いつだって私が主役だよ

noteをできる限り更新したいとは言いつつ最近はソーシャルゲームにうつつを抜かし必要なことは何も出来ていない怠惰の極み真北理奈である。もはや書き出しからお察しくださいネタだし暴れ馬そのものである。

よくTwitterで言う『みんなそれぞれ背負うものがあるんだから我慢しなさい』とか『まず他人から』とかあるけどあれ本当に何様なんだよ貴様らみたいな気持ちになりません?私はこれを幾多のLINEで言われ『なんか外野がうるせーなー。口先だけでパソコンひとつ持ってないわワードすら使いこなせないわテキストエディタがわかんねえわお前よく私の前にしゃしゃり出るな?パソコン持ってないやつと持ってても使いこなせないやつは私の中で存在していないから黙ってろよな』と言いながら適当な自分語りをする傍ら美味しい美味しい生姜焼きをむしゃむしゃ食べながら親と『世界広いねー』なんてゲラゲラ笑いながらそのLINEを見せびらかす遊びをした。とても楽しかった。

だって、そんな戯言を言えるくらい暇なんだから。そして剣を向けてきたんだから。剣を向けて来たということは、そういうことだ。直接相対するなんて面倒臭すぎる。

こんなこと真顔で言って親切ぶってる大人は気をつけて欲しい。どんどん嘲笑の対象にされる。本当はこの場で言わなくても私の中で何も何一つ困らないが私が年老いてついこんなことを言ってしまってもしかすれば道を外すかもしれないと思うので、忘備録として残しておく。

だが同時にそんな目に遭っているとは知らずに親身に話をして指摘してくれて向き合ってくれた人も傷つけたと思う。これについては今でも葛藤しているし、だけど許せない気持ちと、それは優しさだと受け入れたい気持ちでえも言われぬ感情になる。人間めんどくさいな。

私の痛みは私だけのものだ。簡単に数値化するな。可視化するな。そんなこと、誰であろうと絶対に許さない。

他人とは分かり合えない。私は他人の痛みが分からないし、そもそも他人の気持ちにあまり興味がない。もっと言おう。他人に興味が持てない。あくまで心を砕くのは私が大切だと思う人のみ、少なからず好きだなあとうすぼんやり描く人のみである。もちろんその時向ける感情も優しさと呼べるものか共感や肯定以外不要だと思っている。

否定や批判したところで何かいいことある?よくわからない。踏み込んで何が楽しいの?よくわからない。

同時に私がこの手で誰かを傷つけたことも私が生涯背負うもので、私だけのものだ。他人に暴かれるなんて絶対に許さない。その痛みは、私だけのものだから。

いつだって私は私だけのために生きている。私が納得したいように生きて、私が幸せだと思うことのために生きている。本当にそれだけのために生きて、納得するまでやる。そんなものだ。満たされなくていいし、永遠に不可能だから。

最高じゃない、最善だ。最上じゃない、最良だ。いつだって私が主役だよ。ほかはみんな観客だ、私にとっては。

こんな風に思えばこの世は随分生きやすいと思う。