吹雪を足で中央に寄せて片っ端からゴミ袋に詰め込んでいく。
舞台を創ったあとは、次の舞台のためにきちんと片付ける。これも舞台創造科の役目なのだ。

再演への導き~塚口舞台創造科は君を待つ~

こうして、「誰も見たことのない舞台」は幕を閉じた。
「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」について、塚口サンサン劇場は2020年8月の劇場版単独上映に始まり、
同年12月のロロロ&劇場版上映、
そして2021年9月の劇場版無発声マサラ上映と、再演のたびに何か新しい要素を入れ続けて上映を行っている。

では、イベント上映のある種極地と言って良いマサラ上映を終えた今、
塚口サンサン劇場は「レヴュースタァライト」を演じきってしまったのだろうか?

否。

どうやら塚口サンサン劇場は、まだ満足していないようだ。

TVシリーズ9話で、愛城華恋はこうも言った。

「どんな舞台も一度きり、その一瞬で燃え尽きるから!
 愛おしくてかけがえなくて価値があるの!
 一瞬で燃え上がるから舞台少女はみんな舞台に立つ度に新しく生まれ変わるの!」

――全てのものに、「終わり」は存在する。

どんなに愛おしくても、輝かしくても、偉大であっても。
例えば列車が――塚口サンサン劇場の目の前にある阪急神戸線の上を走るそれが――必ず次の駅へ向かうように。
ひとつの映画がどんなに巨額の興行収入をもたらしたとしても、少しずつ上映回数が減り、いつかは次の映画へとシアターを託すように。

いつかは、塚口サンサン劇場も「スタァライト」から卒業するときが来る――そうして待合室のキリンが役目を終え、正しく燃やされる日が訪れるのだろう。

ならばせめて、その時まで。
その瞬間が訪れるまで、いつだって全力で。
サイリウムを掲げ、クラッカーを鳴らし、カスタネットを響かせ、紙吹雪を天井高くまき散らして。
――またみんなで、スタァライト、しちゃおうじゃないか。

終わりに

――――と、こんな事を書いておきながら、この記事を投稿した時点で特に塚口サンサン劇場が「次のスタァライトマサラ、やります!」と宣言したわけではない。
じゃあなんでそんなに確信を持ったようなそぶりなんですか?あなたは塚口サンサン劇場の何なんですか?という所なのだが、劇スマサラをまたやってほしいだけのただの常連だよ……「犬王」マサラも次をやる気っぽいし……というかそもそもこのご時世だから発声ありマサラをやるまでは卒業する気がなさそうだし……

手前味噌で恐縮ですけどこのツイート塚口がRTしてんだからさぁ……!!!

まあ書いた理由で大きかったのは「塚口スタァライトマサラの長文感想が上がっていない」という点と、「スタァライトマサラからずっとマサラの事考えていて心が帰ってこれない」点なので、結局はこれも一匹のオタクの心を落ち着かせるために生まれたお気持ち長文なんだ。

責任の所在を明らかにしておかないとなぜか映画館が責められかねないからね!この記事は大体全部うわごとです!

実際問題、「観客としてだけじゃなく、舞台を盛り上げる舞台装置としてスタァライトを浴びながらスタァライトを創る経験なんて早々できるもんじゃないので、次があったら恐れず軽い気持ちで飛び込んで欲しいな、と思うわけです。どうすればいいかなんて、周りがすぐに教えてくれるぜ!

ちなみにTwitterでの勢いあふれる感想も読みたいという方はこちらからどうぞ。告知からの時系列を把握できるメッチャ出来の良いまとめです。


――それではいつかまた、塚口サンサン劇場にて。
――次の再演で、お会いしましょう。


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