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INFJあるある

正直言って、自分のMBTIを冠した記事を書くのはあまり好きではない。

(少数派の)MBTIに限らず、HSPだとか、ADHDだとか、そういうマイノリティな特性を自称するのは、(他人がそれをしている事に対しては勝手にすれば良いと思っているが)何となく「言い訳がましい」印象を自らに感じて嫌なのである。

私はちょっと社会不適合者というか、生きづらい人間で生まれてきちゃったので人生がめちゃくちゃなのはしょうがないんです…と、悲劇のヒロインぶるのは趣味じゃない。

…ただし、ここnoteという場所では、どうやら自身がマイノリティであることは十分なコンテンツになるらしい。
おすすめには常に「HSP」「ADHD」といった言葉が並び、また、私の記事の中で自身のマイノリティ的側面に触れたものは、断然にアクセスも良かった。
だったら、自分のマイノリティさをひけらかした記事でも書いてみようか。

というわけで本記事を執筆することに至ったのである。

ちなみに、私のマイノリティ的特性はこんな感じ。
・HSP
・INFJ-T
・立体視異常
・重度色覚異常(Ⅰ型とⅡ型を併せ持つ)

…まあ、後半の2つに関しては、そもそも生まれてからずっとその見え方の世界で生きてきたために、特に困ったことはないのだけれど。

今回は、特に「INFJ-T」の側面について深く掘り下げたい(結局、INFJ-Tの人はだいたいHSPだし)。
同じMBTIの人は、共感してくださると嬉しいな。

無限に繰り広げられるファンタジー

中学生くらいから、大学生に至る今まで、無限に頭の中でファンタジーが繰り広げられている。

だいたいはバトル物。中二病と言われればそれまでだけれども、どんなに外面的に成長したとしても、ファンタジーが終幕を迎える兆しは一切見えない。実際、頭の中がうるさいので辞めたいのだけれども、どうやって辞めれば良いかはまるで分からない。

ちなみに、そのファンタジーをアウトプットすることは一切なく、ただ自分の中で、繰り広げられるストーリーを眺めている。

過去のつらい出来事の正確な再現

ファンタジーだけなら可愛いものだけれど、過去のつらい出来事がまんまリアルに脳内で再現されるのがキツイ。

例えば傷つく言葉を吐かれた経験なら、その人の表情、声のトーン、周辺の状況、自身の当時の心境…まであらゆるものが正確に、まるでタイムスリップしたかのように再現されて、思わず身体が疼いてしまう。

休日は爆睡

日常生活で何かとストレスが多いのか(感受性どうこう以前に、頭の中がぐちゃぐちゃすぎる)、休日は自分でも驚くほど寝ている。14時間くらい余裕で行く。長期休みも、何か無理やりにでも予定を入れないと半分以上を睡眠時間に費やすことになる。

平日も、「寝るために今日を起きる」というイメージに近く、基本日々の生活は何かとストレスが多いので、寝ることが人生の一番の楽しみになりがち。
ちなみに、人に迷惑をかけるのだけは本当に嫌なので、いくら睡眠が好きとはいえ寝坊して遅刻することは基本ない。

妥協の付き合いを許さない

友だちでも、恋人でも、妥協の付き合いを許さない。
あまり好きではないのだけれど、一応付き合っておくか…みたいなことは一切ない。腐れ縁なんてクソくらえ。

「人間関係リセット症候群」という言葉が一時期流行ったけれど、まさにこれで、ライフステージが変われば基本みんなと疎遠になる。ただ、人間関係自体が嫌いなわけではなく、本当に馬が合う友達とだけはいつまでも交流を続けている。

実家から一人暮らしに移行した時の幸福感

家に帰れば誰にも縛られない一人の時間が出来るこの嬉しさとやら。

「ひとり時間」といっても、何かたいそうな事をするわけではなく、無意味に時間を浪費しがち。でも、その時間こそが至高。

文章を無限に書いていられる

noteでも大学のレポートでも、執筆には飽きが来ない。筆も(難しい課題でない限り)止まらない。
頭の中で無限に流れる言葉をそのまま書き起こすだけで良いこの作業は天職に近いのだと思う。

基本捉え方が重い

人間関係で妥協を許さないのもそうだけれど、基本的に物事の捉え方は重い。

趣味も、それが人生を変えてくれた!人生の恩人!というレベル感で取り組んでいるし、何らかの挑戦も、絶対にそれを成し遂げてやるという強い意志が付いてくる。

力を抜くことが苦手で、時に視野狭窄に陥りがちだが、人生の中で「火事場の馬鹿力」を頻出できるのは強みか。

人と話すといつの間にか深い話になっている

人生論や哲学が好きで、人と話していると、いつの間にか深い話になっていることが多い。反対に、そういった類の話が出来ない人というのは退屈に感じる。

自分からいきなりそういった類の話を吹っかけている訳ではなく、会話の中で相手の深い部分に興味を持って色々聞いてみることでこうなる。

感性や創造性で評価されることが多い

何かコミュニティの中で傑出した存在になる時は、基本感性や創造性を発揮する時である。

独自のアイデアを練り出したり、抽象的なものを上手く解釈することは得意。

変な人に気に入られがち

ちょっと変な人になぜか気に入られる。
論理的にどうこうよりも、とりあえず共感を示すコミュニケーションをよく取っているからこそ、あまり社会で受け入れられていない「変な人」にとっては「自分を理解してくれる貴重な存在」に見えるのかもしれない(実際には、変だと思いつつも否定するのは可哀想なので話を合わせているだけなのであるが…私自身も変な人である可能性も高い)。

繊細なくせに過激

「繊細」「優しい」というどこか控えめな印象を付けられがちな性格特性のくせして、感情的でもあるので時に過激な捉え方や発言をしてしまうことがある。

頭を冷やした後で思いっきり後悔する。

媚びを売るのは得意

基本的にあまり自分が好きではないため、逆に自分を殺して他人を持ち上げる事は得意。言われたら嬉しいツボも何となく分かる。

ただし、調子に乗って自分を否定し始めたらこの限りではない。媚びを売るくせして相手に謙遜を求めている。

傷つきやすいが、リーダーシップはある

リーダーになりチームを引っ張ること自体は出来る。このとき、躁鬱でいう一種の「躁」モードに入っており、活発にコミュニティで存在感を示すことが出来る。

ただし、後にひとり時間ができ「鬱」モードに入った時に多大なる傷を抱えることになる。

競争社会は嫌い

資本主義独特の競争社会というか、自己責任論が嫌いで、社会/共産主義ほど極端ではないけれど、個人の不幸は社会全体で癒してあげないといけないと思っている。

それでも、望むのは社会構造自体の改変というより、個人レベルで意識的に他者貢献をする優しい社会になって欲しいという考えの方が近いので、右とも左とも言えない思想ではある。

政治には関心がない

個人レベルでの問題を重要視するので、政治のような大局的な流れにはさほど関心がない。

政治家の不正や政策なんかより、より身近な人間関係において、浮気やDV等により傷付けられた人に深く同情したり、加害者に怒りを感じたりする。

大事件・事故・災害のドキュメンタリーをよく見る

サイコパスでは無いが、人が大勢死ぬような大不幸系のドキュメンタリーはよく見る(但し、リアルタイムで起きているものや、不幸を強調し過ぎているもの(被害者が大泣きしている映像など)については受容するストレスが強すぎるので避ける)。

被害者に同情しつつも、極限状態で現れる人間の利他的本性に深く感動する。

理想と現実のギャップに苦しむ

洗練された意識高い生活や、圧倒的な成果に憧れはするが、現実を見てはそのギャップにしょっちゅう苦しむ。慢性的な自己嫌悪を生む原因。

"世界は残酷で それでも君を愛すよ"

人の醜さなど腐るほど見てきたし、あまり無鉄砲に人を信用しない方だが、それでも根本的には人類を愛す性善説支持者でいたいと願う。

例え9人が裏切っても、1人裏切らない人がこの世界に居る限り、その人のために人を信じたいと思う。

逆に、優しい人が散々社会の波に揉まれて、闇堕ちしてクズになるストーリーが大嫌い。

自身の快楽のために他人が不幸になるのは許せない

誰かが不幸になるくらいなら自身の決断を変更する。

他人に傷付けられる痛みを深く理解しているからこそ、同じ痛みを他人にして欲しくない。

感情を切り離して生きている人を尊敬する

スーツやひろゆきのような、自分の感情どうこうを差し置いて、論理的に人生を生きられる人を尊敬している。実際どうかは分からないが、深く傷つき思い悩むことが無さそうで羨ましい。

ガミガミ系の成功者は軽蔑している

ホリエモンのような高圧的な人には、幾ら成功者とはいえ冷めた目で見がち。
それでも、弱い側面がありそれを鎧を着て隠しているだけだと分かると一気に好きになったりする。


というわけで色々書いてみたのだが、やはりどこか生きづらさを感じる側面は多いのである。

ーしかし、私は社会不適合者だ、生きづらいと決めつけ思い悩むのもまた、性格特性から来る症状に過ぎないので、思い込み過ぎないようにしたい所存である。

おわり

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